1月31日(木)、重松清さんの新刊『木曜日の子ども』が発売となります。
本作の発売を記念して、1月21日(月)~30日(水)まで10日間連続での発売前特別試し読みを行います。(第1回から読む)
>>第9回はこちら
【第10回】
7年前、同級生無差別毒殺事件が起きた旭ヶ丘中学校。そこに転校した息子の
晴彦が事件の犯人に似ていると学校内で噂になっていると聞いた私は、担任の内藤先生を訪ね、犯人の上田祐太郎が帰ってきている、という衝撃の情報を聞かされる。
「上田祐太郎……旭ヶ丘に帰ってきてるんです……」
小川先生はあわてて私と内藤先生の間に割って入り、話を強引に止めた。私を振り向いて、「すみません、いまの話、聞かなかったことにしてもらえますか」と言う。「お願いします、なんの証拠もない話なんですから」
「あります」──内藤先生は言う。
「だめですって、ちょっと黙っててください」
「帰ってきてるんです、あの子」
「内藤先生!」
「もう、いま……そこにいるのかもしれない……」
内藤先生の声は、ふわっと浮いた。私の肩越しに窓の外を見つめるまなざしの焦点から、光が消えた。
小川先生はあわてて内藤先生の肩を揺さぶり、職員室にいた他の教師を呼んだ。
内藤先生をソファーに寝かせると、小川先生は「こっちで話をしましょうか」と私を校長室に招き入れた。
「内藤先生、ちょっと精神的に疲れてるんです、このところ」
ため息交じりに言って、「だから、晴彦くんのことも……」と、もっと深いため息をつく。
「上田祐太郎が帰ってきてるっていうのは、ほんとうなんですか」
小川先生は迷い顔になってしばらく黙っていたが、しょうがないな、と自分を無理に納得させるようにうなずいた。
「清水さん、くれぐれも、これはご内密に願います。ほんとうに、ちょっと、深刻な話なんですから。万が一にでも外部に漏れたら、大変なことになるんです」
私は黙ってうなずいた。
「上田は、先月、少年院を本退院しています。俗な言い方をすれば、シャバに出てきたわけです」
「でも、それ、テレビでは……」
「マスコミには公表していません。大騒ぎになるのが目に見えてますから。九人の犠牲者の遺族には法務省から連絡が行っているはずですが……七年で、みんな旭ヶ丘から引っ越してしまいましたから、おそらく、この街でそれを知っているひとは、ほとんどいないか、ゼロだと思います」
「いま、彼はどこにいるんですか」
「それは弁護士さんや家族にしかわかりません。あとは、もしかしたら警察もずっとマークしてるかもしれませんが」
居場所も、職業も、いま名乗っている名前も、なにもわからない。二十一歳の上田祐太郎は、どこにでもいる若者の一人になって、この時代の、この国の、この社会の中に紛れ込んだ。
「旭ヶ丘に帰ってきている可能性は……」
「それはないですよ。だって、もう家もないんだし、ご存じのとおり、ここにはアパートや賃貸のマンションもないんですから、帰ってきたって住むところもありません」
「ですよね……」
「だから、内藤先生のことも、同僚がこういうことを言うのもアレなんですが、半分は被害妄想めいたところもあるとは思うんです」
半分は──と、小川先生は微妙に含みのある言い方をして、もう一度、このことは絶対に口外しないよう強く釘を刺してから、残り半分について教えてくれた。
「先週、学校宛てに手紙が来たんです。正確には、内藤先生を名指しで」
「……上田から、ですか」
「わかりません。ただ、内藤先生は、上田だと信じきっています」
便箋に手書きの、ほんの一行しかない短い手紙だった。
〈木曜日の子どもは元気ですか〉
「脅迫状っていうわけじゃないんですが、やっぱり気になりますから、いちおう警察に届けたんです」
所轄の旭ヶ丘署は、ただの悪質ないたずらと判断した。この程度の文面では、脅迫の被害届を出すこともできなかった。
「まあ、確かに、内藤先生宛てに送ってきたことが気になるといえばなるんですが、当時の報道を調べれば、内藤先生があのときにウチの学校にいて、現場の目撃者でもあったということはすぐにわかりますから」
ところが、さきおとといの朝──つまり、内藤先生が晴彦を上田祐太郎に重ね合わせた朝、二通目の手紙が届けられた。
「ポストに投函したんじゃなくて、学校の郵便受けに直接入れてあったんです」
最初の手紙と同じ便箋に、やはり同じように一行だけ手書きで記されていた。
〈木曜日の子どもが欲しい〉
奇妙な偶然──いや、運命の導きだったのだろうか。
その文面を知らされて背筋がぞくっとした私の目に、壁の時計の文字盤がくっきりと飛び込んできた。
午後七時四十九分──。
覚える必要などない時刻だったし、そもそも見る必要などない文字盤だった。
だが、あとで私は知ることになる。
旭ヶ丘三丁目のある家で、庭で飼っていた犬が急に苦しみはじめたのは、その夜の、ちょうどその時刻だった。
犬は口から泡を噴いて全身を激しく痙攣させ、異変に気づいた家族が獣医に連れていく間もなく、死んだ。犬小屋の前にあった水飲みボウルの水に混入されたワルキューレによる毒殺だった。
(このつづきは本編でお楽しみください)
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■重松清『木曜日の子ども』
「きみたちは、世界の終わりを見たくはないか――?」 震撼の黙示録!
「世界はこんなに弱くてもろくて、滅ぼすなんて簡単なんだってことを……ウエダサマが教えてくれたんですよ」
7年前、旭ヶ丘の中学校で起きた、クラスメイト9人の無差別毒殺事件。
結婚を機にその地に越してきた私は、妻の連れ子である14歳の晴彦との距離をつかみかねていた。
前の学校でひどいいじめに遭っていた晴彦は、毒殺事件の犯人・上田祐太郎と面影が似ているらしい。
この夏、上田は社会に復帰し、ひそかに噂が流れる――世界の終わりを見せるために、ウエダサマが降臨した。
やがて旭ヶ丘に相次ぐ、不審者情報、飼い犬の変死、学校への脅迫状。
一方、晴彦は「友だちができたんだ」と笑う。信じたい。けれど、確かめるのが怖い。
そして再び、「事件」は起きた――。
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