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試し読み

澄んだ双眸、芸術的な曲線をえがく横顔。女神のような彼女に、俺は運命的な恋をした――渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』試し読み①

「復讐に燃える女子高生」という強烈なテーマのデビュー作『ラメルノエリキサ』が話題となった渡辺優さんの最新作『きみがいた世界は完璧でした、が』が3月19日に発売となります。
大学のサバゲ―サークルで、かつて熱中していたゲームのヒロインにそっくりな美少女・エマに恋をした主人公の日野。二度告白するも振られ、今後は彼女を遠く見守ろうと決意した矢先、彼女に害をなすストーカー犯が現れる。犯人を絶対許さないことを決めた日野は、次第に暴走してゆき――。
発売に先駆け、本作の魅力がたっぷり詰まった第一章をまるまる大公開!
痛快な毒とユーモアがたっぷり詰まった本作、ぜひお楽しみください。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

第一章

 美しい彼女を前にして、俺から差し出せるものなどなにひとつありませんでした。
 せめて贈る言葉だけはその奇跡に相応しいものにしたいと望んでいたのですが、ごちゃごちゃと飾りたてた言葉など、彼女の繊細な瞬きの前にはまったくの無価値だと知りました。そこで俺は、ただ、今この瞬間、誠実であろうと決めました。正直であろう。率直であろう、と。比喩でなく、俺は神を前にした無力な人間でした。胸の奥からわき上がる想いを、ただ、真っ直ぐに伝えることしかできない。
「あなたのことが好きです」
 なんとか絞り出した声に、伏せられていた彼女の睫毛が、音もなく持ち上がりました。澄んだ双眸が俺を捉とらえます。その眼差しに導かれるように、俺は言葉を続けました。
「すごく好きです」
 なんて愚鈍な、と思います。
 でも、仕方がないのです。彼女を前にすると、俺は。
 彼女と俺の間を、一陣の風が通り抜けました。両足に力をいれ続けていなければ、自転する大地に置き去りにされてしまう。そんなイメージが一瞬浮かび、消えました。
 彼女を前にするとどうしようもなくなる。ただでさえ俺は、自分が豚野郎であることを自覚しています。取り柄といえば、愛くるしい笑顔くらいでしょうか。イエー。あと、豚だけあって多少寒さには強いです。それから、気性の穏やかさだけは人からもほめられたりします。あとは、課題の提出の早さなんかは教授たちの間で定評がありますね。ああ、でも、そんな些末なこと、彼女の前では。
 愚かな豚の言葉を、しかし彼女は嗤ったりしませんでした。
 彼女は、たっぷり五秒ほど俺を見つめた後(永遠に最も近い五秒でした)、森の奥に隠れる湖面のような静かな声で、言いました。
「それで?」
 それで、と。
「え……っと、いや、あの」
 彼女が俺に、更なる発言を求めている。
 その奇跡に胸が震え、頭には熱い血が上りました。視野は縮小され、俺の目にはもう、彼女しか映らない。
 大学の図書館奥、キャンパスの敷地端に位置する、何かの記念に設置されたらしい小さな噴水と、数脚のベンチだけが置かれた空間。彼女への想いを告げる場に、俺はこの建物と木の陰に隠れた、密やかな場所を選びました。冬の間は乾いた底石を晒していた水場は、新たな年度の始まりとともに今、豊かな水を湛えています。
 熱に浮かされた頭にも、涼やかな水音が聞こえました。浮き世にあって、穢れのない静謐さに満ちた場所。彼女にはこんな世界が相応しいと、思ったのです。
 俺は腕を持ち上げ、小さく歪に膨らんだ、左の胸ポケットに手を触れました。その中には俺の彼女に対する想いの証明が収められています。その確かな存在が、背中を押しました。
「俺と、付き合ってもらえないでしょうか」
 意外にも、喉から溢れ出たその声は、震えたり、掠れたりはしていませんでした。身体の底から流れ出た、飾りのない、ただの言葉。
 彼女の顔が、静かに横を向きました。肩より少し伸びた髪が、つられて鎖骨の上に落ちました。芸術的な曲線を描く横顔、その視線は、遠く続くグラウンドの芝生の方へと向けられています。
 俺はこみ上げるこの気持ちが、好きな女の子を見つめる感動なのか、あるいはなにか、神秘的な生き物を見つめるときのそれなのか、わからなくなっていました。ただ、ずっと気がかりに思っているのは、彼女の視線の中にある、翳り。悲しみのような、寂しさのような。それは俺たちが初めて出会った一年前から、彼女の瞳に絶えず宿っていたものでした。俺はもう一年もの間、彼女を見つめると同時に、その翳を為すすべもなく見守り続けてきたのです。
 あなたを幸せにしたい。
 俺にもっと勇気があれば、そして、俺がもっと恥知らずでいられたなら、きっとそう告げていたでしょう。俺が本当に望んでいることはそれなのです。彼女にはどうか、曇りなく、翳りなく、心の底から笑っていて欲しい。
「ごめんなさい」
 とても静かな呼吸で、彼女はそう言いました。
 悲しい言葉。しかしその言葉を、俺はもちろん予想していました。だから、絶望はない。ただ、言葉の意味する悲しみだけが、鋭く胸に染みました。
「そう……ですか」
「はい」
「それは……」
「ていうかあの、二度目ですよね」
「え?」
「去年? も言ってきましたよね、なんか」
「え、あ、はい」
 一年前、大学に入学し、そこで出会った彼女にひと目で心奪われた俺は、それからひと月も経たないうちに今と同じように想いを告げました。そのときの回答も、今と同じように「ごめんなさい」という、悲しいものだったのですが。
「あ、覚えていてくれたんですね」
「はあ……。あの、もういいんで」
「え?」
「もういいんで、こういうの。何回来られても、時間取られるのもアレなんで」
「あ……そうですか」
「はい」
「そうですか……すみません、あの」
 お時間を取らせて、と言い切る前に、彼女は二センチほど頭を下げ、俺の横を颯爽と通り過ぎていきました。風に乗って、何か花のような、果物のような甘い香りが届きました。振り返ると、彼女はもうポケットからスマホを取り出すところで、そのまま一度もこちらを振り向くことなく、講義棟への渡り廊下を歩いて行きました。歩きスマホは危ないぜ……という言葉が、頭の中に木霊しました。
 水音と、風、微かな香りだけが、俺と共に残されていました。見上げれば、高く聳える赤煉瓦の図書館と、澄んだ空。胸の中には、なお変わることのない彼女への、想い。
 そして、俺は決めました。俺は彼女と共にはいられない。それは彼女の望みではない。それでも構わない。俺は、遠く、彼女を見守り続けよう。彼女の幸福を願い続けよう。
 彼女がいつか、どこかで心の底から笑ってくれるなら、俺はなんだってしてみせる。

(つづく)


書影

渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』
定価: 1,870円(本体1,700円+税)
※画像タップでAmazonページに移動します。


渡辺優『きみがいた世界は完璧でした、が』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322007000498/


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