「お前、うちの大事な子だよ」――『潮風メニュー』の心温まるスピン・オフをカドブン限定特別公開!
9月21日に発売された喜多嶋隆さんの小説『潮風メニュー』は、前作『潮風キッチン』に続き、自分の居場所を見失った人々が、海辺の小さな料理店を通じて、新しい一歩を踏み出していく物語です。
潮風の中で始まる恋と友情、そして新しい夢——。そして、クリスマス・イヴの夜に、愛と海果が見つけたのは、迷子の仔猫。サバティーニと名付けられた仔猫は、愛の妹分となり、お店で暮らしはじめます。ミルクを飲むのもやっとだった小さなサバティーニはまさかの大活躍をするのですが、それは本を読んでのお楽しみ。
物語にはなかったサバティーニの可愛らしいエピソードを、喜多嶋さんが紡いでくれました。
WEB上だと読めるのはここだけ! どうぞお楽しみください。
愛の枕
あれ、サバティーニ……。わたしは、つぶやいた。
午後6時過ぎ。葉山・森戸海岸の近くにあるシーフード食堂〈ツボ屋〉。
猫のサバティーニが、うろうろしている。
この子を拾ったのは、去年のクリスマス・イヴ。そして今は7月。拾ったときは仔猫だったサバティーニも、もうかなり成長していた。
そんなサバティーニが、何か探すようにうろうろしている……。
カウンターの中でアジをさばいていたわたしは、ふと気づいた。サバティーニが探しているのは、愛かもしれない。
中二の愛は、今朝から修学旅行に行っている。今頃は、北海道に向かっているはずだ。
毎日、頭を撫でて、ぎゅっと抱きしめてくれて、そして一緒に寝ていた愛の姿がない。
それで、サバティーニはいま愛を探しているのかもしれない。
〈愛はどこ?〉と……。
やがて、サバティーニは店の奥に入っていった。5分後、お風呂場をのぞくと、脱衣所にサバティーニがいた。
洗濯機もある脱衣所。その床には、愛が着ていた下着が置いてあった。
愛はまだ胸がほとんど平らなので、タンクトップ型の下着を着ている。
お母さんが入院してからずっと、貧しい暮らしをしてきた愛の下着は、かなりボロボロ。襟ぐりや腋の下は、ひどくほつれていた。
それを着て修学旅行に行くのは、あんまりだ。同級生たちにからかわれるかもしない。
わたしは、出発の直前に新しい下着を買って愛に持たせた。
古い下着は、いちおう洗濯して乾かした。捨てようかとも思ったけど、少しためらった。
わたしは、きっと貧乏症なのだろう。ものを簡単に捨てる事にためらいがある。それがキュウリの一切れであれ、イカの脚一本であれ、捨てるのにためらう……。
なので、愛の古い下着二枚は、とりあえずたたんで脱衣所の床に置いてあった。
サバティーニは、その上に乗っていた。猫は何かの上に乗ったり、座る習性がある。
しかも、その下着からは、洗濯したとはいえ愛の匂いが感じられるのかもしれない。猫や犬は、匂いに敏感だから……。
30分後。わたしは、店で針と糸を使って、古い下着を再生していた。
店のオーディオからは、リンダ・ロンシュタットが歌う〈銀の糸と金の針〉が低く流れていた。銀の糸ではなくただの木綿糸だったけれど、わたしはていねいに針を動かす。
一枚の下着をばらし、四角い袋を作る。もう一枚の下着もばらし、その中にいれた。
やがて、文庫本ぐらいの大きさの枕が出来た。猫のための枕……それが完成した。
そして夜中近い11時。二階にあるベッド。サバティーニは、その枕に頭をのせて眠っていた。口を少し開けたまま、愛の匂いがする枕に、縞模様の頭をのせていた……。
何か安心したような様子で……。
わたしは、その姿をじっと見つめていた。
サバティーニは、愛に撫でられている夢でも見ているのだろうか……。少し開いた口から、ニャッと小さな寝言がもれた。
開けた窓からは、森戸海岸からの波音がゆったりと聞こえていた。
作品紹介『潮風メニュー 』(角川文庫)
潮風メニュー
著者 喜多嶋 隆
定価: 814円(本体740円+税)
陽だまりのような小さな食堂。一緒なら、きっとうまくいく。
とれたての魚介類と、地元の有機野菜を使った料理が評判を呼び、海果の店は軌道に乗りはじめた。わけあって一人暮らしの 13 歳の愛に加え、迷子のサバトラの子猫も海果の家で暮らすことに。しかし、この店ごと買い取りたいという人が現れて――潮風の中で始まる恋と友情、そして新しい夢。葉山の海辺にある小さな料理店を舞台に、自分の居場所を見失った人々が、心を癒していく姿を温かく描くシリーズ。爽やかな感動の物語。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001808/
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有隣堂STORY STORY YOKOHAMA 名智理
https://kadobun.jp/feature/readings/bep8r1ltpggk.html