【カドブンレビュー×カドフェス2017】
もし突然、五感のすべてを奪われ、外見は植物状態なのに意識だけはハッキリしているとしたら……あなたはどうするだろうか。
短編集『失はれる物語』に収録された表題作は、過酷な状況に追い込まれた男の苦悩と決断を描いた物語だ。
主人公の男は、恐らくどこにでもいる普通のサラリーマン。妻はピアノが上手いが、プロの演奏者にまではなれなかった専業主婦。
まだ生まれて間もない娘がいる。
夫婦は度々口論になり、いつしか溝が深まっていく。
そんな時、男は交通事故に遭う。ようやく目を覚ますと、なぜか真っ暗闇。何も聞こえない、においもしない。自分で自分の体が動かせない。男はすべての感覚を奪われ、全身不随になったことを悟る。わずかに残ったのは右腕の皮膚感覚、そして人差し指がわずかに動くのみ。
この小説は、主人公の目線に完全に寄り添い、第三者的な視点は一切入り込まない。描かれるのは、男が皮膚感覚から読み取った情報と、彼の推測や想いだけだ。
そして、限られた皮膚感覚を研ぎ澄ました時、そこから何が感じ取れるのか。作者はその最大限を見せてくれる。
腕に感じたぬくもりから、日の光が当たっているのではないか、と気づくくだりひとつ取っても、さりげない描写の中に、小説ならではの感動がある。
妻は彼の腕を鍵盤に見立て、毎日欠かさず様々なピアノ曲を演奏する。その運指の強弱やリズムから、主人公は今まで見えなかった妻の感情を読み取っていく。
働き手を失って、専業主婦だった妻はどんな生活を送っているのか。娘はどんな風に成長しているのか。小説を読み進めながら、読者は主人公の男と一緒に、妻の側からは見えている物語を、一生懸命想像するはずだ。
そしてそんな手があったのか、と驚嘆せずにいられない男の決断と行動。
読み終えたあとにも、主人公のこれからをあれこれ思いめぐらさずにはいられない。
読者が心に描く映像は、人によって全く違うし、それによってこの物語は悲劇にも、幸福感にあふれた物語にもなりうる。
小説を読んでいて良かった、そう思わせてくれる、短い中にも奥行きのある作品だ。
この短編集には、他にも珠玉の作品が詰まっている。多くは、人生がうまく行かなくてもがいている人たちの物語。
最初の短編「Calling You」も心をギュッとつかまれる。
学校になじめず孤独な毎日を送っていた女子高校生。せめて電話で話せる相手がいれば……そう強く念じていた少女の頭の中で、突然携帯の着信音が鳴り響く……。
大ブレイクした映画「君の名は。」を彷彿とさせる、ひねりと感動が詰まった物語(初出は遡り、西暦2000年)。
最初は重い足取りで始まった物語が、少女の心の移り変わりと共に、やがてスキップに、そして最後は全力で走り抜けていく。
どの短編も引き込まれる設定と、そう来るのか! という驚き、そして痛みを伴う感動がある。