静かな感動を誘う絵画ミステリ
『幽霊絵師火狂 筆のみが知る』近藤史恵
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
『幽霊絵師火狂 筆のみが知る』文庫巻末解説
解説
大阪は新町の大きな料理屋・しの田。もとは揚屋だったというこの店の奥まった座敷に、十四歳になる真阿の部屋はあった。主人夫婦の一人娘である真阿は、十二歳の時に胸を病んでいると診断され、一日のほとんどをその座敷で過ごしている。
そんなある日、しの田に旅の絵師が居候することになった。火狂という雅号をもつその絵師(本名は興四郎)は、世にも恐ろしい絵を描くことで知られており、真阿の母・希与などは気味悪がっている。
しかし真阿はこの居候に好奇心を抱き、両親や使用人たちの目を盗んで、二階の座敷へと忍んでいく。そのささやかな冒険が、彼女の人生を変えるきっかけとなるとは知らずに……。
本書『幽霊絵師火狂 筆のみが知る』は、
本書のページをめくるとまず眼前に広がるのは、三味線や呼吸の音や男女の笑い声に包まれた、
療養中の彼女にとって、気晴らしといえば草双紙や錦絵を眺めること。そしてその真上の部屋には、女中お関の言葉を借りるなら「勧進相撲の力士みたいな」、色白で体の大きな絵師が居候している。動と静、光と闇、日常と非日常の鮮やかな対比が、将来に不安を抱く真阿の心情を映し出すとともに、読者を懐かしくも胸躍るような奇譚の世界へと引き込んでいくのだ。
第一話「座敷小町」は真阿と火狂との出会いを描いたエピソードで、真阿が夜な夜な悩まされている火事の夢に隠された事実が、火狂によって明らかにされる。蔵に閉じ込められた真阿が、燃え上がる家屋を見つめる夢は何を暗示しているのか? 夢の中に現れる“
ちりばめられた大小の謎が一気に氷解する結末の数ページには、短編ミステリの妙味が詰まっているが、それ以上に目が離せないのは、火狂との交流によって確実に変わっていく真阿の姿だ。
そもそも真阿が火狂に興味を
これ以降の七編でも、真阿の成長譚という縦糸を取り巻くようにして、幽霊や絵にまつわる多彩な謎が描かれていく。第二話「犬の絵」では、真阿は見慣れない黒犬の夢を見るようになる。ほどなく、火狂のもとに絵を引き取ってほしいという男が訪ねてくるが、男が絵を怖がる理由とは? 愛犬家として知られ、『シャルロットの
第三話「荒波の帰路」では、旅先で火狂の絵を手に入れた男が、奇妙な体験をするようになる。
東京から大阪にやってきた火狂は、旅先で
この連作を書き継ぐにあたって作者が心を配ったポイントのひとつは、真阿と火狂のほどよい距離感だろう。真阿は自分にはないものをもった火狂に惹かれ、火狂はそんな真阿を軽んじることなく、一歩引いたところから成長を見守る。二人は穏やかな信頼関係で結ばれてはいるが、恋愛関係に発展することはない。
暗い過去に
第六話「若衆刃傷」は、
そして最終話「筆のみが知る」では、これまでほとんど語られてこなかった火狂の過去が、真阿がくり返し見るようになった絵を描く女性の夢をきっかけに明かされる。達観しているように見える火狂にも清算できない過去があり、それが真阿との交流によってほどけていく。悲劇の先にあるかすかな光、生者とともにある死者たちの思いを描いたところで、物語は
読者として気になるのは、この先真阿と火狂の関係がどうなるのかということだろう。遠からず火狂はまた旅に出ることになり、二人には別れの時が訪れる。そして真阿はさらに広い世界へと羽ばたくに違いない。
明治初期といえばまさに文明開化の時代である。近代を生きる女性として真阿は学問を修めるかもしれないし、しの田を継ぐのかもしれない。あるいは火狂のように芸術家を目指すという道もあるだろう。いずれにせよ彼女が大人になる頃には、心優しい旅の絵師と過ごした日々は、きっと遠い記憶になっているはずだ。それは当然のことである。
最終話が近づくにつれ、真阿も火狂との別れについてしばしば思いを
いつかは終わることが約束された、つかの間の休息の時。本書がしみじみと胸を打つのは、全編に漂うこうした“
最後に本書が執筆された経緯について、簡単に触れておこう。二〇〇四年に創刊された怪談専門誌『幽』に
ミステリ系を含む多くの作家たちがこの時期怪談を手がけており、近藤史恵も魅力的な学校怪談『震える教室』(二〇一八年)を上梓している。『幽』の後続誌である『怪と幽』に連載された「幽霊絵師火狂」シリーズもそうした流れから生まれたもので、本書は平成後期以降巻き起こった怪談ルネサンスのよき遺産といえる。
怪談は決して恐ろしいだけのものではなく、声なき者の声を伝え、死者とともに生きる人の姿を描く文学でもある。火狂の恐ろしい幽霊絵が人気を博すのと同じように、怪談はいつの時代も私たちの心を楽しませ、
作品紹介・あらすじ
幽霊絵師火狂 筆のみが知る
著 者:近藤史恵
発売日:2024年02月22日
絵に封じ込められた、幽霊たちの心残りとは――心震える絵画ミステリ
老舗料理屋のひとり娘である14歳の真阿は、胸を病んでいると言われて以来、部屋にこもりがちだ。店に、有名な幽霊絵師・火狂が居候することになる。大柄で悠然とした火狂は、人には見えないものが見えるようだ。彼のもとには、絵に関する奇妙な悩みを持つ客が訪れる。犬の悪夢に怯える男、「帰りたい」という声に悩む旅人、手放しても戻ってくる絵――火狂と真阿は、その謎を解き明かしていく。静かな感動を誘う絵画ミステリ。
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