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最後のくだりでは何度も目頭が熱くなる。いい小説だ――西條奈加『隠居すごろく』文庫巻末解説【解説:北上次郎】

直木賞作家の真骨頂! ほっこり笑えてじーんと泣ける江戸人情物語
西條奈加『隠居すごろく』文庫巻末解説

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

西條奈加『隠居すごろく



西條奈加『隠居すごろく』文庫巻末解説

解説
北上 次郎

 西條奈加に『ぎようりん』という作品がある。「小説宝石」(二〇一六年九月号~二〇一八年一月号)に連載され、二〇一八年五月に光文社から刊行された長編である。最初に告白しておくが、実は私、西條奈加のいい読者ではない。この場合の「いい読者」とは、その作家の全作品、あるいはターニングポイントとなる作品をしっかり読んできている読者ということだ。恥ずかしいことに私、そういう読者ではない。ホントに申し訳ない。だからこの『無暁の鈴』も、新刊のときに読み逃がしていた。二〇二一年四月に、この長編が光文社文庫に入ったとき、その帯には「直木賞受賞後初文庫」というコピーがつけられていて、読み逃がしていたことに初めて気がついた。で、あわてて読んだら、面白いんですねこれが。新刊のときに読んでいたら、絶対に絶賛書評を書いたのにと猛省しました。ここは『無暁の鈴』を語る場ではないので簡単にすませるが、まず構成が素晴らしい。武家の家に生まれながらも家族の愛に恵まれず、寒村の寺に預けられた行之助が絶望のあまり逃げだすのが一三歳のとき。で、江戸に出て(このとき名前を無暁と変える)、やくざの沖辰一家の世話になる。ここまではいいが、問題は、この先の展開だ。それをここに書いてもいいのかどうか迷うのである。というのは文庫本の帯にも表四の粗筋紹介のところにも、このあとの展開については「波瀾万丈の人生」というだけで、詳しいことは書いていないからだ。全体の半分以下のところだから、まだ許容範囲という気もするけれど、初刊版元の意図に敬意を表して書かないことにする。とにかく、えっ、こうなるのと驚くような展開が待っているのだ。沖辰一家のくだりについても、さまざまなエピソードがあり、そこまでも十分に面白いのだが、もっと興味深い展開が待っていると書くにとどめておく。さらにすごいのは、それで終わらないことだ。飢餓や災害から庶民をどうやったら救うことが出来るのか。無暁はその探究に向かうのである。はっきりとしたパートにわかれているわけではないのだが、最初の任俠編、最後の宗教編、その間に挟まれた新天地生活編の三部にわかれるという構成が、実に絶妙である。
 簡単にすませるつもりが長くなってしまったが、西條奈加にはこういう作品もあるということを紹介したかったのである。ファンタジー要素のある時代小説からシリアスな時代小説、さらにはユーモラスな作品まで幅広い作品を書き続けている作家だから、いまさらびっくりすることはないのだが、私のように「遅れてきた読者」は、えっ、こんなに面白い作品があったのかよ、とひとつひとつ驚いているのである。
 というわけで、本書『隠居すごろく』である。前置きが長くてすみません。「公明新聞」(二〇一七年六月一日~二〇一八年五月三一日)に連載され、二〇一九年三月にKADOKAWAから刊行された長編だ。『無暁の鈴』とほぼ同時期に書かれた作品であることに、たったいま気がついた。これもまた、西條奈加の一つの方向を示す長編で、まったく楽しい。
 主人公は、嶋屋徳兵衛。巣鴨町に店をかまえる糸問屋の六代目だったが、
「わしはこのたび、嶋屋六代目のあるじの座を退いて、隠居することにした」
 と宣言するところから始まる小説である。
 店から歩いてもすぐのところに隠居家を作り(妻のお登勢はついてこなかったので、古参女中のおわさとその息子善三を連れた徳兵衛の一人暮らしだ)、最初は釣りをしたものの全然釣れずに三日で中止。隠居仲間を見てみると、舞や三味線などの音曲や、句会に参加するなど、さまざまな趣味を始める連中もいるけれど、無趣味の徳兵衛、そういうことに興味がない。色街に通うという方法もあるけれど、堅実一筋に生きてきた徳兵衛には敷居が高すぎて肩が凝る。つまり、隠居はしたものの、やることがない。
 そこに現れたのが、孫の千代太。八歳である。この徳兵衛、それまでは仕事一筋に生きてきたので、妻や息子、さらには孫とも親しんだことがない。いまは忙しいからと相手にせず、機嫌が悪ければ邪険にするどころか、うるさいと怒鳴りつけたりもするから、ようするに家族からは浮きまくっていた。徳兵衛、これまではそんなこと、まったく気にしていなかったが、一人になってみると、話す相手が誰もいないから、妙に寂しい。そこに現れたのが八歳の千代太なのである。
 そうか、この先がまたまた問題だ。この先の展開をここに書いてもいいのかどうか、迷うところである。小説は何が書かれているかを知るのも楽しみの一つなので、それを先に紹介されたらその楽しみがひとつ、なくなることになる。しかし何も書かないわけにはいかないので、冒頭の部分だけを紹介することにする。
 毎日のように孫の千代太が隠居家にやってくるようになり、徳兵衛は嬉しいのだが、その千代太がある日犬を拾ってくるのがまず発端である。「おじいさまはひとりで退屈しているとおわさにきいたから」とけななのだが、徳兵衛、犬猫のたぐいが嫌いなのだ。しかし孫が可愛いのでそれを言えず、すると二日後に今度は猫を拾ってくる。ここで徳兵衛が失敗するのは、「おまえの気持ちは、決して悪いことではない。だがな、どうせなら犬猫ではなく、人のために使ってみてはどうだ?」と言ってしまったこと。すると、どこまでも善意あふれる千代太は、今度はなんと、ボロぞうきんのような着物を着た幼い子を二人連れてくるのだ。友達かと尋ねると、顔も手足も真っ黒の、千代太と似たような背格好の少年は「飯、食わせてくれるっていうから、ついてきただけだ」と言う。千代太は祖父の言葉通り、その愛情を犬猫のためにではなく、人のために使ったというわけ。これでは徳兵衛も怒れない。しかし、あとから考えれば、これはまだいいほうで、ここから千代太の行動がどんどんエスカレートしていき、それに徳兵衛が振りまわされていく。どういうふうにエスカレートしていくかは、ここに書かない。とんでもないことになるのだ。
 まったく楽しい小説だが、素晴らしいのは、幼い千代太の行動が徳兵衛を徐々に変えていくという展開である。徳兵衛は先に書いたように、家族と触れ合わず、趣味もなく、商売一筋に生きてきた人間である。そういう人間が幼子の純な心に触れ、変化していくのだ。本来なら人生経験豊かな老人が、世間を知らない幼子に物事の本質を教えていくというかたちが順当ではあるのだが、この小説においてはそれが逆転するのである。この構造が素晴らしい。だから、最後のくだりでは何度も目頭が熱くなる。いい小説だ。

作品紹介・あらすじ
西條奈加『隠居すごろく』



隠居すごろく
著者 西條 奈加
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2022年02月22日

直木賞作家の真骨頂! ほっこり笑えてじーんと泣ける江戸人情物語
巣鴨で六代続く糸問屋の主人を務めた徳兵衛。還暦を機に引退し、悠々自適な隠居生活を楽しもうとしていたが、孫の千代太が訪れたことで人生第二のすごろくが動き始めた……。心温まる人情時代小説!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322106000379/
amazonページはこちら

楽隠居生活を送るはずが、商いに手習いに大忙しの徳兵衛。「隠居すごろく」連載中



https://kadobun.jp/serialstory/inkyo_otedama/qg4rq4qb83k4.html


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