舞台上で主演俳優がヒロインにプロポーズ。だが背後には冷たい眼差しが――
赤川次郎『演じられた花嫁 花嫁シリーズ』
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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赤川次郎『演じられた花嫁 花嫁シリーズ』文庫巻末解説
解説
西上 心太
花嫁や結婚がキーワードとなる歌謡曲は、当然ながら喜びや祝福感にあふれたおめでたい作品ばかりといってよい。小柳ルミ子の大ヒット曲「瀬戸の花嫁」はその代表かもしれない。タイトルに二つのキーワードはないが、チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」は、教会で結婚式をあげる二人を、森に住む虫や鳥たちが祝福するという実に明るい歌で、結婚式の余興で歌われる定番中の定番だった(最近はどうなのかな)。はしだのりひことクライマックスの「花嫁」は、故郷を捨て男性の元に向かう女性を歌っているが、明るい曲調と前向きの歌詞もあいまって、駆け落ちという暗いイメージを一新させる曲として認識された。
ところが同じキーワードでもミステリーの世界になると、とたんに禍々しくなる。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)は作品の内容もさることながら、タイトルを付けるのが非常に巧みで印象に残るものが多い。特に黒(black)という単語が好きだったようで、『黒いカーテン』『黒いアリバイ』『黒い天使』などがあるが、なんといっても初の長編ミステリー『黒衣の花嫁』(The Bride Wore Black)というタイトルが、邦題も原題もインパクト抜群だ。白という色がふさわしい花嫁に黒衣(喪服)という言葉を合わせ男たちを次々と殺していく女性を描いているのであるから。
国内作品では泡坂妻夫の『花嫁のさけび』だろうか。映画俳優と結婚したヒロインが豪邸での新生活に入るが、謎の死を遂げた先妻の影に脅かされるという、ダフネ・デュ・モーリアの原作と、それを映画化したアルフレッド・ヒッチコック監督の名作「レベッカ」へオマージュを捧げた作品でもある。
そして犯罪実話では牧逸馬『浴槽の花嫁』がある。これは三人の妻を浴槽で溺死させたジョージ・ジョセフ・スミスの事件を扱った作品だ。社会思想社の現代教養文庫版のカバー挿画は強烈で、悪夢に襲われそうだ。
さてタイトルに「花嫁」がつくミステリーをいちばん多く書いている作家は誰か、という問はクイズにならない。もちろん赤川次郎であるからだ。一九八三年に一作目の『忙しい花嫁』が刊行されて以来、二〇二一年刊行の『霧にたたずむ花嫁』まで、三十四作を数える長いシリーズとなっている。さらに三作品を除けば、中編二編がカップリングされた体裁になっているので、このシリーズだけでも、「花嫁」というタイトルを赤川次郎は六十五作品書いていることになる。
シリーズ一作目『忙しい花嫁』で颯爽と登場したのが、大学二年生の塚川亜由美である。といっても彼女が花嫁になるわけではない。クラブの先輩男性の結婚式に招待されるのだ。ところが終宴後、亜由美は先輩から「あの女はぼくの妻じゃない」「そっくりだが別の女だ」という不穏な言葉を聞く。その後、先輩夫婦はヨーロッパに新婚旅行に出かけるが、旅先のドイツで失踪してしまい、亜由美は自分が抱えていた不安が的中したことを知るのだった。
角川文庫版の解説で郷原宏氏は、赤川次郎の作品ジャンルを、①主に学園を舞台に女子高生の活躍を描いた青春・ユーモアミステリー、②本格推理、③スリルとサスペンスを主眼にした作品の三つに分類している。さらに①を女子高生探偵もの、吸血鬼もの、活劇の三系列に。②を純粋本格というべきパズル・ストーリー、キャラクターの面白さに主眼を置いたもの、サラリーマンやOLの哀歓を描いた生活ミステリーの三系列に。③をサスペンス小説、ホラー・パニック小説、冒険小説の三系列に、それぞれ分類している。
その中で『忙しい花嫁』はさまざまなジャンル・系列に当てはめられるが、あえて②本格推理の純粋本格派の系列に加えたいと記している。なるほど、卓見であろう。だがシリーズの各編を見渡せば、いろいろと違った分析や分類ができるだろうし、その座標をマッピングしていく作業も楽しそうだ。
さて本書の話をしよう。最初の作品はタイトルになった「演じられた花嫁」(初出「月刊 J-novel」二〇一五年四~六月号)だ。
われらがヒロイン塚川亜由美は、親友の神田聡子と、とある劇団の千秋楽の舞台を楽しんでいた。結婚式を挙げたばかりの花嫁が息絶え、花婿も、髪を振り乱した女に刺されて死ぬという内容の芝居で、亜由美はハンカチで涙を拭うほど感動したようだ。ところがカーテンコールで、さらに感動的なシーンが生まれた。新郎役の北川有介が、新婦役の佐々木伸子に舞台上でプロポーズしたのだ。北川は四十代半ばのベテラン、伸子は今回相手役に抜擢され、初めて大役を務めた二十代後半の女優である。伸子はその申し出を受け、場内はさらに大きな拍手に包まれた。だが亜由美は二人に不穏な視線を送る人物に気づいていた。芝居の中で二人を刺した役を演じた、尾田ことみというベテラン女優である。彼女は北川有介に恋心を抱いていたのだ。
観劇後、打ち上げ会場に入るのをためらうことみを見た亜由美は、辛いだろうが女優なのだから「あのお二人を祝福する場面を演じればいいんですよ」というアドバイスを送る。その言葉で目が覚めたことみは、「幸せでポーッとしてる花嫁なんて、ちっとも面白くない。嫉妬も恨みも押し殺して、恋人たちを祝福する方が、ずっと演りがいがある」と語り、それまでの気分を吹っ切るのだ。
その半年後、ことみはあるテレビドラマで、主役の姉を演じて注目される。だが主役を演じる寺田ゆかりは、評判を一人占めすることみに不満を抱く。そんな時期に、北川と結婚した伸子のもとには脅迫状が届き、アイドルの自殺未遂や、ことみのひき逃げ未遂などの事件が続いた後に、ついに殺人が起きるのだ。
悪役めいた芸能界の大立て者を登場させたり、スキャンダルへの対処法を盛り込むなど、芸能界特有の問題と、普遍的な愛憎問題をからめて物語は展開していく。ちょっとミステリーを読み慣れた方なら、「あ、こういうことね」とキャラクターの相関関係や事件の真相に見当を付けるだろうが、たぶんそれは間違っています。この短く凝縮された物語の中で、巧みなミスディレクションを用いて読者を驚かしてみせるのだ。さらにとある伏線が回収される、二段構えの謎解きには啞然とすることだろう。
カップリングの「花嫁は時を旅する」(初出「月刊 J-novel」二〇一五年九~十一月号)は運のよい相続者のお話だ。亜由美一家の向かいに越してきた大倉康彦は、娘の弥生と孫の和郎との三人暮らしだ。大倉一家は前の土地で土砂崩れに遭っていたのだ。その土砂崩れは隣家を吞みこみ、住人の松井という老夫婦が死亡していた。人好きのしない夫婦だったのに、なぜか康彦に巨額の遺産を残していたのである。さらに康彦は亜由美と懇意の殿永部長刑事の大先輩にあたる元刑事だった。
土砂崩れの現場では身元不明の頭蓋骨が発見されていた。やがてその現場に松井の娘を名乗る女が現れたり、買い物中の弥生が若い男に刺されそうになったり、和郎が中年女性に連れ去られそうになるなど、大倉一家の周囲で不穏な空気が漂い始める。その一方、落魄した元ヤクザ幹部の妻が取った行動が波紋を広げていく。
「演じられた花嫁」が芸能界を舞台にした本格推理なら、本作は意外な発端から生じるサスペンスと、殺し屋も登場するクライムノベル風味の一編と言えるだろうか。また「花嫁」というキーワードがどこで出現するのか、それを見つける楽しみもある。
亜由美という魅力的なヒロイン。亜由美を助けるだけでなく、犯罪の被害者になりそうな関係者の命を救う活躍を見せる女性好きな愛犬ドン・ファン。この子にしてこの親ありと納得できるユニーク極まる亜由美の母・清美。親友の神田聡子、亜由美が事件に遭遇すると(しなくても)押っ取り刀で駆けつける殿永部長刑事。
魅力的なキャラクターとテンポよく進みながらも意外性のあるストーリー。一作目からきっちりと定まったフォーマットで一向に飽きさせないのがこのシリーズの魅力である。
そして亜由美はいつ花嫁になるのだろうか、というのがこのシリーズ最大の謎なのだ。読者はそれが解明されるまで、このシリーズを読み続けることになるだろう。
作品紹介・あらすじ
赤川次郎『演じられた花嫁 花嫁シリーズ』
演じられた花嫁 花嫁シリーズ
著者 赤川 次郎
定価: 660円(本体600円+税)
発売日:2022年03月23日
舞台上で主演俳優がヒロインにプロポーズ。だが背後には冷たい眼差しが――
休日に親友と舞台鑑賞を楽しんでいた女子大生・塚川亜由美。カーテンコールで主演俳優がヒロインにプロポーズし、会場全体が沸き立つ。だが、ただ一人、彼らを冷たく見つめる女優がいた。その後、ヒロインのもとに脅迫状が届き……。一方、亜由美の目前でアイドルの自殺未遂事件が発生。本人は口を閉ざすが、事情を知るマネージャーが殺されてしまう。芸能界で連続する不審な事件に、亜由美は愛犬ドン・ファンと真相解明に乗り出す。表題作の他、「花嫁は時を旅する」を収録。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322101000255/
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