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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.55

【連載55回】東田直樹の絆創膏日記「蓑虫になりたかった僕」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第54回】東田直樹の絆創膏日記「秋なのに、今日は春」

 イチョウの木の葉っぱは、黄金みたいに輝いて見える。そこだけ別世界かと思うくらいに美しい。
 イチョウの木の側に立つと、キラキラという音が聞こえて来るような気がする。
 これは、葉っぱがこすれ合う音ではなく、お日様の光が葉に反射して瞳に映る時に感じる感覚が生み出す音色なのだと思う。
 こんなにもきれいな景色を見ることが出来るなんて幸運だ。僕はひとり、にやにやする。宝くじにでも当たった気分になる。
 きれいなものを見ただけなのに、お腹がいっぱいになったわけでも、何かを手に入れたわけでもないのに不思議だ。
 人が美しさに感動するのは、どうしてなのだろう。
 きっと、魂が安らぐからに違いない。
 僕は、心と魂は別のものではないかと考えることがある。だから、心が満足しても、魂が満足するとは限らないのだ。
 魂とは、人の肉体に宿る精気だという。
 魂が休息している間、人は心に意識を向ける。「このままでいいの?」「これでいいの?」自分の行いを振り返る。
 魂は、欲や執着にまみれた心を見守りながら、絶えず気高く高潔であろうとする。
 天国を連想させる絶景こそ、魂の居場所にふさわしい。魂が安らげば、生きる意欲もかきたてられるのだと思う。
 魂が汚されない限り、人は前に進むことが出来るのだろう。

 小さい頃から蓑虫に興味があった。
 蓑虫は、蛾の幼虫である。葉や小枝で作った巣の中にいる。
 昔、自分が布団にくるまっている時、僕は蓑虫みたいだと感じていた。ここにいれば守られているような気がした。何から? きっと、自分が嫌だと思っている全てのものからだ。
 蓑虫は、蓑の中に入っていれば、安全だと思っているのだろうか。
 けれど、蓑の周りの外界は危険がいっぱい。蓑の中は、逃げ場にはなっていないようにも見える。
 自分の周りをしっかりと防御し、蓑の中に居さえすれば心配はないと思っている蓑虫。
 蓑の窓から見える空は、小さな丸い空なのだ。本当の空は、こんなにも広いのに……。
 もぞもぞと蓑の中でしか動けない蓑虫は、かわいそう。でも、僕も同じなのかもしれない。
 朝になり、僕は布団から起き上がる。すると、世界は一度に開ける。
 体温が、一気に周りの空気に奪われた。身震いする。
 蓑虫になりたかった僕は弱虫か。
「そんなことはない」
 パジャマから洋服に着替えた僕は、布団を畳む。
 蝶になることはないけれど、いずれ蓑虫も外の世界に飛び出すのだろう。
 その時、蓑虫は、また蓑の中に戻りたいと思うのか。
「そんなことはない」

 人は常に、誰かに気持ちをわかってもらいたいのだ。苦しくて、辛い時ばかりではなく、嬉しくてしかたない時にも、思いを受け止めてくれる人がいると、心は満たされる。
 自分の思いを人に伝える。
 すると、「そうなんだ」「大変だったね」「良かったね」そんな言葉を返してもらえる。
 誰かに話したことで、気持ちが楽になるのだと思う。ひとりで運んでいた重い荷物を、少し持ってもらえたような気分になるのだろう。
 でも、相手が自分の気持ちを、きちんと理解してくれたかどうかはわからない。どんなに詳しく説明したとしても、すべてをわかってもらうことは難しい。
 僕は、ひとりきりでいる時に、よく自分に話しかけている。
「あの人は、どういう意味で言ったのだと思う?」みたいな問いかけを自分にするのだ。
 納得した答えが見つかると、自分で自分を褒める。
「すごい答えが見つかったね!」
 みんなのように上手く会話が出来ないために、僕は自分の中に、もうひとりの自分をこしらえている。
 悩みがある時、僕は、もうひとりの「僕」に打ち明ける。
 もうひとりの「僕」というのは、僕が思い描いている理想の自分だ。頭脳明晰、明るくて前向きな「僕」である。
 僕が落ち込んでも「僕」は落ち込まない。いつでも、どこでも、僕の相談に乗ってくれる。
 力強い味方が自分の中にいれば、勇気百倍だ。

 今年も残るところ、あと1か月足らずになった。
 12月になると、急に慌ただしくなる。家族が忙しければ、僕も気ぜわしい。
 周りがばたばたしていると落ち着かないのは、誰しも同じではないだろうか。
 自分だけのんびりしてはいられない気分になるのだ。だからといって、手伝ってあげられることがない時もある。取りあえず、なるべくじゃまにならないようにしなくてはと思うが、そうもいかなくて、結局、僕のことでも家族の手をわずらわせてしまう。申し訳ない気持ちが、僕の心には残るのだ。
 忙しいと人はいらいらする。やるべきことが終わらないと困るからだろう。人に迷惑をかけるという理由の他にも、予定をこなせない自分のことが許せないからではないのか。
 時間や仕事、家事や遊び、人はいつも、いろいろなものに追われている。ゴールを決めて取り組み、終わったら、すぐに次の目標を設定する。何もしないことに罪悪感を抱き、自分で自分を鼓舞し続けるのだ。
 それが人の習性なのだろう。
 自分を追い込み過ぎないためには、「出来た」「出来なかった」のどちらかで評価しないことだ。
「ここまでやれた」と肯定すれば、ストレスは少し緩和されるのではないだろうか。
 いら立ちを抑えることで、心の葛藤は軽減されると思う。


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