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レビュー

数学と音楽が共鳴する――吹奏楽部の女子高生24名による衝撃のサバイバルミステリ!『その孤島の名は、虚』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:竹内 薫 / サイエンス作家)

 この解説から読み始めてしまった(少数の)読者のみなさん、どうか、本文を読み尽くしてから、この解説に戻ってきてください。ミステリー小説のネタバレほど不条理なことはありませんので。

 で、解説だ。

 この本を読んでいる間じゅう、ジョルジュ・デ・キリコとアンリ・ルソーの絵柄が私の脳を占拠していた。なぜか。

 キリコとルソーの絵柄は、一言でいえば非現実的だ。その現実とのかいが作品にインパクトを与えているのだ。それと同じで、本書は、私にとって、現実からの乖離が頭にガツンと来るような作品であった。

 本書はきちなんじよ吹奏楽部の面々が主人公で、作品のいたるところに音楽が登場する。終章で主人公のがカケルの前で奏でたチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番ニ長調第二楽章は、たまたま、私の好きな音楽である。

 そもそも、音楽は数学ときわめて相性がよい。私の知っている音楽家の多くは驚くほど数学が得意だ。一見、芸術に属する音楽と理学・工学に属する数学とでは、真逆のような気がするが、もちろん音楽は数学そのものだ。

 たとえば、ジャズでよくお目にかかるⅱ─V─Iというヴォイシングは、具体的にはDm9-G13-Cmaj9だったり、B♭m9-E♭13-A♭maj9だったりするわけだが、そのパターンはⅱ─V─Iとして抽象化できるわけで、音楽家は、自由自在に音の階段を上り下りする。物理的には異なる振動数の音ではあるが、相対的には同じ音なわけで、まさに相対性理論のローレンツ変換と同じ意味を持っている。

 この作品が音楽と数学をモチーフとして練り上げられていることは、作品の構造として美しい。

 われわれはよく小説を読むときに「自然なプロット」などという表現を使うが、数学的なプロットは、ひつきよう、不自然なプロットである。人間にとって「自然」とは「感情」を意味することが多い。そのため、感情の対極にある「論理」の世界は、人間社会においては不自然極まる存在なのだ。

 私の周囲には何人もの数学屋がいるが、彼らの多くは、論理の世界の住人であり、感情の世界が苦手だ。かくいう私も、よく妻の主張することが理解できずに頭が「???」だらけになることがある。

 たとえば、経営する会社に応募してきた人を採用したいと妻が言う。なぜだとたずねると「よい人だから」と答える。私は事業収入と、その人の月給とを冷徹なてんびんにかけ、「赤字になるから今は採用できない。売上シミュレーションからすれば、半年後なら可能かもしれない」と答える。妻は「こんなよい人、半年も待ってくれないわ。なんでいつも計算ばかりしているの?」と怒り心頭だ。だが、赤字になって銀行に借金を申し込みに行き、煩雑な書類にハンコを押すのは私なのである。計算とはすなわち論理という基礎の上に建つ堅固な楼閣であり、「よい人だから」という、論理的に真偽すら判断できない理由で雇用を増やせば、会社は倒産する。私は正確には物理屋であるが、数学屋の端くれでもあるので、論理を理解しない妻とは、ことごとく、意見が対立する。まあ、最終的に、「妻の言うことを聞かなければ妻の機嫌は永遠に直らず、ストレスがたまり、寿命も短くなる」という論理的な計算により、毎回、私は妻に折れるのであるが。

 本書は、そんな数学屋(あるいは数学愛好家)にとって、すこぶる心地よい空間だ。虚の島の形もそうだが、構造そのものが心地よい。題名からして、「ああ、虚数が出てくるんだな」とワクワクするし、ガウス・アルガン平面のところでアルガンの逸話が出てくればフムフムとうなずくし、ハミルトンと来れば「お次はクオータニオンかな」と作者の意図を先読みしたかのような優越感に浸ることもできる。

 本書は、中学生から高校生くらいで、いまだガウス・アルガン平面もクオータニオンもよく知らない若い数学屋が、いちばん楽しめるのかもしれない。論理的で勘のいい彼ら・彼女らは、さらりと解説されている数学が、プロットより大切な宝物かもしれない。

 老境に達しつつある、私のような数学屋にとっては、「虚数、クオータニオンと来たら、お次はオクトニオンしかないよな」という予想が、最終局面で(当然のことながら)当たるので、勝手な、してやったり感が大きい。

 読者の中には、クオータニオンとか虚数時間とか、絵空事としか思えない、という人もいるだろう。しかし、作者も書いているように、クオータニオンは、3DCGが登場するゲームのプログラミングでは、あたりまえのように使われているし、「車椅子のニュートン」と形容された故スティーヴン・ホーキング博士の十八番おはこは虚数時間の宇宙論だったわけで、物理屋・数学屋にとって、充分にありうる設定である。

 それにしても、「二十四のひとみ」ならぬ、二十四名の女子高生たちが、いきなり大蛇にみ込まれ、引きちぎられ、あげくの果てには分裂して銃撃戦に発展するというプロットは、私のようなノンフィクション系作家には、とても想像がつかない。

 だってそうでしょう。いくら虚の島が特殊環境で、しかもウイルスに感染してしまったとはいえ、同じ部活の仲間たちと平気で殺し合うなんて、まさかの展開としかいいようがない。

 数学的な仕掛けは読めても、ストーリー展開が全く読めない。そのアンバランスさが幸いして、この作品は、まるで片腕倒立のようなギリギリの危うさを保ちながら、作品として成立している。

 ところで、本書を読みながら、新型コロナウイルスがまんえんしている世界の現状に思いをせざるを得なかった(この解説を書いているのは2020年5月であり、まさに緊急事態宣言のまっただ中だ)。

 いま人類は、本書の設定のごとく、いまだ正体がつかめないウイルスのせいで、孤立してしまっている。日に日に死亡者の数も増え、われわれはみな、極度の緊張の中にいる。いつ日常に戻れるか、誰も予測がつかない中、われわれは、このウイルスの謎を解き、闘い続けるしかない。

 コロナウイルスは、いわゆる、普通にゴロゴロいる風邪のウイルスである。たしかにSARSやMERSという「予兆」はあったものの、日本、欧米各国は、どこか対岸の火事のような目でコロナウイルスを見ていた感がある。今回のCovid-19のせいで、しかし、世界は地獄絵と化した。

 数学的世界観が強いという意味で、もちろん、本書の設定はCovid-19の世界とは異なる。だが、ある日突然、不条理な世界へ飛ばされ、人々が憎み合い、生死をけて戦わなくてはいけないという状況設定は、まさに、今のわれわれが置かれたシチュエーションそのものであり、まるで予言の書でも読んでいるかのような錯覚に陥った。

 作者の次回作では、是非、オクトニオンの世界に飛ばされたさえとナミの殺人コンビの活躍を読んでみたいものだ。いや、さすがに掛け算の演算表が大きすぎて、商業出版にはそぐわないか(笑)

 すばらしき数学世界と奇想天外なプロットが融合したい作品を読み終え、ああ、こりゃあしばらく、お腹が一杯だ───。



古野まほろ『その孤島の名は、虚』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321910000666/


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