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レビュー

名探偵ならざる市井の人々が放つ、未来をより良くするための名ロジック『逆ソクラテス』

物語は。

これから“来る”のはこんな作品。物語を愛するすべての読者へブレイク必至の要チェック作をご紹介する、熱烈応援レビュー!

伊坂幸太郎『逆ソクラテス』(集英社)



 日本において新型コロナウイルス感染症のフェーズが変わった瞬間は、死者数や感染者数の増大ではなく、無症状感染者の存在が周知されたときではなかったか。マスクはウイルスがうつされるのを防ぐためではなく、うつすのを防ぐために着けるという「新しい生活様式」は今後、人々の精神性を変えていくに違いない。あえて強い言い方を選ぶならば、加害の感覚の日常化だ。その視点に立ってみると、世間のニュースが違う角度で飛び込んでくる。例えば、SNSを主な震源地とする、誹謗中傷や炎上の問題。そんなつもりはなかった、無自覚だったとしても、自分の言葉が誰かを傷つけてしまったことはなかったか?

 デビュー二十周年を迎えた伊坂幸太郎は、現実と地繋がりの理不尽さに満ちた物語世界の中で、被害者になる恐怖を存分に活写する一方、加害者になる恐怖をも描き出してきた。それはデビュー作『オーデュボンの祈り』の主人公の内面に刻印され、『死神の浮力』の頃にフェーズが変わり、『逆ソクラテス』において新しいアプローチで記述されることとなった。

 表題作に当たる第一編は、小学六年生の「僕」が転校生の安斎くんの呼びかけに応え、担任の久留米先生をやっつける作戦を繰り広げる。大人びた安斎くんは、教室という場が、先生から生徒への一方的な影響力の行使─加害を呼び込む、ということを直感的に理解している。例えば久留米先生は草壁くんを〈大した子じゃない〉と決めつけて見下し、本人を萎縮させる言動を取っている。〈ここで俺たちが、久留米先生の先入観をひっくり返すんだ〉。草壁くん本人を含む即席チームに共有されているのは、この計画は、草壁くんを救うためのものではない、ということ。久留米先生が自身の先入観を疑うことなく教職を続けていった場合、害されることになる〈未来の後輩たち〉を救うために立案されている。ここで繰り出されるロジックをまとめると、こうだ。加害側の心に杭を打つことで、未来の被害を減らす。

 第二編以降も小学生を主人公に据え、〈先入観をひっくり返す〉物語が、ミステリーの律動に乗せて語られていく。まさか教師いじめの象徴とされる授業中の「缶ペン落とし」を、こんなふうに物語化することができるなんて! 話数が先へ進むにつれて色濃くなるのは、加害側の心に杭を打つと共に、加害者を社会的に包摂するロジックだ。誰しもが加害者になり得るならば、排除の論理を振りかざせば自分もいつか排除されてしまう。過去に振りかざした正義が、現在において悪意の牙を剥くかもしれない。ならば……と。最終第五編では、それだけでは足りない、と更なるロジックを展開する。自分が加害側へと傾かないよう、他者の監視を受け入れることが重要なのだ、と。

 加害の可能性を意識しながら日常を過ごすことは、初めは萎縮であり不自由だと感じられるかもしれない。だが、それは熟慮であり優しさなのだ、と本書は教えてくれる。ミステリーという物語ジャンルの醍醐味は、名探偵に象徴される主人公が繰り出す、立場や感情、常識に左右されない背筋が凍るほどの冴えたロジックにある。本書において名探偵ならざる市井の人々が、学校絡みの事件に立ち向かう過程で見出す、未来をより良くするための冴えたロジックの数々を、堪能してほしい。そうすれば、きっと、未来は変わる。

あわせて読みたい

阿部和重『オーガ(ニ)ズム』(文藝春秋)


伊坂との共作もある著者が書き継いできた、<神町サーガ>最終章に当たる大長編。作家の「阿部和重」が息子をあやしながら、世界崩壊の危機に立ち向かう。親とは子供の可能性を奪う加害者かもしれない……と、最終章で記述される感慨が、それまで読み進めてきた物語に乱反射を引き起こしている。


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