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試し読み

【新連載試し読み】神永学『怪盗探偵山猫 深紅の虎』

7月12日発売の「小説 野性時代」2018年8月号では、神永学『怪盗探偵山猫 深紅の虎』の新連載がスタート!
カドブンではこの試し読みを公開いたします。

悪事を告発するため、山猫の協力を得た勝村はシステム開発会社に侵入するが――。

神出鬼没の窃盗犯“山猫”、待望の新シリーズ開幕!

 ――最悪だ!
 勝村英男かつむらひでおは、死にものぐるいで階段を駆け下りていた。
 普段から運動不足で、短距離、長距離問わず、走ることにはてんで自信がない。
 息は上がるし、足はもつれて幾度となく転倒しそうになったが、それでも走り続けた。振り返ると、強面こわもての警備員二人が追いかけてきている。
 もし、捕まるようなことがあれば、もはや言い逃れはできない。勝村の人生はバッドエンドを迎えることになる。
 何としても、逃げ切らなければならない。
 勝村は、階段の途中にあった消火器を手に取ると、栓を抜いて後方に放り投げた。
 勢いよく、消火剤がぶちまけられる。
 いい具合に目くらましになり、追いかけてくる警備員を足止めすることができた。
 勝村は、この隙を突いて一気に駆け下りようとしたが、見事に階段を踏み外した。気付いたときには、階段を転げ落ちていた。
 痛みで、思うように動けない。
 ――どうして、こんな目に遭わなきゃならないんだ。
 と、今さら嘆いてみても手遅れだ。
 勝村は、何とか起き上がる。振り返ると、警備員たちは、まだ階段で右往左往している。
 痛みを堪えながら、勝村は再び走り出した。
 階段室のドアを開け、廊下に出たところで、エントランスが見えた。あの先にあるガラス張りの自動扉を抜ければ、道路に出ることができる。
 計画では、そこに迎えの車が待っているはずだ。
 ――来た!
 勝村を待ち構えていたようなタイミングで、ビルの前の道路に、車が走って来て急停止した。
「嘘だろ!」
 勝村は、思わず声を上げながら慌てて足を止めた。
 停止した車には、赤色灯が付いていた。あれは、警察の覆面車輛しゃりょうだ。しかも、車から降りて来たのは、勝村の知っている人物――。
 大学の先輩で、現職の刑事である霧島きりしまさくらだった。
 よりにもよって、一番見つかりたくない人だ。
 勝村は、エントランスを抜けることを諦めた。とはいうものの、他に逃げ道はない。
 ――ヤバい!
〈エレベーターに乗れ〉
 完全にパニックに陥った勝村の耳に、声が聞こえた。
 直接、話しかけられたわけではない。無線機につないだイヤホンマイクから聞こえてきたものだ。
「エレベーターって、本気か?」
〈もちろん本気だ。エレベーターで、ビルの最上階まで上がれ〉
「冗談だろ」
 やっとの思いで、階段を使って一階まで降りてきたというのに、また最上階に戻れというのか。
 これまでの苦労が水の泡だ。
〈本気だ〉
「だけど、そんなことしたら……」
〈ごちゃごちゃ言ってねぇで、さっさとやれ。そんなところに突っ立ってたら、捕まっちまうぞ〉
 笑いを含んだ声が返ってきた。
 色々と言いたいことはあるが、ここにいたら警察に捕まるのは目に見えている。一か八か、指示に従うしかない。
 勝村は、きびすを返すとエレベーターに向かって駆け出した。
「待ちなさい!」
 鋭く制止する声が響いたが、勝村は足を止めることなくエレベーターに飛び込む。顔を隠すようにしながら、最上階のボタンを押し、扉を閉めた。
 ウィンチの音とともにエレベーターが上昇を始める。
 勝村はエレベーターの壁に背中をつけて、ふうっと息を吐いた。
 ――本当に最悪だ。
 勝村は、出版社に勤務する雑誌の記者であり、至って善良な市民だ。それが、こうやって警察に追われる羽目になっている。
 こうなったのは、全部あの男――山猫やまねこのせいだ。

 霧島さくらは、ビルの前で車を急停止させると、勢いよく運転席から飛び出した。
「不用意に飛び込むな」
 上司である関本せきもとが、鋭く言い放つ。さくらは、辛うじて自制を保ち、足を止める。
 自分たちが今追っているのは、ただの窃盗犯ではない。
 悪党から金を盗み、ついでにその悪事を暴く現代の義賊を気取った希代の窃盗犯――山猫だ。
 これまで、警察は山猫に散々痛い目に遭わされてきた。
 関本の言うように、不用意に飛び込めば、どんな罠が待ち構えているか分かったものではない。
 裏口は、すでに他の刑事たちによって塞がれている。
 山猫をビルに閉じ込めた状態だ。余計な焦りは、思わぬ失敗を生むことにもなりかねない。
 すぐに、もう一台覆面車輛が到着し、二人の刑事がさくらと関本に合流する。
「よし。行くぞ」
 四人になったところで、関本が目配せをしながら言う。
 お互いに頷き合ってから、慎重にエントランスの自動扉をくぐった。
 ――あっ!
 エレベーターに向かって、走って行く人影が目に入った。
 二人の刑事をエントランスに残し、さくらと関本とで、その背中を追いかける。
「待ちなさい!」
 さくらの制止など耳に届いていないのか、その人影はエレベーターに乗り込む。
 必死に駆け寄ったが、間に合わなかった。エレベーターは、上昇してしまった。悔しさで、思わず床を蹴る。
「落ち着け。上に行ったところで、逃げ道はない」
 関本の言葉に、「そうですね……」と同意しかけたさくらだったが、慌ててそれを呑み込んだ。
 ――違う。
「おそらく、山猫は屋上に逃げ道を確保しています」
 さくらが早口に言うと、関本が「何?」と困惑した表情を浮かべる。
 迂闊うかつだった。山猫が盗みに入る――という匿名のタレ込みがあったのは、今から十五分前のことだ。
 突然、飛び込んで来た山猫逮捕の千載一遇のチャンスに、慌ててしまっていたようだ。
「どういうことだ?」
 関本が聞き返してくる。
「これまでもそうでした。屋上からの逃亡は、山猫の十八番です」
 さくらは、苛立ちを噛み締めながら言った。
 屋上からワイヤーを使い、隣のビルに移動する手は以前に何度も使っている。山猫の常套手段だ。
 関本も、ようやくそのことに思い至ったらしく、無線を使い、裏口に回っている部下たちに、近隣のビルも警戒するように指示を飛ばす。
「おれたちは、行くぞ」
 関本が、もう一台あるエレベーターに乗り込んだ。
「しかし……」
 エレベーターで追いかけたところで、別のビルに逃げられたのでは意味がない。それより、近接するビルに向かった方がいい。
「おれたちが追わなきゃ、奴はこっちの意図を見抜くぞ」
 関本の指摘の通りだ。
 山猫は、勘の鋭い男だ。こちらが、山猫の罠にかかったふりをしなければ、怪しまれるだろう。
「分かりました」
 さくらは、関本のあとに続いてエレベーターに乗り込んだ。
「一応、弾を確認しておけ」
 関本に言われ、さくらは、ホルスターからリボルバーを取り出し、弾倉に弾が装填そうてんされていることを確認してから、グリップを両手で握った。
 できれば、拳銃を使用するような事態だけは避けたい。
 さくらは緊張を逸らすように、エレベーターの天井に目を向けた。
 明日は、勝村とレストランで食事をする約束になっている。久しぶりなので楽しみにしていたが、状況によっては行けなくなってしまう。
 しかし今は、そんなことを気にしている場合ではない。
 さくらは、頭を振って気持ちを切り替えた。


(このつづきは「小説 野性時代」2018年8月号でお楽しみいただけます。)
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