2017年6月、一人の若き歌人が自らの命を絶ちました。中高で受けたいじめの後遺症が原因で苦しみ抜いたすえの死でした。彼が亡くなって半年後に刊行された『歌集 滑走路』は、「非正規の歌人の歌」として、新聞やテレビで紹介され、今、大きな共感を得ています。
歌集としては異例の5刷累計20000部を突破!
4名の歌人がこの短歌集に収められた295首の歌について語り合います。
今野 寿美
1952年東京生まれ。「りとむ」編集人
第25回角川短歌賞受賞。
歌集に『龍笛』(葛原妙子賞)、『かへり水』(日本歌人クラブ賞)他。
角川文庫『みだれ髪』では訳注と解説を担当。宮中歌会始選者。
真中 朋久
1964年茨城県生まれ。「塔」所属。
歌集に『雨裂』(現代歌人協会賞)、『重力』(寺山修司短歌賞)『エフライムの岸』。
現在「NHK短歌」、毎日新聞「兵庫文芸」選者。気象予報士。
カン・ハンナ
1981年韓国ソウル生まれ。タレント。
現在NHK Eテレ「NHK短歌」、「短歌で胸キュン」に出演中。
第63回角川短歌賞次席。
佐佐木 定綱
1986年東京生まれ。「心の花」所属。
成城大学大学院文学部国文学科修士課程終了。
第62回角川短歌賞受賞。父は、同じく歌人の佐佐木幸綱。
──『滑走路』は、今年二月朝日新聞で「いじめ 非正規 思い短歌に」という記事でとりあげられ話題となりました。まずこの本の第一印象を伺いたいのですが、刊行されてすぐに歌を紹介していたのは、真中さんかと思います。どのあたりに目がとまったのでしょうか。
真中:「NHK短歌」で「甘いものの歌」という企画があったので、〈角砂糖みたいに職場に溶け込んできたり入社後二ケ月経ちて〉の歌を採り上げました。職場に溶け込むのは大事なことだけど、自分がなくなってしまう溶け込み方は辛いものがあるなと思いながら読みました。話題になっている「非正規」という内容の他に気がついたのは、「のだ」で終わる文体が多いことでした。
今野:そうですね。とても多い。
真中:これは、自己確認の文体だと思うのですけど、もしかすると歌を歌うことが自分を追い込んでしまうことになっていないかと感じます。非正規雇用であったり、こういうテーマで詠まれた歌って、褒め方もなかなか難しい。変なところを褒めて、逃げ場のない場所に追い込んでいくことになったりするんではないかと、そんなことも感じました。伸び伸びしている歌では、〈停留所に止まってバスを降りるときここは月面なのかもしれず〉。ふわっとした歌で、非常におもしろい。
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カン:私自身と重なる部分がけっこうありました。現代の若者の大変さを純粋に歌っているんだろうなということを感じたんですが、純粋過ぎて、だからこそ大変だったのではないかと思う繊細な部分がすごく出てくる歌が多い。〈未来とは手に入れるもの 自転車と短歌とロックンロール愛して〉。本当に若者らしい、その中で短歌という存在は彼にとってはすごい息抜きができたものだったのかな。短歌への愛をすごく感じた歌が多いのも特徴かなと思います。
佐佐木:僕は、読んでいるうちに「これは俺の歌集か」と錯覚しそうになった。非正規で働いていて、昼飯に牛丼食って、自転車に乗って、誰かに恋をしている……歌うものが共通しています。今日も牛丼を食べてきたし(笑)。だから今回の座談会では、客観的な視点を忘れて、非常に感情的になってしまうような気もしています。もしそうなってしまったら指摘してください(笑)。
──慎一郎さんは、今野さんが編集人をされている「りとむ」に所属していました。今野さんは十五年近く彼の歌を見てこられました。
今野:「りとむ」に出す十首がすべて「のだ」で終わっているってこともよくあったんですけど、そんな細かいことも含め、よく整理されているというのが、歌集の作品原稿を読んでの第一印象でした。歌の出来栄えには全く不安がなかったし、もう安心して好きなようにやっていいと任せられる気がしていたんですね。
ただ私は、萩原君が中高生の頃のいじめが原因で苦しい十代二十代を過ごしていたということは、歌集ができあがる前に彼が亡くなって、初めて知りました。まずは戸惑って、十五年くらい近くにいたはずなのに、全然わかってあげていなかったという、言っても仕様のない悔いがすごく大きかった。いじめのすさまじさとか、その結果としての不本意ななりゆきとか、あとから入ってきた情報なども整理して受け止め直してみると、何も知らずに一通り読んだだけではわからないような側面が見えてくる。それ自体、歌が読ませるところだという気になりながら、でもそれは萩原君が望んでいたことかと思うと、非正規の問題や恋の歌を前面に出してまとめた歌集の構成が別の主張を見せてくる。いい歌集として評価する気持ちに変わりはないのに、どこかまだ揺れています。その揺れに収まりがつくのか、今日はそこに期待する思いがあります。
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◆非正規の友よ、負けるな
──「非正規」の歌については歌壇を超えて本当に反響が大きい。「非正規」は今日の社会問題の一つでもあり、この歌集の核になっている外せないテーマと言ってよいかと思います。
佐佐木:〈ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる〉。非正規と食の関係は密接なところがあって、給料が低いのでお昼ご飯が限られてくるんですよね。さらに歌人をやっていれば、歌集を出したいから、お金を貯めなくてはならない。一番切り詰めていくところはご飯です。だいたいお昼ご飯は、うどんとかファストフードになるわけです。なので牛丼というのは、重要なキーワードではないか。
真中:牛丼屋さんの歌は、他にも何首かある。〈「研修中」だったあなたが「店員」になって真剣な眼差しがいい〉も牛丼屋さんの場面かなと思います。〈非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている〉とはまた違う、同じようなところで働いている人たちを見ている視線なんかおもしろいなと思いました。
佐佐木:この「秋がきて」はどういうことなんでしょう。
今野:私は丼物と言ったら秋が来てようやく食欲が戻るみたいな、と思ったんですけど。夏は食欲がなくてお素麺とかになるかなあと。
佐佐木:牛丼に季節は関係ないような気がするんです。
真中:確かに若い男の子は、素麺ではもたないね(笑)。どれだけ本人が与謝野晶子を意識しているかどうかわからないけど、〈ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟われも雛罌粟〉の「五月(皐月)」に対して秋というのと、春に職に就けなくて秋になってしまって後半も非正規のままかなということもあるのかなと思いました。彼は近代の歌人などは、読んでいましたか?
今野:よく勉強してました。歌に関心を持ったのは俵万智さんからですけど、猛然というか、歌の韻律に言葉を乗せることに喜びを見出したんでしょうね、すごい数で歌を作ると同時によく勉強していて、だから晶子の歌はもちろん、近代の歌人たちの歌集もよく読んでいたと思います。
佐佐木:〈今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ〉。萩原さんの現実との対応の仕方がとてもおもしろい。夜に歌っているんだと思いますけど、今日も雑務だった、明日も雑務だろう、できたら行きたくないけど朝になったら出かけてゆくと言う。永遠に朝になってほしくないとか、そういう感じではなくて、朝になるのはもう確定しているんですね。そして行きたくないなと思っているんですが出かけてゆくんです。辛いことは辛いけど、ちゃんと対応してしっかりと外に出て仕事はしていくんだ、おれは。という感じの前向きさ。この歌かなり力強いんじゃないかなと思ってます。
今野:『滑走路』歌集全体が、面を上げて、さぁ行くぞみたいな気迫がありますね。
真中:タイトル作の「滑走路」〈きみのため用意されたる滑走路きみは翼を手にすればいい〉。第一の解釈は、「きみ」というのは自分だと思うんですね。でも、この一連、恋のことから始まっているので、そっちの方で読むと、「非正規その一」の自分と「その二」の彼女がいて、彼女は飛び立っても自分は飛び立てない、そんな読み方もできると思います。
カン:〈非正規の友よ、負けるな……〉。上の句で、非正規の人は仲間と共感しているところを「友」と言う。心の優しい人なのかなとじーんときたんです。下の句で「ぼくはただ書類の整理ばかりしている」。もっとやりたいこといっぱいあるかもしれない、書類の整理ばかりしているけれど私たちは負けないんだというメッセージ性が重要な歌だなというのをすごく感じた。
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今野:ちょっと調べましたが非正規って昔からある言葉じゃないですよね、日本と韓国だけという説もあるんです。その二国を除いた他の外国ではあまり使わないようです。今日、カンさんに伺ってみたかったんですけど、学校の問題や雇用のこと、社会状況とか、社会の中で生きていく人々の思考のスタイルなど韓国と日本って近いと思うんですがどうなんでしょうか。
カン:韓国の方がもっと残酷な状況といえると思います。非正規だけじゃなくて、本当に仕事がない。失業率が十一%、十人のうち一人は仕事がない状態です。友人や後輩の子たちが韓国社会の中でも非正規の不安、いつ自分が首になるかわからない、契約を切られるかわからない状態で身をもって生きているという状況と繋げて読みました。
それに関連してなんですが、この歌についてとても感動したことがあります。韓国社会では社会に不満を持つんですよね。韓国の政府とか韓国の社会が問題だ、我々が問題じゃない、というメッセージ。もし、私が萩原さんのような歌を書くとしたら、社会への不満を出してしまいそうです。萩原さんはそれより、「非正規の友よ」とか、辛い状況にある仲間に焦点をあてて歌を歌っているということがとても心に響きました。こんな社会の中で、共感を得る人たちと一生懸命頑張って生きるんだという歌が多い。すごいことです。
真中:「非正規の友よ」と言って、不特定の人たちに呼びかけている歌なんですけど、それに対して、「ぼくはただ書類の整理ばかりしている」と言う。これに続いている歌が〈シュレッダーのごみ捨てにゆく シュレッダーのごみは誰かが捨てねばならず〉。このトーンで、仕事をしているんだぞと言っているならば、「非正規の友よ」と言って自分も非正規の友の一人として負けないでやっているぞ、雑用は雑用なりにやっているぞということになるんだけど、「非正規の友よ、負けるな」と言って、「ぼくはただ」というあたりで、呼びかけた先の友に対して自分が付いて行ってないところが辛いなという感じがしているんですけどどうでしょう。
佐佐木:ユーモアの歌なのかなと思って読んでいました。「負けるな」というかなり強い呼びかけなのに、ぼくはまぁ書類の整理ばかりしているけどね、という感じ。
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カン:下の句の「書類の整理ばかりしている」ということで、それでも続けている、仕事をやっているということの中に光を感じます。
今野:「ただ」と入れるところとか、下の句に行ってちょっとユーモラスなところも交える。萩原君なりのテクニックも感じますが、心情そのものはごく素直な歌。受け止める切実さでいうと、そこに読み手自身の状況や感覚も反映されて、微妙にその表情が変わってくる。
◆歌集に滲む「心」を読む
今野:歌集全体は、恋の歌と雇用の問題に辛さを全部任せちゃった感じ。そして後書きを読むと辛かった中高生の時期が思い返されている。萩原さんが命を絶ち、今、彼が居ない状況で歌集が評判になって多くの人に読まれる中では、歌もそこにつなげて採り上げられる。歌集としてどう読んだらいいか、迷いを生ずるということ、ありませんか。
真中:雨の歌の一連がありますね。そこが中学生の頃の記憶かなと読んだ。
佐佐木:「理解者」という一連。〈暗き青春時代を生きて雨は止むことあらずして濡れているのだ〉とか。
真中:〈屈辱の雨に打たれてびしょ濡れになったシャツなら脱ぎ捨ててゆけ〉。
佐佐木:〈生きているというより生き抜いている こころに雨の記憶を抱いて〉。
今野:嫌な記憶、辛かった体験を直接歌った歌もあったようですが、ほとんど収めていない。というのはそういう記憶で大事な大事な第一歌集を汚したくはないという、そんな思いを私は受け止めました。あからさまにはしたくなかったでしょう。
一方でこの歌集を読み続けると、萩原君の心の叫びは、どうしても向こうから見えてきます。それこそが訴えたかったことだろうかと。
真中:本人がいなくても歌を読んでいけば、訴えたいことはわかるんです。どうしても滲んでくる。先ほども言ったけれどタイトル『滑走路』の一連の前半に彼の気持ちは一番表れていると思う。
今野:そうとう客観的に一冊の歌集の押し出しは考えたと思うので、これを冒頭近くにもってくるのは、凄いプライドも感じる。嫌な記憶はともかく前向きに歌っているけれど、結果的には萩原君が一番訴えたいところはそれこそ滲むように出てきている。歌の力を信じたくなるという、それに尽きるような気もします。
◆この本のおすすめ
佐佐木:僕はもっともっとこの歌集が広く読まれてほしい。僕が共感しているということは、それなりに社会で共感できる人が多いだろうと思うんです。というのも、僕らの世代から上下五、六年くらいの人たちは雇用の問題にしても、けっこう苦しんでいる人たちが多いし、自分に引き寄せて読める人が多いと思う。
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カン:萩原さんは辛い状況の中で短歌を歌う、実は相当強い人だったんじゃないかと思うんです。私自身もそうですけど、韓国から日本に来ていろいろ厳しい状況の中で、でも短歌に出会えて、一首一首歌うことによって、私は大丈夫なんだ、ここでもっと頑張るんだと、短歌が自分に言い聞かせる大きな存在になってきているんです。なので萩原さんの歌を読みながら、私も短歌をもっと愛して、もっといろんな自分と向き合ってやっていきたいなとすごく感じた。
もう一つは、韓国も日本も厳しい環境の中で若者がどういうふうに生きていくのが大事なのかということを考えるきっかけになる一冊だと思う。萩原さんが強気で言っているところ、それから食べ物の歌のように、ちょっと気を抜いて楽しく歌っているところを較べて読んで、生活していくなかでのバランスの取り方みたいなのを読者が考えていくきっかけになるんじゃないか。この歌集のことは、韓国の人にも知らせたい。翻訳してみたいです。
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真中:歌の機能って、読者が読むという面と自分自身が歌を詠むことで自分と向き合うという面と両方あると思うんですね。最初に言いましたけど「なのだ」「のだ」がいっぱいある。それから不用意に使っている完了形がある。完了形を使うと終わっちゃうんですよね。そういう技術的なことを彼と話したかったなと思います。萩原さんだけでなく、不安定な場に置かれている若い人、精神的にうまく行っていない人はいっぱいいるんですけど、自分で歌を作るときに、これ歌っちゃったら自分に跳ねかえって来て辛いなと、最近よく考えるんで、励ますって簡単じゃないと思うんです。それはこのテーマを歌わないとかではなくて、レトリックというよりは動詞助動詞レベルの措辞というか、言葉そのものがけっこう力を発揮したり、その力に作者が振り回されたりというのがあるんじゃないかと思うんです。
彼と歌についてたくさん話がしたかったと本当に思いました。
今野:自分に、戸惑いがあったにしても、それでも見えてくるものを皆さんも受け止めてくださるんだということを実感しました。一冊にすることの意味を改めて感じます。亡くなってしまったことはつくづく惜しまれるんですけれども、じゃあ私たちは、どうしたらいいのか、それは萩原さんの歌を残すことだと、それしかないんですね。定綱さんがあげてくださった歌で、〈図書館に行けば数十年後でも残る言葉があるのだろうか〉。「残る言葉があるのだろうか」って、歌集のテーマのようなフレーズになっていて、この歌にちゃんと私は、残るって、残すわよとこたえてあげたい気がします。よく一冊になったな、よく残してくれたなと思います。
(五月十八日、角川文化振興財団にて)
辛口のカレーに舌は燃えながら恋するこころこういうものか 〈青空〉と発音するのが恥ずかしくなってきた二十三歳の僕 マラソンで置いてきぼりにされしとき初めて僕は痛みを知った 非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている ぼくたちはロボットじゃないからときに信じられない奇跡を起こす
今野寿美 選
角砂糖みたいに職場に溶け込んできたり入社後二ケ月経ちて 停留所に止まってバスを降りるときここは月面なのかもしれず ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる 木琴のように会話が弾むとき「楽しいなあ」と素直に思う 桃食めばひとつの種が残りたり 考えていることがあるのだ
真中朋久 選
更新を続けろ、更新を ぼくはまだあきらめきれぬ夢があるのだ ヘッドホンしているだけの人生で終わりたくない 何か変えたい 生きるのに僕には僕のペースあり飴玉舌に転がしながら パソコンの向こうにひとがいるんだとアイスクリーム食べて深呼吸 屋上で珈琲を飲む かろうじておれにも職がある現在は 非正規の友よ、負けるな ぼくはただ書類の整理ばかりしている なにひとつ考えなしに居酒屋で焼鳥食べているわけじゃない
カン・ハンナ 選
気がつかぬうちに市と市の境界を自転車に乗り跨いでいるよ 図書館に行けば数十年後でも残る言葉があるのだろうか ぼくも非正規きみも非正規秋がきて牛丼屋にて牛丼食べる 今日も雑務で明日も雑務だろうけど朝になったら出かけてゆくよ 空を飛ぶための翼になるはずさ ぼくの愛する三十一文字が
佐佐木定綱 選
紹介した本
萩原慎一郎『歌集 滑走路』
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