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レビュー

「捨身」と「流血」のあいだ 『捨身の仏教 日本における菩薩本生譚』

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(評者:山折哲雄 / 宗教学者)


捨身の仏教』とは、やや抑制をきかせた書名かもしれない。とはいっても、たとえば「流血の仏教」では、学術・啓蒙書の棚には並べにくいだろう。著者も腹の中では迷っていたかもしれない。とにかく挑戦的な爪を隠してはいるけれども野心的な仕事であることは間違いない。
 法隆寺の玉虫厨子といえば、誰知らぬ者のいない当代随一の国宝である。そこに描かれている「捨身飼虎」図──飢えた虎にわが身を食わせて犠牲になる血腥い物語、それが本書の主題である。
「捨身」のモチーフがどこからきたのか、東西古今の資料を探り、説話の源流や伝承のあとをたずね、その核心に横たわる仏教の「菩薩本生譚」(ジャータカ)を、柔軟なタッチで読み解いていく。それが仏教の誕生とどうかかわるか、と。ちなみに「ジャータカ」とは、「ブッダが誕生する以前の修行中、すなわちその前世の話」のこと。それは「薩埵王子本生譚」とも称され、西域地方や中央アジアを舞台に流行し、千仏洞の石窟に描かれ、多くの仏教典籍で語られてきた。その原型や源流について先行研究はさまざまな仮説を立ててきた。菩薩(王子)の血腥い捨身の場面をイエス・キリストの十字架体験と結びつけるもの、また北方遊牧民における動物解体慣習の影響によるとするものなど、いまだ未解決のままのこされている問題もある。著者はそれらの見方を参照し、慎重に見きわめつつ、説話の流れを歴史的に明らかにしようとつとめている。
 肝心の点は、やはり法隆寺の「捨身飼虎」図を機に、この話がどのように展開していったかということだ。とりわけ中世の持戒僧、明恵上人の人生にまつわる「流血をいとわない捨身」の行。それをとりあげ、仏教の本義とどうかかわり、どのような文化の背景から生みだされたのかを明らかにしていく。
 この国の菩薩本生譚系の説話群では、法隆寺の厨子絵を例外としてマイルドな再話に終始する傾向があり、それが美術史の定説になっているようだ。ところが中世期になって変化のきざしがあらわれる。それらの類話、再話のなかから、血の匂いが立ち、流血の濃度がにじみ出てくるようになるからだ。
 たとえば『神道集』に語られる本地物語の「熊野権現」──嫉妬のため山中で出産させられた女御が斬首され、生まれた乳児が首のない母の乳房に吸いついて育つ。また「古浄瑠璃」の一つ「阿弥陀の胸割」──長者の息子を救うため自分の生肝をさしだす女の子の犠牲の物語。さらに近世に入って、近松門左衛門「釈迦如来誕生会」。これは「シビ本生譚」を下敷にしていて、おのれの腿肉を切り刻む惨酷きわまる身代りの物語である。
 近松のこの芝居は、正徳四年(1714)、竹本座で上演されているが、その内容は親子の恩愛と勧善懲悪を主題にしつつ、それまでの「本生譚」の枠組を破っている。中世から近世へと仏教倫理が世俗化していくなかで、伝統的な仏教説話が解体され、そこには新しい時代の息吹とともに、近松による説話の再創造の企てが感じられるといっている。
 本書にはまた、宮澤賢治が本生譚を素材にした作品がとりあげられ、その捨身のモチーフがかれの童話や文学とどうかかわるのか、興味ある議論が展開されている。また、さきにもふれたが、血塗られた古浄瑠璃「阿弥陀の胸割」エピソードについては、とくに和辻哲郎の見解を登場させ、重要な論点を浮き彫りにしてもいる。この作品ににじみ出る血の色や、その「エキゾーティック」な味わいにふれて、それが和辻のいうように「外」からくるものなのか、それともこの国に自生する美意識なのか、著者なりの問題提起をしている。本書『捨身の仏教』の今後の研究課題として、この「外」と「内」のテーマはさらに深めていく必要があるのだろう。
 かつて私は、北緯40度線沿いのシルクロードの旅をして敦煌を訪ねたことがある。そして代表的な捨身飼虎図のいくつかをこの目で見たのであるが、とくに虎に食われる最終シーンがいずれも泥で塗りつぶされていたことを改めて思い出しているのである。

ご購入&試し読みはこちら▶君野隆久『捨身の仏教 日本における菩薩本生譚』| KADOKAWA


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