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レビュー

女優・小橋めぐみが「心を育てられた」人間ドラマ―― 『勿忘草の咲く町~安曇野診療記~』

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(評者:小橋めぐみ / 女優)


 昨年の秋から、九十歳になる母方の祖母と同居を始めた。その三年前までの九年間は、父方の祖母と一緒に暮らしていた。父方の祖母は認知症だった。反対に母方の祖母は、記憶力が、今も驚くほど全く衰えない。家族みんなが忘れているような些細なことも、ちゃんと覚えている。ほかにも、違うなあと思うことが多い二人の対照的な祖母だが、とても似ている点が二つある。一つは胃腸が「丈夫である」ということだ。同じものを食べて、両親と私の三人がお腹を壊しても、祖母だけは何故か壊さない。二つ目は、花の愛で方だ。一緒に歩いている時、また、家で花瓶に花を生けた時、「おばあちゃん、お花、きれいねえ」と私が言うと「まあ、ほんとうだ」と祖母は言って、それからしばらく、動きが止まる。歩いていたら立ち止まり、それをじいっと見る。その、見惚れる姿に、止まった時の長さに、私の忙しない心が、はっとする。テレビを見ていても会話の速さについていけなかったり、本を手に取っても最後まで読むことが少なくなってきたが、花を愛でることは、祖母たちにとって、残されたエンターテイメントのような、ささやかながら楽しみの一つなのだなあ、とつくづく思う。そしてそこに、確かな生命を感じているのかもしれない。
勿忘草の咲く町で~安曇野診療記~』は、季節の花を各章のタイトルにした四編からなる連作小説だ。花の名前には疎いが、野に咲く花に目を留め、元気をもらう看護師三年目の月岡美琴と、若き研修医であり、花屋の息子でもある桂正太郎。この二人の視点を交互に、地方の「高齢者医療」の現実を、信州の美しい自然を織り交ぜながら描いている。
 舞台は、松本市郊外の梓川病院。小さな病院だが、高齢化が進むこの地域で、施設から搬送されてくる高齢者の受け皿となることが、大きな役割の一つとなっている。
 第一話「秋海棠の季節」では、家族のために「少しでも生きていたい」と願う四十八歳の膵臓癌の男性患者と、何も口にしようとしない八十八歳の誤嚥性肺炎の女性患者を担当する桂の姿が、美琴の視点で描かれる。
 手を尽くしても、いつも患者を助けられるとは限らない。けれども桂は言う。「たとえ人の命を引き延ばしたりできなくても、それでも人間にはできることがあるはずです。あると信じている」と。この言葉には、胸を突かれた。また、いつ行っても病院にいる桂の過労を美琴は心配するが、休んでほしくても、医師不足の上、患者は増え、休めない現実がある。だから彼女は、看護師の自分にできることをやろうと思う。
 できないことに絶望する前に、現実を恨む前に、自分たちにできることがある。
 そのひたむきな信念に深く共感し、私もそうありたいと思った。
 ところがその信念に、激しく揺さぶりをかけてくるのが、第二話「ダリア・ダイアリー」だ。“死神の谷崎”の異名を持つ、桂の新しい指導医は、現場が凍り付こうがおかまいなしに、延命治療を一切せず、高齢の患者を看取りにもっていく。まるで感情の欠落した、ひどい医者に思え、桂は大いに悩む。しかしそこにもまた、高齢者医療の厳しさが、理想と正論だけでは立ち行かなくなっている現実があることを、桂は徐々に知っていく。
「我々はもう、溢れかえった高齢者たちを支えきれなくなっている」と。
 例え、死が目前に迫ろうと、一分一秒でも長く生きられるようにと、自分たちにできることに全力投球することだけが果たして正しいのかと、分からなくなる。けれどその現実を知った上でなお、桂はもがく。自分にできることを探し続ける。
 正解のない問題に挑む若さが、そこにある。
 続く第三話「山茶花の咲く道で」、第四話「カタクリ賛歌」では、高齢者医療の問題は、医者と患者のみならず、患者の家族、そしてこの物語を読んでいる私たちにも、世代を超えて問われているのだ、と伝わってくる。本当の意味で高齢者の命を支えるのは、医療ではなく、その命を想う人たちなのだ、と。
 桂と美琴は、一つ一つの問題に対して、ちゃんと立ち止まって悩む。違和感を感じたら、何がおかしいのか、きちんと考える。
 まるで花の美しさを素通りしない祖母のように、立ち止まる。立ち止まるから、気づけることがある。見えてくるものがある。
 読みながら何度も涙が零れ、そのたびに心を育てられたような気がした。
 高齢化社会を迎えた今、どこで、どのように命の花を咲かせるのか、ということだけではなく、どのように土に還るか、ということも、もう少し明るく考えてもいいのかもしれない。そしてそのことを、死が迫ってくる高齢になってからではなく、若いうちに、体力のあるうちに考えることも悪くないのだと思えた。
「死」は誰にでも訪れる、未来なのだから。
 季節は巡り、また春は来るのだから。
 自然の中で私たちは、生きている。
 生かされている。


◎第1話「秋海棠の季節」をまるごと公開中


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