海辺の小さな食堂を舞台に、海果と愛の成長を描いた潮風シリーズ。これまでの作品を振り返って、心にまっすぐ届く言葉と忘れられない名場面を、著者と有隣堂の名智理さんがセレクトしました。
皆さんが印象的だった言葉は、どんな言葉でしょうか。
潮風シリーズ 忘れられないあのシーン あのフレーズ
『潮風キッチン』
突然小さなお店を経営することになった海果だが、奮闘むなしく店は閑古鳥。そんなある日、ちょっぴり生意気そうな女の子に出会う。「人生の戦力外通告」をされた人々の再生を、温かなまなざしで描く物語。
喜多嶋隆
「お前はいらないからって、はじかれて捨てられた……。それって、まるでわたし……」愛は小声で言った。(P100)
物語の前半。仕事がうまくいかなくなったお父さんが、ショッピング・モールで愛を置き去りにしかけた、そのときのことを海果に話すシーンです。市場で捨てられている魚に自分をなぞらえて……。
〈そんな風に考えちゃダメだよ〉と言う海果も自分が母親に捨てられたことに気づき、胸をつまらせる。そして、同じ哀しみや寂しさをかかえている愛への思いを強くする……。〈泣かないで〉と愛に言いたかった自分も涙をにじませる海果。孤独な二人の心がそっと寄り添う瞬間……。このシリーズを通したテーマが、切ないやりとりの中で描かれた場面です。
名智理
窓から、夕方の淡い陽が入ってくる。愛の前髪と、動かしているフォークにその陽射しが光っていた。(P160)
少しでもツボ屋の売上を伸ばそうとアサリ採りにムキになる愛と言い争いをしてしまった海果。うっかりタコのヌメリ取り用の洗濯機で洗ってしまった愛の、あちこちほつれている着古された下着に、彼女の境遇を改めて思い遣り、胸を痛める。落ち込む愛にパスタを作ってやり、仲直りをする場面。
孤独な二人の少女が寄り添って懸命に生きる切なさと、
『潮風メニュー』
海果が一人で始めた小さな料理店は大盛況。だがある日、店舗ごと買い取りたいという人が現れて……。どんな人にも、自分が必要とされる居場所がある。心震える物語。
喜多嶋隆
……どこかに神様がいて、一生懸命に頑張ってる人を見守ってくれてるって……。そうなのかな……(P288)
入院中のお母さんの治療費を払うため、愛は北海道の富良野に行く修学旅行の積み立て金が払えずにいました。自分は行けないと分かっているのに、ラベンダー畑の話に盛り上がる同級生に話を合わせている愛のことを知り、海果の胸はしめつけられる……。けれど、学校側の機転で愛は寸前で修学旅行に行けることになります。この言葉はそんな愛が思わず口にしたもの。
出発の朝「わたし、本当に行けるんだ……」愛が涙声で言い、そして、海果が愛を抱きしめる……。このラストシーンを書いていて、何度も目頭が熱くなったことを思い出します。
名智理
ふと気づくと、わたしは一郎が着ているパーカーのスソをそっとつかんでいた。一郎は、それに気づいているだろう。けれど、何も言わなかった。(P200)
一郎と三崎の方へデートに出かけた海果。岸壁に腰かけてふたりは会話をする。
どうしてわたしなんかに親切にしてくれるの? と問う海果に、フェードアウトしてしまったかつての完璧すぎる恋人について、自分が必要とされているのか、ふと疑問になるときもあった、と。だからこそ、カピバラのような海果が放っておけない、という彼らしいプロポーズをした一郎。孤独を抱える二人が少しずつお互いを必要に感じ、人生を重ね合わせようとするその距離感に、C・キングの名曲〈
『潮風テーブル』
喜多嶋隆
両親とともに、海の上のヨットで、
夏を過ごす子供がいる
ノートや鉛筆を買うお金のために、
海の中で、貝をとる子供がいる(P139-140)
海果や愛と、ふとした偶然で仲間になった小学生の小織は貧しい母子家庭の娘。ノートや鉛筆を買うお金のために、海に潜ってムール貝をとっています。貧困家庭に手をさしのべる基金のCM制作を依頼された慎は、その小織をイメージして、このようなメッセージを書きました。〈海の上のヨット〉と〈海の中で貝をとる〉……その対比が鮮やかなCMは人々の心をとらえる。そして、小織の家庭にも支援の手がさしのべられます。やはり、神様はどこかで見ていたのでしょう。
名智理
乏しいお金をやりくりして買ったパーカーだろう。そして、〈……いつまでも、クリスマスを一緒に……〉の文字……。(P286)
鎌倉で買い物中に自転車にはねられた愛。
彼女が片時も離そうとしなかった紙袋を、駆けつけた海果と一郎が看護師から受け取る。添えられたメッセージカードから、海果宛てのギフトだった、とわかり号泣する場面。
元々赤の他人だった愛と海果がお互いをかけがえのない家族だと感じて、その深い絆と愛情を感じる名場面でした。涙でページが滲んで、なかなか続きが読めませんでした。
『潮風マルシェ』
季節の食材を取り入れたメニューが魅力の、海辺の小さな料理店。オーナー・海果の妹分である愛が考案した青空マルシェも大成功! 魚も野菜も人も、見栄えで選ばれがちな現代、本当に大切なものとは? 爽やかな感動作。
喜多嶋隆
一人でかかえるには重すぎるなら、
二人でかかえればいいじゃないか。
たとえそれがスイカだろうと、
何かの困難だろうと……。(P280)
物語のラスト。愛は入院しているお母さんのお見舞いに行こうとしています。そこへ三浦野菜を作っているサワダ農園の軽トラが通りかかり、おばさんがスイカをくれます。けれど、そのスイカは小柄な愛が持つには大きくて重すぎ。そこで海果も一緒にお見舞いに行くことになり、二人は両側からスイカをぶら下げて海辺の道をゆっくりと歩きはじめます。
このシーンを書いていたときには、とても温かい思いがわき上がってきました。〈君はもう一人じゃないんだ。本当によかったね〉と愛に語りかけていました。
名智理
「結局、近道はないって事かな……」(P203)
サワダ農園から仕入れたキャベツで作った「サマー・ロール」がお客さんに好評で、海果がそのおいしいキャベツの秘訣を尋ねたときの、農園のおじさんの答え。
30年もかけて良い土を育てた、というところからの結論なのですが、この「潮風」シリーズ全体に通じる、本当の幸せとはなにか、ということが、そのまま重なっているようです。地道に丁寧に生きること。その日々が、結局は本当の幸せにつながる、という作品の根幹のテーマを象徴しているように感じました。
作品紹介
書 名:潮風サラダ
著 者:喜多嶋 隆
発売日:2025年09月22日
みんな、幸せになれるといいね――。心温まるシリーズ、いよいよ完結!
近所のファミレスに対抗すべく、小さな料理店の店長・海果は日々奮闘している。近々〈湘南グルメ番付〉サイトがオープンすると知り、PRになるかもと張り切る日々だ。そんな中、妹分の愛はその漫画愛を編集部に見込まれ、人気雑誌のご意見番に抜擢される。だが、それが予想を超えた展開に……。そして、店に集う人たちも、それぞれの新しい一歩を踏み出していく。人生で本当に大切なものは何かを問いかける、感動のシリーズ完結編!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322503000699/
amazonページはこちら
電子書籍ストアBOOK☆WALKERページはこちら