文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
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(解説:
それまで見聞きしたことはあっても、どこか漠然としていた「政略結婚」という言葉の意味を、なるほどこういうことを指すのかと理解したのはアニメ版の『ベルサイユのばら』を見たときでした。わずか十四歳で、言葉も違う異国へ嫁がされ、しかも相手は王太子とはいえ、どうも冴えない。昭和の小学生だった私は、マリー・アントワネットが可哀想! 政略結婚ってひどい! と大いに憤ったものです。
しかし、やがて中学生になり、高校生になり、『あさきゆめみし』や『大奥』といった歴史時代小説や漫画に触れる一方、大人になってリアル恋愛経験を積んでいくと、今、このように好きだの嫌いだの、理想がどうとか好みのタイプが云々とか、勝手なことを言いながらも自分の意志で恋愛し結婚できるようになったのは、日本でもまだほんの最近のことなのだ、と分かってきました。「政略結婚」というほど大ごとではなくても、「家」の格やつり合いというものが重視され、家長の一存で嫁ぎ先が決められることは、昭和の中期まで特に珍しいことではなかったのです。幼いときは親に従い、結婚したら夫に従い、老いては子に従えと教えられ、家のために子を産むのは女の「務め」とされていた時代は長かった。統計によると、長年圧倒的優勢だったお見合い結婚と恋愛結婚の比率が逆転したのさえ一九六五年頃(国立社会保障・人口問題研究所による出生動向基本調査)とのことですが、その後も、私が二十代初めだった頃(いわゆるバブル期ですね)までは、女の価値はクリスマスケーキと同じと言われたりもしていました。売り時は二十四までで、二十五になった途端に値崩れするという今となっては鼻で笑いたくなるようなくだらない価値観ですが、当時は笑い飛ばせない人が大勢いたのです。
その頃から比べれば、令和二年の現在における「結婚」は、かなり縛りが緩くなりました。
いつ、誰としても、しなくても自由。一度や二度の離婚や再婚も珍しくなく、入籍はしない事実婚で認められる権利も増えました。結婚「できない」と他人から揶揄されるのではなく、自分の意志で「しない」と公言することだってできる。
けれどその一方で、自由ゆえの選択肢の多さから、悩みや迷いが増えているのもまた事実。かくいう私も、自分で望んだ人と結婚し、自分で選んで離婚し、バツイチ子なしで五十代に突入したわけですが、未だにこの道でいいのか? と人生迷路から抜け出せずにいます。手にした自由を不自由だと感じてしまうのは、認めたくはないけれど私の腹がまだ据わっていないからでしょう。言い換えれば、自分の人生を自分で引き受ける覚悟ができていないのです。誰かに従い続ける人生なんて、まっぴらごめんだと思っているのに。
さて。本書『政略結婚』は、江戸から昭和まで約百二十年にわたる、今よりずっとずっと不自由だった時代に生きた、三人の女性を主人公に据えた物語です。
第一章「てんさいの君」の主人公・
大藩の姫として生まれながらも、母親の地位は低く、本宅ともいえる二の丸ではなく、敷地のはずれの別邸で育ち、自らの「分」というものをわかっていて、人生とは自分の力が及ぶことなどなく、誰かによって決められていく、「そういうもの」だと粛々と受け入れているようだった勇が、夫も娘も喪い、藩の存続にかかわる絶体絶命の窮地に立たされたことで、公儀を謀る、つまり幕府を騙すと決断する場面が強く印象に残ります。勇は大聖寺藩を守るために、とんでもない攻めに出たわけですが、そうまでして守った藩も、明治へと移り変わった世の中でなくなってしまう。しかし、それまた抗いようのないことと受け止める勇が「てんさい」の大皿を見つけて笑う姿は、「お袋さま」としての貫禄十分で、彼女の人生が不幸続きなだけではなかったことに胸が熱くなります。
第二章「プリンセス・クタニ」は、勇の大聖寺藩と同じく加賀藩の分家だった
この出来事が、〈どんな事実もわたしを傷つけることはなかったし、もうわたしは怯えなかった。/どのようにこの世に生まれ出ようと、わたしの生はこれからなのである〉と思い至る場面に繫がり、
そして第三章「華族女優」は、大正の終わりに生まれ、昭和を生きた
踊り子の誰かに捧げられ、見向きもされることなくステージの隅に転がっていた薔薇を踏みつけて、「私、ここで誰かの好意を無下にしたいわ」と口にした日から花音子が、スターダムにのしあがっていく過程は、過酷で壮絶なものですが、そこに祖父や母、そして「家」という呪縛を断ち切る覚悟が露になっていく点が白眉です。「お前は伯爵令嬢にふさわしく華やかに美しく、誰からも誇られて暮らすのだよ」という祖父の甘言も、「財産を失っても、たとえ屋敷を失っても、お前とこの深草家が従二位の家格をもち、歴史と伝統ある公家伯爵家の令嬢であることは誰も奪えない」という母の悲痛な訴えも、自分の人生には邪魔でしかないと彼女自身が悟っていく。その冷ややかな覚悟が、痛みを伴いながら読み手の心にも伝わってくるのです。
選択の余地などなく嫁いだ家を懸命に守り通した勇。家を捨てることなく自分の意志で進む道を選びとった万里子。長い歴史のある公家伯爵家の血を、率先して絶やしたと語る花音子。『政略結婚』と題されながらも、三人の生き方は一様ではありません。維新や戦争といった大きな時代の転換期を生きた彼女たちの人生は、まさに激動で、読者としては本書を通じてそんな時代もあったのか、と、知らされることも多々あるでしょう。背景となっている時代における価値観、特に女性の立場は、「そういうもの」とは納得できないことも多い。けれど、それを作者である高殿さんは、悲劇的に描くのではなく、勇を、万里子を、花音子を「個」として立たせ、歩ませるのです。
と、同時に、直接的な血縁関係ではない三人を繫ぐ九谷焼、「てんさい」の大皿にまつわるエピソードもひとつ大きな読みどころ。勇が好んだ青手の名工に利極が注文し、いつか娘の政が嫁ぐ日に持たせるつもりだった皿は、勇から
おりしも、コロナ禍で新しい価値観が生まれ、世界が大きく変化しつつある今。本書は世の常識や価値観にとらわれすぎず、揺るがぬ自分の核を持つことの大切さに、改めて気付かせてくれます。自分を信じる力をチャージして、歩き出す。
令和を生きる、私たちの生も、まだまだこれからなのです。
▼高殿円『政略結婚』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000314/