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レビュー

【ハマるぞ!伊岡瞬】「彼女はヤバい。でも逃げられない」著者作品史上、最も過激な劇薬サスペンス!――『本性』

本性』(角川文庫・2020年)巻末に収録されている「解説」を特別公開!

 本の表紙が顔であるならば、書名は目だ。ここ最近、書店へ足を運ぶと必ず顔を見かけ、よく目が合うようになったな……と、本好きならばきっと体験を共有できる一冊が、おかしゆんの『代償』だろう。五〇万部突破の影響は他の著作にも波及し、既刊をズラリと並べた伊岡瞬コーナーが今や、書店の風景の一部となりつつある。その中に、単行本刊行から約二年半を経て文庫化された『本性』が新たに加わることとなった。いいツラ構えをしているでしょう? 他の著作と隣り合わせてみることで、気が付くこともあるはずだ。この一冊は他の本と──特に眼光の鋭さが──似ている。『悪寒』や『あざ』や、何より『代償』と。

 確認しよう。伊岡瞬は広告代理店を経て二〇〇五年に『いつか、虹の向こうへ』(応募時のタイトルは「約束」)で第二五回横溝正史ミステリ大賞の大賞とテレビ東京賞をW受賞し、作家デビューを遂げた。以降、第五作『桜の花が散る前に』(『桜の咲かない季節』から改題)まで、彼が書き継いでいったのはハートウォーミングなミステリーだ。

 その先に突如現れたのが、第六作『代償』だった。明から暗へ。いや、闇へ。法廷を主な舞台に展開する現在パートも強烈だが、少年時代を描く過去パートは、子供ゆえの言葉にできなさ&行動に移せなさが相まって、痛みと悲しみが格別突き刺さる。文庫版解説でやまろう氏が指摘しているように、この物語に登場するたつとその母・みちの手による他者のマインドコントロール、一家乗っ取りの構図は、日本で実際に起きたいわゆる「尼崎事件」「北九州監禁殺人事件」をほう彿ふつとさせるもの。強いていうならば、『代償』で描かれた怪物・達也は「ヤドカリ(宿借り)」タイプなのだ。達也はけいすけ一家以降も、狙った人物や家という獲物は外さず、そこの住人のカネと命を吸い尽くす。

 ただ、ヤドカリは同時に二つの家に住まうことはできない。『本性』に登場する怪物は、違う。豊富な運動量で複数の家に出入りし、住人や関係者らを次々とどくにかけていく。

 第一章で視点人物=ターゲットになるのは、ぶんきようせんに建つ一二〇坪ほどの一軒家で母と暮らす、四〇歳独身のえない私立中学教師・うめなおゆきだ。一三回目の参加となるお見合いパーティーで、一番人気だった三三歳の女性・サトウミサキと第一希望同士となる。初めてのデートでホテルに入り、彼女のリードでめくるめくセックスを味わうことに。たちまち結婚を心に誓うが……。

 読者は尚之よりもずっと早く、なんならあっという間に、結婚詐欺だろうと気付くはずだ。デートのたびに散財しまくる尚之を見て、「財産狙いなのにさ」とかすかに冷笑し、「どうしてわからないんだ?」とどこかで下に見る。登場人物への共感ではなく、むしろ反感やあざけりを抱くことが、物語を読み進める推進力になる。伊岡瞬は、ここがうまい。

 ところが、第一章のクライマックスでサトウミサキは意図不明な言動を取る。その意味がちゆうり状態のまま第二章へ進むと、さらなる不思議が巻き起こる。第二章で視点人物=ターゲットになるのは、三〇歳のフリーター・ぎりたくだ。職場のファミレスにサトウミサキが現れて逆ナン、たちまちセックスにまで至る。だが、琢磨には資産など皆無だ。「どうしておれなんかと?」。胸にその疑問が生じているのは、読者も同じ。ただ一つだけ言えることは、尚之と琢磨の性格的な共通点は明らかであるということ。もしも「プライドが高いですよね?」と聞かれたら、「高くねえよ!」と激怒するタイプの人間だ。日々の生活の中ではなんとか抑え込んでいるそれが、サトウミサキというすこぶる「いい女」とセックスできている現実により、日常にも漏れ出していく。

 何かおかしなことが確実に起きているけれども、それが何かはわからない。サスペンスの気配をさらに盛り立てるのが、第一章に続き、第二章でも流れるテレビの報道番組のニュース。おお区のがわ河川敷近くのレンタルコンテナで、一部腐乱した女性の遺体が発見された──。

 長編でありながら連作短編集としての味わいもある本作において、特筆すべきポイントは第三章だ。今回の視点人物=ターゲットは認知症を患いながら東京の一軒家で一人暮らしをしている、あおしげ。ハニートラップは通用しない。サトウミサキは優しい孫のオーラをまとって青木家に潜り込み、家主の信頼を少しずつ得ていく。この章は、独立した短編ミステリーとしても優れた達成を誇る。もちろん、前の二章があるからこその演出が効いているのだが……もしかしたら伊岡瞬の短編は、これがベストかも?

 ここで強烈なサプライズを一撃かまし、明確な「事件」を読者の眼前に突きつけたところで、物語は後半部へと進んでいく。第五章以降の視点人物となるのは、ベテランのやすりゆうぞうと若手のみやしたまさという刑事コンビだ。廃屋で男性の焼死体が見つかった「事故」を調べていくうちに、サトウミサキの影に触れる。

 さまざまな家に出入りするサトウミサキの運動量の豊富さに比例し、本作は伊岡瞬作品ではかつてないほど複雑に物語が動く。前の章までに描かれたさまざまなエピソードが次の章で別の視点から語り直され、明かされずにいた謎がふたを開けて、無数の人間ドラマがさくそうし感情が沸騰していく。

 全ての中心にいるのが、サトウミサキだ。彼女は『代償』の達也のように、自ら手を汚すようなことはしない。相手の「本性」を引きずり出すことで、相手を悪へと促すのだ。悪の権化と言える達也は恐ろしかったが、悪の伝染性は低かった。サトウミサキのそれは、極めて高い。しかも、外から植え付けられるのではなく、内なる悪の眠りを覚ますから、怖い。ここで描かれているのは、人間存在そのものの「本性」だ。

 本作のミステリーとしての特殊性を記したい。作者はクライマックスにおいて、サトウミサキの影を追いかける警察関係者だけでなく、読者もまた抱いていたであろう一つの違和感を、最後にして最大の謎に措定する。つまり──サトウミサキはなぜ、男たちに対して簡単に、むしろ積極的に体を差し出すのか? 彼女ほどの知能の持ち主であれば、舌先三寸でもうまくいくのではないか。そのアンサーは、ミステリー的な「偽の真相」と、その先にある「真の真相」の二段構えとなっている。ところが、視点人物の価値観のフィルターをいつたん外して文章自体を比較検討してみると、「真の真相」が正しいか否かは、実は確定できない。実は「偽の真相」の方に真実が眠っているのではないか? つまり──サトウミサキの「本性」は、わからない。

 一歩踏み込んだ推測を記してみたい。『代償』の達也は、日本社会で実際に起きた「尼崎事件」「北九州監禁殺人事件」の犯人たちとの精神的なシンクロが感じられた。『本性』のサトウミサキの人物像には、「東電OL殺人事件」の被害者女性の面影が溶かし込まれているのではないか。一九九七年に発生した事件の背景はしんいちのノンフィクション『東電OL殺人事件』や、きりなつの小説『グロテスク』に詳しいが、被害者女性は高学歴エリートで金銭的な余裕があったにもかかわらず、渋谷の街に立ち数千円で体を売り、不特定多数の相手と性交渉を繰り返していた。彼女が抱えていたであろうかつとうは、決して彼女一人の問題ではない。人間存在の痛みや悲しみ──「本性」に関わる問題だ。

 その問題は、いかにフィクションとはいえ「解決」されるべきではない。だからこそ伊岡瞬は、オープンエンドとも取れるエンディングを用意したのではないか。文庫化に当たって書き下ろされた第九章の読後感が、その推測を裏付けているように思う。

 伊岡瞬の小説を読むと、内なる悪や、生きる悲しみや痛みを抱えた人間存在の「本性」を知ることができる。その経験が、人を最悪の選択へと向かわせることを食い止める、ワクチンとなる。



伊岡瞬『本性』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000997/

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