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特集

4人の関係者、3つの遺体、2人の刑事、1人の女。緊迫のクライムサスペンス! 『本性』

撮影:ホンゴ ユウジ  取材・文:朝宮 運河 

累計四〇万部突破のベストセラー『代償』で知られる、ミステリー作家・伊岡瞬さん。その新作は四年あまりの歳月を費やした渾身のクライム・サスペンスです。平凡に暮らす男女の前に姿を現し、次々とその〈本性〉を暴いてゆく謎の女、サトウミサキ。美貌の裏に隠されたその目的とは。
刑事コンビが巧妙な犯罪計画に挑む、圧巻の物語世界についてインタビューしました。

「最後の小説」のつもりで、ネタを盛りこんだ贅沢な作品

── : 伊岡さんといえば二〇一四年刊行の『代償』が大ヒット。単行本と文庫合わせて四〇万部突破だそうですね。

伊岡: ありがたいですね。四〇万といえば東京ドームを八回満員にできる数。それだけの方が買ってくれたということは、読んだ方はもっと多いはず。ちょっと想像が追いつかないです。本屋で売れている現場を見たことがないので、実感に乏しいんですけど(笑)。

── : 待望の新作『本性』は、その『代償』に勝るとも劣らない面白さ。伊岡ミステリーの新たな代表作だなと感じました。

伊岡: そう言ってもらえると、ほっとします。この小説を書くにあたって担当さんから「これが最後の小説だと思って書いてください」と言われたんですよ。『代償』を超える、僕の代表作にして欲しいと。そう言われたら気合いを入れるしかない。どうすればスケールの大きい読み応えのある作品になるのか、構成面でかなり悩みました。結果的には長編二、三冊分のネタを盛りこんだ、贅沢な作品になったと思います。

── : 執筆期間はどのくらいですか?

伊岡: 『代償』を出してすぐ取りかかったので四年あまりですね。削除したエピソードも大量にあるので、トータルで原稿用紙二〇〇〇枚は書いたと思います。

次々と本性を暴き立てる謎の女・ミサキとは何者?

── : 物語は全八章で、エピソードごとに主人公が移り変わります。第一章の主人公は婚活中の中学校教師・梅田尚之(うめだなおゆき)。同居している母親とのいかにも現代的な会話から、一挙に物語に引き込まれました。

伊岡: デビュー以来、僕が一番大切にしているのがリーダビリティーなんです。以前、担当さんに「一五ページまでに何かが起きなければ、読者は読んでくれませんよ」と言われたこともあって、冒頭から興味を惹きつける書き方を心がけていますね。設定が現代的になるのもリーダビリティーとの兼ね合いで、あまりに現実離れしていると、読者が入りこみにくくなるかなと。非現実的な設定が魅力の小説もありますが、僕はなるべく日常に近いところで、キャラクターに共感してもらいたいんです。

── : お見合いパーティーでサトウミサキという女性と知り合った尚之は、結婚を前提につき合い始めます。しかしその先には、思わぬ罠が待ち構えていました。

伊岡: さまざまな境遇の男女のもとに正体不明のヒロインが現れて、本性を次々と暴いていくというのが物語の大枠ですね。いまだに悩んでいるのが、本性を暴かれる人たちの描き方です。どこにでもいる平凡な人たちという描き方をしたんですが、もっと憎々しげな悪人に描くべきだったかもしれない。どちらがいいのか正解はないですね。読者の反応が気になるところです。

── : 第二章ではファミレスでバイトしている小田切琢磨(おだぎりたくま)が、第三章では認知症を患った青木繁子(あおきしげこ)が、第四章では地方の町役場に勤める小谷沙帆里(こたにさほり)が、それぞれの立場でミサキと関わってゆきます。

伊岡: エピソードごとに毛色を変えて、短編集のようなバラエティを出してみました。各業界の舞台裏みたいなところも、サービスとして盛り込んでみました。書かれている内情は結構リアルだと思いますよ(笑)。

── : ある目的を果たすため、身分を偽り、ターゲットに取り入ってゆくミサキ。彼女はこの物語の中心であり、最大のミステリーでもありますね。

伊岡: ミサキは僕にとっても謎の存在ですね。分からないままの方がいいんです。内面を知ってしまうと、自分の中で等身大の存在になってしまう。『代償』の達也というキャラクターは、主人公を苦しめる悪人なんですが、実はちょっと等身大に書きすぎた気がしています。ミサキはもっとミステリアスに、時間が経ったら「そんな人いたっけ?」と感じるくらいの存在にしたい。ミサキからの視点を一切描かず、関係者の視点から少しずつ実像が浮かび上がってくる、という描き方をとっているのもそのせいです。

── : 一連のエピソードと並行して、空き地のコンテナボックスから身元不明の女性の死体が発見され、世間を騒がせます。

伊岡: この小説のそもそものアイデアは、コンテナボックスから女性の死体が見つかって、その背後関係を探っていくというものでした。数年前に実際そうした事件があって、触発されたんです。コンテナボックスは取材を兼ねて、自分でもレンタルしてみたんですよ。かなり気密性があって、扉を閉めてしまうと中は一切うかがえない。鍵屋さんで合鍵を作ってもらえないことも、初めて知りました。そうした経験が生かされていると思います。

どんな人でも本性を隠して生きている

── : 後半の第五章以降は、空き家で発生した男性の焼死事件を刑事コンビが追いかける、警察小説になります。

伊岡: この後半は書いていて楽しかったですね。スムーズに筆が進んで、一気に書き上げられました。苦労したのは前半の四章。ミサキがなぜわざわざ手のこんだ復讐手段をとるのか、その決着のつけ方がみつかるまでは悩みましたし、編集さんとも話し合いました。

── : ところで宮下という若手刑事は、他の伊岡作品にも登場するキャラクターですね。

伊岡: 気づく人だけ楽しんでくれたらいいなというお遊びです。もちろん過去作を読んでいなくてもまったく問題ありません。宮下はこの小説でほぼ唯一の好人物ですよね(笑)。無色透明で飄々としているのに、ガッツがあって、静かな正義感を秘めている。自分でも意外とこのキャラクターが気に入っていて、今後もっと出番を与えたいなと思っているんですよ。

── : ちょっとした脇役でも、生き生きとした存在感を放っているのが魅力です。キャラクターを描くうえで気をつけていることはありますか?

伊岡: 作品に表れないところまで、プロフィールを設定するという作業はいつもやっています。身長や体重、食べ物の好みなどを事前に決めておくと、人物描写にも厚みが生まれる気がするんです。それとこれは企業秘密なんですけど、等身大の人物にちょっとだけエキセントリックさを加えると、リアルでしかも印象的なキャラクターになるようです。あまり変わり者でも嘘っぽくなるので、「ぎりぎり本当にいるかも」くらいのラインを狙うのがコツですね。

── : 刑事コンビの捜査によって明らかにされる巧妙な犯罪。前半の何気ないエピソードが、ひとつに繋がってゆく構成は圧巻です。

伊岡: いじっているうちに、すごく複雑な構成になっちゃったんですね。ここまでエピソードが入り組んだややこしい話を書いたのは生まれて初めて。大変なので二度とやりたくないです(笑)。自分でもいつ何が起こったのか把握しきれなかったので、鉄道のダイヤみたいな一覧表を作成したんですよ。そのお蔭で気がつかなかったエピソード同士のつながりが見えてきて、うまく伏線を張り巡らすことができました。クライマックスで明かされる真相が唐突に映らないように、事前に引っかかるシーンを書いておくのは大切なことだと思います。

── : 悪女ものであり、復讐ものでもある『本性』ですが、意識した先行作品はありますか?

伊岡: 謎めいたヒロインを追う話ということで、最初は宮部みゆきさんの『火車』にならないよう気をつけていたんです。そのうちピエール・ルメートルの『その女アレックス』が出て、これはかぶったらまずいぞと(笑)。そこから若干、方向転換しましたね。どれだけ表現できたか分からないのですが、奥田英朗さんや桐野夏生さんの作品に見え隠れする、日常と地続きの狂気みたいなものを、この作品でも表現できたらいいなとも考えました。

── : 以前あるインタビューで「物語にはメッセージはいらない」とおっしゃっていました。この作品でも同じですか?

伊岡: いらないと言い切ってしまうと身も蓋もないのですが、たとえば「あなたはこの法制度についてどう考える?」みたいに真正面から問題提起するとか、「悪いことすると報いがあるよ」とお説教調になるとか。そういうメッセージは、感じ取れる人は感じ取るというくらいの描き方で十分だと思うんです。物語を読んでいる間は、せめて現実のことを忘れてもらいたい。そのうえで「感動した」でも「不愉快だった」でも構わないので、何かひとつ、ひっかき傷のようなものが心に残ればいいなと思っています。

── : ラストシーンについては迷いませんでしたか?

伊岡: 『代償』がある程度世間に受け入れられたことで、あのラストにする勇気が持てました。以前だったらもっとマイルドな結末にしていたでしょうね。賛否両論あるかもしれませんが、気に入ってくれる人の方が多いだろう、と信じられるようになったのは、『代償』のお蔭だなと思います。

── : では、これから『本性』を手に取る読者に一言お願いします。

伊岡: 世の中に根っからの善人はいない。ただ善人であろうとする人がいるだけなんですよ。だから些細なことがきっかけで、人は悪に転じてしまう。僕の小説ってそのことをずっと描いてきたのかなと思います。今回は特にその傾向が色濃い。誰もが本性を見せずに生きているからこそ、社会が成り立っている。その危うさ、面白さを味わってもらえたらいいなと思います。


伊岡 瞬

1960年東京生まれ。2005年『いつか、虹の向こうへ』で第25回横溝正史ミステリ大賞とテレビ東京賞をW受賞しデビュー。14年刊行の『代償』は累計40万部超の大ヒット作となる。

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