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これは、完全に青春を失った若者の偽書。
でも、あなたの物語かもしれない。
3月1日(金)発売の単行本『毒よりもなお』より、冒頭計30ページの試し読みを公開!
《著者からのメッセージ》
「フジファブリックの名曲「若者のすべて」を聴きながら、そんな「すべて」がはじめから失われていた「若者」の物語を、実話に着想を得ながら書きました。せつなさと苦みのある青春サイコサスペンスです」。
ぜひ、お楽しみください!
>>第1回はこちら
1:二〇一八年 首絞めヒロ
1
間違いなく、生まれて初めて経験する猛暑が続いていた。熱中症で死亡した児童のニュースを流すテレビを、私はエアコンのきいた図書館の一室で眺めていた。
頭の中に、フジファブリックの曲を流す。ギターの山内がヴォーカルを務めるようになってからの楽曲の中でも最近配信された「手紙」は屈指の名曲だ。あくびをする猫のような伸びやかな曲調が、この午後には合っていた。
〈練馬少年少女文芸図書館〉にはその名前とは裏腹に日中は年配の好事家が多くやってくる。蔵書数が多いのだ。とはいえ、図書館司書でもなく、スタッフでもない私にとってそれらは通過する川の水のようなものでしかない。私はただ通路に面したガラス越しに、人の流れを見ている。
そして──この小さな一室は、恐らく図書館の中で唯一、本が一冊もない空間だ。真っ白な壁と、安手の長机。簡易の折り畳み椅子が二脚、長机を挟むようにして配置されている。その、奥のほうに腰かけていて、ガラス張りの通路をぼんやりと眺めている。手はペンを持ち、いかにも仕事をしている風だが、実際のところ今は取り立ててやるべきことがなかった。
今日は午後二時からの三時間だけだが、それでもまずまずの件数をこなした。終了まであと十分。もうさすがに誰もこないだろう。周りの書類を整理して帰り支度でも始めるか。私は外の気温のことなんかを考えながら、ペンを筆入れにしまった。
まだ外は暑いのだろうか。七月の夕方五時といえば、昼間みたいなものだ。駅まで十分の距離を歩くことを考えると、いつもとは違う日陰ルートを考えたほうがいいかも知れない。
最近では、この〈練馬少年少女文芸図書館〉から練馬駅まで歩くのにもすっかり慣れた。週に一度でも、長らく通えば親しみが湧くようで、以前は気にも留めなかった光景に徐々に愛情を覚えるようになった。北口の大通りは穏やかな文教エリア然としているが、一歩細道に足を踏み入れれば個性的なショップも点在している。
東京にはまだまだ自分の知らない場所がある。数年前までは、練馬もそんな土地の一つだったが、縁あって定期的に通うようになった。
図書館の空いている一室を使って出張心理カウンセリングをするようになったのは、二年前からだった。当初はそれほど認知度も高くなかったが、図書館がSNSアカウントで〈苦しんでいる君へ。自殺を図るなら学校を休んで図書館においで〉と謳ってからは、不登校児童からの相談が一気に増えた。
カウンセリングは、仕事のシフト上、早めに終われる金曜日の午後二時から。それと隔週の土曜日。
この日は金曜日で、私はいつも通り午後二時からカウンセリングをこなしていた。自分で始めたことだったが、最近は相談件数が増えて夕方五時に近づくとさすがに肩が凝ってきた。けれど、もはや常連の子もいる。一度始めたら、簡単にやめるわけにはいかない。
「ご苦労様」
館長の八木田が現れたのは、四時五十五分頃だった。今日はいつもより図書館が空いているようだったから、暇になったのだろう。
「お疲れ様です」
彼は、私が大学生の頃所属していた読書サークルにOBとしてたまに顔を出していた。二年前、図書館館長になった八木田から、児童相談所にも相談できない悩みを抱えて図書館に身を寄せる不登校児童の存在を聞かされ、カウンセリングを申し出たのが始まりだった。
「今日は何件きたの?」
「十五件ですかね」
「すごいな。それだけの子がこの地域でいじめに遭ってるのか……」
「いじめとは限りません。家庭に問題を抱えた子もいますし、主婦の方も何人か見えましたね。あと、雑談がしたいだけの方もちらほら……」
セクハラまがいの発言を繰り返すのだけが楽しみで来ているお年寄りの男性もいる。すべての事例を伝えれば、真面目な八木田のことだからそういう相談者を排除しようとするだろう。
でも、門戸は広く設けておかなければ意味がない。たとえ最初はセクハラまがいの発言を繰り返しているだけでも、何度も足を運ぶうちに腹の底に抱えた悩みを打ち明けてくる可能性だってある。
「まあでも、美谷のおかげで、利用者が少し増えている気がするよ。相談した帰りに本を借りて帰ってくれるのかも。やっぱり、お給料ちょっとは出すよ」
「結構です。私のカウンセリング料、普通に設定したら高いですよ」
週に五日は都内のクリニックでカウンセラーの仕事をし、週末はノンフィクションライターとして取材や執筆に充てている。ここでお金をもらわなくても、生活には困っていない。
「そうかい。悪いね」
「とんでもない。カウンセリングによって救われる命もあるんだと思えば、張り合いも出ます」
八木田は弱々しく微笑んだ。
「前に話したっけね。ここにずっと通っていた女子高生がいたんだ。平日の昼間ばかりで、土日はやってこない。ある時、いつもご利用ありがとうって声をかけたら、彼女泣き出してね。でも、理由はわからなかった。それから一か月ほどしてからさ、新聞に酒気帯び運転による死亡事故の記事が載っていた。運転手の男性と、助手席にいた女性の写真が並んでて、女性のほうが、その女子高生だった」
「運転手のご家族だったんですか?」
「いや、週刊誌などの情報によれば、周囲の人間に聞いても二人に接点は見当たらなかったが、直前に男と居酒屋に入るところが目撃されていたそうだ。彼にしてみれば、かわいい娘が突然ナンパに引っかかって上機嫌になり、車で来ているのも忘れて飲んでしまったってなところなんだろう。まさか、彼女にべつの魂胆があって男を必要以上に酔わせていたなんて思わずに」
「彼女が図った無理心中だったんですか?」
「確証はない。死後、警察は男を過失致死容疑で送検した。俺は納得いかなくて彼女の実家に問い合わせ、いじめの事実や遺書と思しきものが部屋にあることを知った。なんであの時に気づいてやれなかったんだろうと今でも悔やまれる」
「……自死の意思があることを事前に見抜くのは、私たちプロでも相当難しいです。ご自分を責めないほうがいいですよ」
「わかってはいる。でも、悔やんじゃうのさ。きっとその時の後悔があったから、君に不登校児童の存在を打ち明けたんだと思う」
「そうだったんですか……」
八木田は思い出したのか、眼鏡を外してハンカチで目頭を軽く押さえた。それからふたたび眼鏡をかける。昔から情に厚いところのある男だった。大学時代、キャンパスでぽつんと佇んでいる私に声をかけ、「学生のうちは仲間がいたほうがいいよ」と、自分がかつて所属していたという読書サークルの溜り場へ連れて行ってくれたのも八木田だった。
仲間を作るのが苦手な性分の私は、八木田に声をかけられて心底救われた気がしたものだ。
「おっと、客が来たみたいだ」
ふと見ると、入口に若い娘がもじもじと立ち尽くしている。
「どうぞ、お入りください」
私は声をかけた。が、まだ八木田がいることに気兼ねしているのか入ろうとしない。八木田は小声でささやく。
「じゃあ、失礼するよ。あと少しだからがんばって」
「ありがとうございます」
立ち去る八木田に手で中へと促され、若い娘はようやくもぞもぞと頭を下げながら入ってきた。
2
「お座りください」
彼女はちらちらと私の顔を確認しながら、遠慮がちに数度頭を下げて、着席した。
年齢は十五から十七といったところか。本来なら高校に通っている年齢だろう。今はまだ七月の半ば。平日。終業式を迎えた高校はまだないし、五時近いとはいえ、女子が私服に着替えて図書館に現れるのは時間的にかなり厳しいものがある。
私はにこやかな笑みを浮かべて彼女が椅子に馴染むまでを静かに見守りつつ、改めて彼女の服装をチェックする。ひらひらとしたスカート、妙に生真面目な印象を抱かせる水色のブラウス。この二つがどうにもミスマッチに感じられるせいか、年齢より精神的に幼いような印象を受ける。小学生の頃着ていた服装の延長線上で服を選んだ結果、身体の成長とちぐはぐになってしまったといった感じだ。
「はじめまして。私はカウンセラーの美谷千尋といいます。よろしくね。かわいいわね、お洋服」
はじめから用件にすぐに入らないほうがいい。これはカウンセリングのやり方の一つ。まずは服装を褒める。容姿を褒めないのは、人によって自分の容姿に不満を持っている者もいるから。でも、服は自分をよく見せるために選ぶものであり、服を褒められることをいやがる人はあまりいない。
案の定、彼女はわずかにはにかみつつも嬉しそうな顔になった。
「109で買ったんです、このあいだ」
その言葉には「109で買った」という事実以上に、「109まで自分はショッピングに行くことができた」という喜びが感じられた。いつも閉じこもってばかりいるわけではないと誇示しているのでもあろうし、裏を返せば滅多に外出しないということでもある。
「109かぁ。最近行ってないな。だいぶ変わったんでしょうね」
「駅とつながってるから、日焼けせずに行けますよ」
この時期ならではの特殊な情報を持ち出してくる。会話のチョイスに奇妙な印象を受けた。だが、診断は私の役割ではない。私の任務は、悩みに耳を傾けることだ。
「お名前を伺ってもいいかしら? 匿名でも構わないけれど」
「今道奈央です」
「いまみちなおさんね」
診察料ももらわないカウンセリングだから、原則漢字を聞いたりもしないが、彼女はわざわざペンをとり、漢字を教えてくれた。だが、それ以降は黙ってしまって用件を切り出そうとしなかった。こういう時は、こっちから水を向けるしかない。
「学校は、今日はお休みなの?」
首を横に振る。
「行きたくない理由があるのかな?」
今度は黙る。
何かしゃべりたいことがあってここへ来たはずだ。
「本は好き?」
話題を変えてみた。遠回りなようだが、話題を転がしながら寄せては返す波のように進めていくしかない。
「はい」
「どんな本を読むの?」
「どんな……」
彼女は首を傾げる。
「ミステリは好き?」
首を横に振る。
「ファンタジー? ホラー?」
「……キングが好きです」
「ああ、ホラー小説が好きなのね」
だが、私の確認には首をかしげる。ジャンルには詳しくないか、小説をジャンル分けすること自体を好まないのか。あるいは、スティーヴン・キングの小説をそれだけ神聖視しているのか。
この手の話題では、ジャンルで括る人間のほうが絶対的多数だが、彼女はそうではないらしい。カテゴライズは人間が「生きやすいように」物事を簡便化するために行なうもの。それをしない人間は、純粋であり、生きづらい。
「キングのどんなところが好き?」
「どんな……悲しい、ところが。あと、痛いところが」
「痛い?」
「キングの小説を読むと、ずっと痛い感じがするんです。でも、読み終えると、いまの自分をそれほど苦しく考えなくて済みます。ほんの、つかの間ですけど」
「なるほど。つまり、あなたは何か大きな問題を抱えているのね。それで苦しくて、心が痛いんでしょう?」
フィクションの中で痛みを求めるのは、自傷行為の半歩手前だ。読書の傾向だけで留まってくれるなら、ありがたい話だ。むしろ、あらゆる自殺志願者に痛みを伴うフィクションの享受を義務付けたらいいのかも知れない。
だが、ことはそれほど単純ではない。心は思いがけない形で悪化しやすいのだ。明日にも退院という患者が、病室で自殺に踏み切った事例を何度か聞いたことがある。治る前も、治ってからも、人の心にはよくわからない領域が残る。
>>第3回へつづく
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書誌情報はこちら>>森 晶麿『毒よりもなお』
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