『君に選ばれたい人生だった』より「あぁ、もう。」
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SNS総フォロワー39万人の著者が紡ぐ、共感必至の連作小説集。メンヘラ大学生『君に選ばれたい人生だった』収録「あぁ、もう。」試し読み#2
若者から絶大な人気を集め、SNS総フォロワー39万人を誇るメンヘラ大学生さんの連作小説集『君に選ばれたい人生だった』が2023年9月26日に発売!多くの共感を呼ぶバンド「Saucy Dog」の楽曲を素に著者独自の解釈で物語を紡ぎました。
収録作は「あぁ、もう。」「煙」「シンデレラボーイ」「ナイトクロージング」「ノンフィクション」の5篇。緩やかにつながる5つ物語が、感動のラストへと導きます。
今回は刊行を記念して、冒頭試し読みを公開!
恋、夢、就活――。選ばれなかった人たちの共感必至の物語、ぜひお楽しみください!
「Saucy Dog」の楽曲から生まれた、共感必至の連作小説集。メンヘラ大学生『君に選ばれたい人生だった』収録「あぁ、もう。」試し読み#2
今までの人生が昭和のモノクロ映画だとしたら、先輩とメッセージをやり取りをするようになってからの人生は令和の青春映画だ。そう感傷に浸ってしまえるくらい、日常は急激に色を付けた。好きな人に認識してもらえて連絡を取り合えることが、こんなにも心躍るだなんて想像もしていなかった。
誠に聞くまでもなく、先輩がどんなものが好きで、どんなものに囲まれて生きているのかをインスタやラインでのやり取りから探った。最近は、そこで知ることができた先輩の生活をなぞるようにして生きている。
アラームの音で目を覚ますと、スマホの画面には友達からのメッセージが二、三通表示されている。その中に、先輩からのラインは見当たらない。先輩は朝が弱いらしく、あたしが夜中に送ったメッセージは朝見ても大抵既読は付いていない。
へこたれずに、熱めのシャワーで寝ぼけた脳みそを無理やり起こす。今まで早起きするのが億劫でしてこなかったけれど、朝にシャワーを浴びるのは意外と気持ちがいいことに気付いた。さっきまで見ていたはずのうろ覚えの夢だとか、寝起き頭の隅に残ったモヤだとかを溶かしてくれる気がする。
シャワーを浴びた後は、タオルで髪の水分を丁寧に拭き取りながら、洗面台の前で先輩が好きなロックバンドの音楽を流す。ボーカルの透き通った高音が特徴の、今流行りつつあるらしいバンド。先輩のラインミュージックに設定されているのを目にしてから、あたしは血眼になってユーチューブでそのミュージックビデオを探し出した。
前奏のメロディに思わず身体が揺れる。先輩と同じ曲を聴いているという事実だけで、朝からじわじわと元気が湧いてくる。たぶん、あたしだけで百回は再生数に貢献していると思うし、サビならもう余裕で口ずさめる自信すらある。
適当にインスタをスクロールしていると、先輩がいいねしていた清楚派女優の写真が流れてきて、髪を乾かしていた手櫛にぐっと力が入る。きっと、先輩の好みなんだと思う。写真に写る女優の艶やかな髪の毛は、腰の横辺りまで綺麗に伸びていた。
ボブくらいの長さを保っていた、あたしの髪の目標値が定まる。最低でも胸元までは伸ばすんだ、絶対に。
恋をするってものすごく怖いことだと最近思う。今まで自分のために使っていた時間が好きな人のために消費されていって、好きな人のためなら躊躇いなく自分自身さえも変えようとして、しかもそれが意外と悪くないって思えてしまう感覚。洗面台の鏡に映るあたしは、先輩と学校ですれ違うことを考えただけでニヤけてしまっている。
今の今まで、自分のことを冷静な人間だと思い込んでいた。恋に落ちて分かりやすく自分を見失ったり、情緒が乱れていったりする人たちと、あたしは違うと思っていた。でもそれはたぶん、今まで自分を傍観者だと決め込んでいたからだった。
好きな人を遠くから眺めていた頃は、顔を見られるだけで満ち足りていた。それはきっと、アイドルを推すときの感情に似ていた。心のどこかでその人たちは別次元の人なんだと認識して、交わらない人として一線を引いていた。
なのに、当事者になった途端、好きな人とラインのやり取りまでしているというのに、それだけじゃ物足りなくなっている。ひびの入った花瓶に水を注ぎ続けるように、満たされない。先輩の声が聞きたい。直接会って、先輩の好きなバンドの話をしてみたい。一番近いところで、その綺麗な横顔を眺めたい。
際限ないわがままが胸の内を満たして、自己嫌悪に陥る。あたしってこんなに欲張りな人間だったっけ?
「有咲、時間大丈夫なの?」
お母さんの声が引き戸を挟んだ向こう側から聞こえて我に返った。こうやって先輩のことを考えていると、時間は一瞬で溶ける。
八時二十分には校門に入っていないと、数学教師で生活指導のハゲ山に怒られる。ハゲ山は、いつでも他の生徒の前で晒すようにして怒る。くわえて、遅刻した生徒を授業中でもお構いなく名指ししてくるから、そのターゲットにされるのだけはどうにか避けなきゃいけない。
髪型と眉毛がおかしくないか、玄関前の鏡で確かめる。急いでドアノブを押すと隙間から冷えた空気が潜り込んできて、露出させた肌を容赦なく襲う。
ほんの少しの期待を込めてちらとスマホの画面を覗く。どんなに朝に弱い人でも流石に起きていそうな時間なのに先輩専用の通知は届いていなくて、先輩からのメッセージにだけ鳴るバンドの歌は流れてくる気配すらない。諦めて、スマホをマナーモードに設定した。
─先輩からのラインが届くか。それだけのことで朝のモチベーションは容易に左右される。肩に食い込むバッグの持ち手がやけに重い。重いのはバッグなのかあたしなのかも分からない。
日に日に自分の中で先輩の存在が大きくなっているのを感じる。幸せだと思えるハードルがぐんぐんと上がっていて、このままじゃだめだと唇を噛むと、血の味が口の中で広がった。久しぶりに巻いたマフラーからは、ふわっとクローゼットの匂いが香っている。
〇
早歩きで学校へ向かっていると、見慣れた猫背姿が目に留まった。
「誠ーおはよ!」
「……おはよ。朝からテンション高くね? 一日もつ?」
「高くしないとやってられないの。先輩から昨日ライン返ってこなくて」
「朝早くから惚気るなって。お腹いっぱい」
「そんなんじゃないから。それより誠がこんな遅い時間に歩いてんの珍しくない? さては夜更かし?」
「そりゃ、昨日も夜遅くに誰かさんから電話きて、恋愛相談に乗ってましたからね。普通に寝坊したっつーの」
誠のわざとらしい口調に思わず笑ってしまう。
「いや、いつも夜中まで電話ありがとね? 誠のお陰で先輩と連絡取り合えるようになったし、そこはほんとに感謝してる」
「まあ、いいけどさ」
誠は興味がないというふうに、眠そうな顔を隠そうともせず大きくあくびをした。あたしも気を遣うことなく言葉を続ける。
「朝から申し訳ないんだけど一個相談いい? そろそろ先輩と電話してみたいんだけど、もし誠だったら自分からかける? いきなりかけたら迷惑だって思われない? その辺、男の人ってどうなのか教えてよ」
誠は顎に手を当てて、左上の方をぼうっと見上げた。つられて見上げると、重たそうな雲がつらなって空に浮かんでいる。
「皆が皆そうかは分からんけど。好きな人から電話きたら迷惑だなんて少しも思わないし、誰だって迷わず出ちゃうと思うよ」
それは、そうだ。もし先輩から電話がきたら、あたしは光にも負けない速さで通話ボタンに触れてしまうと思う。でも、もし自分からかけたとして、先輩が電話に出てくれなかったら一生立ち直れない。
誠はいつもと変わらず気だるそうに背中を丸めている。少し投げやりにも思える空気感も、飛んでくる的確なアドバイスも、全部含めて居心地が良い。またちょっとした悩みが浮かべば、頼ってしまうんだろうな、と思う。
この、あたしばかりが相談するという構図は、昔から変わらない。そのせいか、誠が誰を好きになった、みたいな話は聞いたことがなかった。好きになられた、というのは時々噂で耳にする。誠も顔はかなり整っている部類に入るし、好きになる女の子の気持ちも分からなくはない。わざわざ口に出していないだけで、裏では色々あったりするんだろう。
いつかあたしも、誠から恋愛相談をされる日がくるんだろうか。その仏頂面を紅く染める姿を想像したらなんだかおかしくて、それをいじる日が待ち遠しい気もした。
「なにニヤついてんの? 間に合わないと、またハゲ山に怒られるよ」
「別にニヤついてないし。ハゲ山に怒られるのだけは勘弁、ちょっと校門まで走ろ!」
地面を蹴ると、足の裏に硬いアスファルトの反動が伝わった。段々と息が切れてきて、乾いた空気が喉を行ったり来たりする。肌を撫でる空気は冷たいのに、背中にはうっすらと汗が滲む。
「大丈夫?」
振り返った誠の仏頂面の中に、ほんの一筋、あたしへの気遣いが浮かんだ、ような気がした。
もしもあたしと先輩が付き合うことができたら、誠との関係も変わっていくんだろうか。誠に恋人ができたら、こんなふうに朝偶然居合わせて並んで登校することも、気軽にはできなくなるんだろうか。背中を眺めているとそれはそれで少し寂しいような気もして、自分でもよく分からない感情を振り払うように大きな背中を追いかけた。
〇
先輩に会いたい。
その一心で、今日の昼休みも友人をつれて長い渡り廊下を踏みしめる。わざわざ購買のある校舎まで通っていちご牛乳を買い続けてもう八日目になるけれど、一目惚れして以来、学校では未だにすれ違うことができずにいた。
最近は、何をしていても先輩のことを考えてしまう。グラウンドから声が聞こえれば、窓際の席から先輩のジャージ姿を探した。全校集会があれば、精一杯背伸びをして、広い体育館の中で先輩の影を探した。そこまで脳内を支配されていたのに、姿を目にすることはなかなかできなかった。
何でも無い顔をして、今日だけで二本目にもなるいちご牛乳を買う。桃色の飲み口にストローを当てながら、廊下をゆっくり歩く。友達が今日はあと何回行くのー? と聞いてきて、あたしは心の中で先輩と会えるまで! と答えた。もう半分は意地だった。
今回も駄目かもしれない。そう諦めかけたところで、十メートル先の曲がり角がぱっと輝いた。物理的にじゃなくて、感覚的に、輝いた。それは、たしかにスタバで見かけたあの人だった。
どうにかして気付かれたい、と思った。でも、気付かれてもどんな顔をすればいいか分からないから、やっぱり気付かれなくていい。でも、やっぱり気付かれたい。先輩の顔を拝むために離れた校舎を三往復もしたくせに、いざというときに怖気付いてしまう。
いつもこうだ。あたしは変なところで積極的なくせに、変なところで臆病なのだ。購買までは何度だって通えるくせに、三年五組の教室まで行くのは怖い。好きな人を遠くから眺めていた頃の癖が、大事な場面になると自分の首を絞める。
先輩は数人の男友達に囲まれて、談笑していた。友達らしき人が何かを口にして、先輩が笑う。先輩の目尻は線みたいに細くなる。ふと、心臓が押しつぶされそうな感覚に陥る。もっと近くで先輩の顔を眺めてみたい、と思う。
先輩と向かい合って、お互いに歩みを止めない。一歩進むだけで、距離は一気に縮まる。もう目線を逸らさないと決心する。一方的に見ているだけじゃなくて、あたしの存在を先輩にも知ってほしい。あたしだけ眺めているのは、もう嫌だ。
すると想いが直接届いたかのように、先輩の視線は友達からゆっくりとあたしの方へ移動して、そして完全に、焦点が合った。あれだけ願っていた瞬間が、ようやく訪れた。
永遠にも思える時間が流れた。きっと現実では一秒に満たない長さだったけど、あたしたちはお互いの存在をたしかに認識した。
嬉しいことはそれだけでは終わらなかった。先輩はネクタイの結び目辺りに左の手のひらを持ってきたかと思うと、あたしだけに分かるくらいに小さくひらひらと振った。先輩の穏やかな視線は、間違いなくあたしを捉えていた。
花瓶から水が溢れた。一日における幸せの許容範囲を、完全に超えていた。
(続きは本書でお楽しみください)
作品紹介
君に選ばれたい人生だった
著者 メンヘラ大学生
発売日:2023年09月26日
Saucy Dogの楽曲から生まれた、共感必至の連作短編集!
多くの共感を呼ぶバンドの楽曲を素に、SNSで人気のメンヘラ大学生が、独自の解釈で物語を紡ぎました。
◆収録短篇
「あぁ、もう。」
「煙」
「シンデレラボーイ」
「ナイトクロージング」
「ノンフィクション」
詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322203001854/
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