直木賞作家の真骨頂! ほっこり笑えてじーんと泣ける江戸人情物語
西條奈加『隠居すごろく』文庫巻末解説
角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
西條奈加『隠居すごろく』
西條奈加『隠居すごろく』文庫巻末解説
解説
北上 次郎
西條奈加に『
簡単にすませるつもりが長くなってしまったが、西條奈加にはこういう作品もあるということを紹介したかったのである。ファンタジー要素のある時代小説からシリアスな時代小説、さらにはユーモラスな作品まで幅広い作品を書き続けている作家だから、いまさらびっくりすることはないのだが、私のように「遅れてきた読者」は、えっ、こんなに面白い作品があったのかよ、とひとつひとつ驚いているのである。
というわけで、本書『隠居すごろく』である。前置きが長くてすみません。「公明新聞」(二〇一七年六月一日~二〇一八年五月三一日)に連載され、二〇一九年三月にKADOKAWAから刊行された長編だ。『無暁の鈴』とほぼ同時期に書かれた作品であることに、たったいま気がついた。これもまた、西條奈加の一つの方向を示す長編で、まったく楽しい。
主人公は、嶋屋徳兵衛。巣鴨町に店をかまえる糸問屋の六代目だったが、
「わしはこのたび、嶋屋六代目の
と宣言するところから始まる小説である。
店から歩いてもすぐのところに隠居家を作り(妻のお登勢はついてこなかったので、古参女中のおわさとその息子善三を連れた徳兵衛の一人暮らしだ)、最初は釣りをしたものの全然釣れずに三日で中止。隠居仲間を見てみると、舞や三味線などの音曲や、句会に参加するなど、さまざまな趣味を始める連中もいるけれど、無趣味の徳兵衛、そういうことに興味がない。色街に通うという方法もあるけれど、堅実一筋に生きてきた徳兵衛には敷居が高すぎて肩が凝る。つまり、隠居はしたものの、やることがない。
そこに現れたのが、孫の千代太。八歳である。この徳兵衛、それまでは仕事一筋に生きてきたので、妻や息子、さらには孫とも親しんだことがない。いまは忙しいからと相手にせず、機嫌が悪ければ邪険にするどころか、うるさいと怒鳴りつけたりもするから、ようするに家族からは浮きまくっていた。徳兵衛、これまではそんなこと、まったく気にしていなかったが、一人になってみると、話す相手が誰もいないから、妙に寂しい。そこに現れたのが八歳の千代太なのである。
そうか、この先がまたまた問題だ。この先の展開をここに書いてもいいのかどうか、迷うところである。小説は何が書かれているかを知るのも楽しみの一つなので、それを先に紹介されたらその楽しみがひとつ、なくなることになる。しかし何も書かないわけにはいかないので、冒頭の部分だけを紹介することにする。
毎日のように孫の千代太が隠居家にやってくるようになり、徳兵衛は嬉しいのだが、その千代太がある日犬を拾ってくるのがまず発端である。「おじいさまはひとりで退屈しているとおわさにきいたから」と
まったく楽しい小説だが、素晴らしいのは、幼い千代太の行動が徳兵衛を徐々に変えていくという展開である。徳兵衛は先に書いたように、家族と触れ合わず、趣味もなく、商売一筋に生きてきた人間である。そういう人間が幼子の純な心に触れ、変化していくのだ。本来なら人生経験豊かな老人が、世間を知らない幼子に物事の本質を教えていくというかたちが順当ではあるのだが、この小説においてはそれが逆転するのである。この構造が素晴らしい。だから、最後のくだりでは何度も目頭が熱くなる。いい小説だ。
作品紹介・あらすじ
西條奈加『隠居すごろく』
隠居すごろく
著者 西條 奈加
定価: 836円(本体760円+税)
発売日:2022年02月22日
直木賞作家の真骨頂! ほっこり笑えてじーんと泣ける江戸人情物語
巣鴨で六代続く糸問屋の主人を務めた徳兵衛。還暦を機に引退し、悠々自適な隠居生活を楽しもうとしていたが、孫の千代太が訪れたことで人生第二のすごろくが動き始めた……。心温まる人情時代小説!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322106000379/
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楽隠居生活を送るはずが、商いに手習いに大忙しの徳兵衛。「隠居すごろく」連載中
https://kadobun.jp/serialstory/inkyo_otedama/qg4rq4qb83k4.html