「育は普段どんな漫画を読むの? 私はね、断然、ショージョ!」
 と鼻息荒く迫ってきたのは、最近親しくなったアメリカ人のムスリム女子。ヒジャブで肌を覆いアクセサリーを重ねづけして、とびきりおしゃれで艶っぽい。合法か違法か不明だがスマホにどっさり漫画をダウンロードしており、『花とゆめ』や『flowers』の英語版コミックス、そしてティーンズ・ラブ作品のドチャクソにエロい表紙がずらりと並ぶ画面を見せてくれた。ちょ、これ、戒律的に読んでて大丈夫? 俺はいいけどアッラーは何て言うかな!? と少々心配になる。
「ショージョ・マンガのどこが好き?」と尋ねると、「私はやっぱり、バトルよりも、ラブがいいのよ!」と即答された。社会を揺るがす有事や人類滅亡の危機、それに立ち向かう戦士たちの勇姿、殺るか殺られるかで斬り結ばれる他者との関わりを描く少年漫画よりも、同じ世界を別の切り口から描いた少女漫画、社会の中で他者に直接伝えられることさえ稀な心の奥深くへ分け入っていく作品群に惹かれるのだと、このヒジャブっ娘は言う。
 ああ、私と一緒だ。でも、生まれたときから浴びるように少女漫画を読んで、その機微を理解できて当然(だって、女の子だもん。)と思ってきた私は、こんなふうに率直に簡潔に、その真髄を分析し、言語化したことがあったか? と胸に手を当てる。二村ヒトシ著『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』を読んだ後にも、同じことを考えた。ああ、私と一緒だ。でも、評する言葉が違う。
『風と木の詩』『ホットロード』『メイプル戦記』『日出処の天子』『綿の国星』『少年は荒野をめざす』『ガラスの仮面』。日本で生まれ育った現代女性にとって文字通り「避けては通れない」金字塔的な作品ばかりを取り上げた本書は、男性AV監督による読書感想文集である。ジルベールは多忙で元気なメンヘラ。厩戸王子のセクシーさは黒い色。姫川亜弓こそが真面目な一般人の感情移入装置。繊細な砂糖菓子を手づかみで貪り食うような勢いのある要約が小気味よい。
 私の二人の友人、五十代の男性AV監督と二十代のヒジャブっ娘はともに今、「誰もが知る名作を、誰にも邪魔されず、初めて読む」喜びにどっぷり浸っている。素朴な疑問、ぶっとんだ解釈、突然の賢者タイムや自分語り、先入観や衒いのない直球の感想。オタク特有(かつ万国共通)の早口でガンガン繰り出される彼らの新鮮な言葉を、私は羨ましく眺める。台詞の一つ一つを諳んじられるほど読み込んだあの名作少女漫画を、記憶をリセットしてもう一度、こんなふうに「初めて」読むことができたら、どんなに楽しく素晴らしいことだろう。
 一方でこれは、長らく「侵すべからざる秘所」のように取り扱われてきた少女漫画への、果敢な挑戦状でもある。それを誰より愛し深く理解しうるのは対象読者たる我々である、とふんぞり返る(元)女の子たちを、挑戦者・二村ヒトシは七番勝負のバトルへいざなう。「こんなことを書くと怒られるかもしれないが」と恐縮するそぶりを見せながら、努めて紳士的な言葉遣いで物語構造を解体し、時に数十年単位で触れられずにいた欺瞞を暴く。
 ロボットアニメや怪獣映画、SFやハードボイルド小説がとっくに「男だけのもの」でなくなったのと同様、少女漫画だってもはや、国境も性差も年齢も超えて幅広い層に読まれるコンテンツだ。長年これだけの名作を愛読し血肉としてきたはずなのに、あなたがたはまだ、ここに描かれた「愛」の恐ろしさにお気づきでないのですか? と煽られて、私はまたもや胸に手を当てる。
 そういえば、大人になって「性と愛とのややこしい関係」を我が身で実感してから、平たく言えば処女でなくなってから、まだ一度も読み返していない作品がたくさんある。「ショージョ・マンガのどこが好き?」という永遠の問いかけに対する回答、そろそろアップデートが必要かもしれない。

二村ヒトシ『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』外伝「ポルノとしての少女マンガ」"

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書籍

『僕たちは愛されることを教わってきたはずだったのに』

二村 ヒトシ

定価 1512円(本体1400円+税)

発売日:2017年07月29日

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