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連載

真藤順丈「ビヘイビア」 vol.2

技能実習生の女性が、謎の死を遂げた。移民国家・日本の様相を直木賞作家が描く! 真藤順丈「ビヘイビア」#1-2

真藤順丈「ビヘイビア」

Chapter.1

 の明けきらないこの時期に降る雨は、中途半端に気分を湿らせる。だけど通行人は細かな移動でもタクシーを拾ってくれる。
「ご乗車ありがとうございます、どちらまで?」
 月末の土曜日ともあって、家族連れやカップル、結婚式に向かう正装のグループも目立ったが、乗ってくるのは三分の一ほどが他国の観光客だった。そのほとんどが端末機器で目的地の住所を示してくるし、運転中も話しかけられることはめったにない。支払いも各種カードや交通系電子マネーですませるので、運転手がたとえ外国語に通じていても宝の持ち腐れになる。二度目の東京オリンピック・パラリンピックを一ケ月後に控えたこの時期にもかかわらずだ。
 おかげさまで儲けは上がっている。
 その日の午後だけでも、複数の外国人を乗せた。
 ちようで乗せたきよう系のビジネスマンを、ひろのセレブ・ガイジンようたしの舶来品スーパー〈ナショナルあざ〉で降ろす。青山霊園の隣のハーディー・バラックスやプチクーロン城と呼ばれる代々木会館をうかがいつつ〈空車〉で流し、麻布十番で乗ってきたクリスチャンの白人夫婦を、文京区の東京カテドラル聖マリア大聖堂に連れていった。行ってこいで拾えた白人女性が道すがら、コンビニに寄りたいというので店の前で待つ。店内では他にも、欧米系の客たちをアジア系の従業員がさばいている。それはここ数年でどこでも見られるようになった都市の風景だった。
 新宿なかで乗ってきた韓国系の家族を、わかまつかわまでショートで乗せた。在日韓国人家庭の教育の中心になっているこのかいわいは、電柱にも看板広告にもハングル文字が並んでいて通るたびにソウルの街路に迷いこんだ気分になる。もっとも日本人のアイキャッチをから当てこんでいない景観は珍しくない。コリアンタウンやイスラム横丁がひろがっているのは新大久保や池袋ばかりではない、えだがわきんちようかわしま、台東区から文京区にまたがるせん。フィリピン系ならいわかなまちはおよそリトル・マニラだし、ミャンマー人が集まる高田馬場はリトル・ヤンゴンの風情だ。
 新宿駅西口のそばのコンビニでおにぎりや巻き寿司、夜食用のカップ焼きそばや替えの靴下を買って、ユニクロの入ったパレットビルを冷やかすとそこでもたくさんのアジア系の従業員が立ち働いていた。その裏手にあるしょんべん横丁もとい〈思い出横丁〉もめっきり観光地となって、アジア系の若い男女がカメラをぶらさげた白人にホッピーやハイボールを供している。わざわざ軒先に日の丸を描いて〈日本人のみで営業してます〉と貼り紙をする店舗もあるぐらいだった。
(こういうときだからこそ、一人ひとりのふるまいが問われるのよ)
 妻のがことあるごとに言っていたのを思い出す。
 そりゃそうだけどさ、と返すのが常だった。
 この国を訪れる外国人たちは、ガラパゴスと化した列島の言語をしゃべれない。十にも満たない簡単な挨拶しか覚えない。そんな人々が働くとなれば、他人に接することの少ないバックヤードや厨房、深夜の工場の仕分けなどがメインになってくるが、かたやコンビニや飲食店で接客をこなす外国人は、一定の日本語能力を身につけて採用され、単純なレジや品出しだけでなく公共料金の支払いや宅配便の預かりといった煩多な業務をこなしている。私たちが日常でいちばんよく顔を合わせる店員たちは、在留外国人のなかでもりすぐりの秀才たちなのよと志穂は肩を持ったものだった。
(だってさとくん、英語圏ですらない他の国のお店で毎日大きな間違いも犯さずに働ける? そんなのほとんどの日本人に無理よ。だから注文した煙草たばこの銘柄をすぐに取ってこれなかったぐらいで横柄な態度になっちゃだめ)
 そりゃそうだけどさ。理屈ではわかるが、これだけ増えればままならなさもある。無節操さへの腹立ちとかちぐはぐなアウェイ感とか。これだから外国人は、とつうしたくなるのはオリパラが近づいてきたからといって変わるものでもない。
 大衆文化のカーニバル、景気回復のカンフル剤、街頭モニターでは競技選手たちがうまそうな食べ物や速い車やつやつや光る美容品を売るためのドラマを演じている。十五秒に一度のハッピーエンド。全都道府県をめぐりめぐって開会式場に着くという聖火は、いまごろどの地方にあるのやら?
 こっちは数年前から、JPNタクシーで都内を走っている。
 低い床と高い天井のトールワゴン型、電動式のなめらかなスライドドア。
 車椅子のままで乗り降りできるシームレス設計、ハイブリッドで地球にも優しい。
 じよううち智史。
 乗務員証に貼った写真の映えはそんなに悪くない。
 乗りこむ事業車のグレードは標準の〈なごみ〉。自分がタクシーの運転手になるなんて思ってもいなかったけど、一日十二時間をこの座席で過ごしていると、収まるべきところに収まったようなすがすがしさもある。城之内にとって黒の塗装のタクシーに乗る時間は、地滑りのように崩れ去った前職や家庭生活をいたみ、来し方をかえりみて、おごそかに喪に服すような歳月でもあった。

 都内を漂い、縫うように進み、乗ってきた客にどこそこに行けと告げられて、そこに行く。すべての目的地は偶然に支配され、決定権はこちらにはない。城之内がそこにいる唯一の存在価値レゾンデートルは、乗客の気まぐれに仕えること──一時しのぎだとしてもそんな試練の歳月は、自分をなんらかの方向に鍛錬してくれるようにも感じた。そうこうするうちに分別臭くなり、思ってもみないほどこの仕事に精通してきていた。
「……えっ、それはご勘弁を、もちろん経路は頭に入ってますので。それでその目印というか、そういうものは……」
 事業所からの無線の指示ではなかった。丸の内の商業ビルのトイレにこもり、スマートフォンで話をしていた。ついでに用を足しておきたかったが、緊張感をおぼえると出るものも出ないのは昔からの性分だった。
 それとなしにペーパーを取ろうとして、手が滑った。
「おわっ」
 腰を浮かせたはずみに、スマートフォンが便器の中に落下した。
 城之内は泡を食って、壁に頭突きする勢いで手を伸ばす。
 水没したスマートフォンの液晶表示は消えていた。
「もしもし、もしもし」
 通話も切れている。なんの応答も聞こえない。
 悪い歯ですずはくを嚙んだように城之内は顔を歪めた。この場合はどうなるのか、こちらから通話を断った格好になるのか。それはまずい。
「いやいやいや、それはない、まずいまずい……」
 恐ろしい相手なのだ。歯の透き間から飛沫しぶきを飛ばしてしゃべる。あらゆる光を偏光させるプリズムのような眼、普段は使わない脳の部位を疲弊させる言葉や態度の圧、それらに向きあうたびに城之内は、魂だけが回れ右をして一足先に帰ってしまうような感覚を味わう。通話の最後でもこなすべきことを首尾よくこなせなければ「手にくそをさせて、ぎゅっと握らせる」とすごまれたばかりだった。
 さしあたって公衆電話を探すか、だけど番号を暗記していない。こういうときはいたずらにオン/オフしないほうがいいんだっけ、だけど主電源を切ったと勘違いされたら、次に会ったときに何をされるかわかったものではない。もだえながら早足でトイレを出ると、丸の内TOKIAビルの前にめたタクシーに向かった。
 夜の十一時を回っている。左手にJRの高架、ばし通りを挟んだ正面の〈東京国際フォーラム〉は灯りを落としておらず、ガラス張りの豪華客船のようにも光の要塞のようにも見える。敷地の路面には格子状の照明が埋めこまれていて、そのうえを有楽町駅や東京駅に向かう人の波が通過していく。タクシーの運転席に乗りこもうとしたところで、城之内は向かいの街路に目を奪われた。
 東京国際フォーラムの側の歩道に、往来の流れに乗らない人影があった。
 壁を食い破って場違いな空間に出てきてしまったげつるいの群れのようだった。
 繁華なビルの灯の外側、繊細な夜の陰影のなかで身をこごめている。
 五人か六人ほどの男女は、いずれも国外出身者のようだった。
 城之内はタクシーを出さず、反対側の路肩から様子をうかがった。東南アジア系や中国系も交ざっている。国籍こそばらばらのようだが誰もが若く、びんしようで頑丈な基礎体力をそなえているように見える。東京国際フォーラムから出てきたわけではなさそうだ。コンサートホールや相田みつを美術館を見物する観光客とは一線を画する、へいさいしんをその身にまといつかせた外国人労働者とおぼしかった。
 おたがいにたえまなく言葉を交わしながら、いつまでたっても歩きださずに、何かを待っているような気配があった。
 あれは技能実習生じゃないかと城之内は思った。薄黒くかげった顔は、そばかすだらけだがつるつるのせつけんのようなアメリカやヨーロッパの若い観光客とはわけがちがう。この国での就労が自分たちの将来の試金石になると信じながら、同時に失われていく季節の予感におののいている。千葉や埼玉あたりから出てきたか。数年前から折にふれて騒がれている給与未払いや時間外労働、セクハラやパワハラ、ブラックな職場環境に耐えかねて集団で逃げだしてきたんじゃないか。
 丸の内のどまんなかに、ちいさな荒野が出現していた。
 地図も持たず、頼れる身内や案内人もいない、異国の遭難者がさまよう荒野だ。
 城之内はまいをおぼえて、けんを揉みしだいた。
 待っていれば乗ってくるか? それはないだろう。JPNタクシーが体現するのは〈日本人のおもてなしの心〉だけれど、若くて懐がさみしくて自由もない技能実習生や留学生がタクシーを拾うことはめったにない。彼らはそれこそ〈おもてなし〉のらちがいに固定されている存在だった。

>>#1-3

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「文芸カドカワ」2019年7月号収録「ビヘイビア」第 1 回より


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