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特集

【あとがき公開】〝幻の町長選ルポ〟群馬県草津町長選/全国7町村の首長戦をルポした異色のノンフィクション!常井健一『地方選 無風王国の「変人」を追う』

昨年、『無敗の男 中村喜四郎 全告白』(文藝春秋)が話題となった、気鋭のライター・常井健一さんが、平成末期、北海道から九州まで日本各地の町村長選挙の現場を歩きながら、日本政治の新たな地殻変動を探った単行本『地方選 無風王国の「変人」を追う』。9月には菅新政権が誕生し、平成~令和期の政治をとらえ直す上で、現場発の示唆に富む異色のノンフィクション作品です。著者にとっては、取材を終えながらも月刊誌連載の際に報じることができなかった〝幻の町長選ルポ〟群馬県の草津町長選について、「あとがき」の一部を引用してお届けします。

―――――――――

 本書の初出は、今はなき総合月刊誌『新潮45』で私が取材と執筆を担当した連載「こんにちの『田舎選挙』」(2017年1月号~2018年1月号)である。
 4年前の夏、後に同誌最後の編集長となった若杉良作さんから東京・荒木町の小料理屋に呼び出され、誌面のリニューアルに当たって新しく連載企画をやろうと誘われた。30代半ばの凡庸なライターには僥倖であった。その夜、つい酒を飲み過ぎたことを昨日のことのように思い出す。
 後日、私は町村長選に絞った前代未聞のルポルタージュ連載のアイデアを新潮社に提案した。
 他媒体では通りそうにないトリッキーな企画を実現にまで持っていけたのは、編集部の太根祥羽さんによるところが大きい。太根さんから担当を引き継いだ佐藤大介さんは、いつも的確な資料を取り揃え、見知らぬ土地へ1人旅立つ私を気持ち良く送り出してくれた。
 1回当たり4日ほどの旅費が15万円までという低予算企画であっても、渾身のレポートを読者に届け続けることができたのは、3人の職人技のおかげだと思っている。
 ありがとうございました。


著者は平成の終わりに8つの地方選をめぐった(撮影場所・北海道えりも町)

 実は、その連載の中で取材を終えながらも報じることができなかった〝幻の町長選ルポ〟がある。もちろん、それは本書にも掲載できていない。
 2018年1月に行われた群馬県吾妻郡草津町(人口約6300人)の町長選である。
 草津町は日本三大名湯に数えられる「草津温泉」を擁するだけあって、全国にその名が知られた自治体だが、社会党書記長を務めた山口鶴男、自民党参院議員で海部内閣の農水相だった山本富雄、その息子で現群馬県知事の山本一太や現前橋市長の山本龍、元オリンピアンで元参院議員の荻原健司らユニークな政治家を輩出した「インキュベーション」とも呼ぶべき個性豊かな一面を有していることはあまり知られていない。〝凡人宰相〟小渕恵三の故郷、中之条町も同じ郡に属し、2020年夏時点で、地元選出の衆院議員は娘の小渕優子が務めている。
 一方、バブル期には大型ホテルやスキー場、リゾートマンションが乱開発され、その後の「失われた20年」の間には町のいたるところが廃墟と化した。
 かつて町の舵取りは、江戸時代から続く名門旅館を切り盛りする旦那衆を中心に行われてきた。町長選ともなれば、老舗ごとにいくつかの派閥をなし、下請け企業を巻き込んでの激しい政争を繰り広げた時期もある。だが、バブルが弾け、リゾートブームが去ると「旅館政治」は鳴りを潜めた。

 町を復興させたのは、中卒の叩き上げ町長、黒岩信忠(取材当時70)である。兄弟で始めた燃料販売店の経営で身を立て、35歳から町議を7期務めたベテラン政治家でもある。今では東京・原宿に複数のビルを持つほどの商売人で、その経営手腕と「東大卒の財務官僚にも負けない」(本人談)と自負する行政や法律の知識のおかげで、瞬く間に町の再生を成し遂げたということを初対面の私に誇らしげに語っていた。


「草津の角栄」こと草津町長の黒岩信忠

 2010年、黒岩は町長になると、財政再建のために第三セクターの改革に邁進する傍ら、温泉街の再開発を指揮し、湯畑と呼ばれる中心街を「100年前」のレトロな姿に戻した。すると、観光客はバブル崩壊以前の水準にまで戻ったのである。2019年は328万人が来町し、「第33回にっぽんの温泉100選」(主催・観光経済新聞社)では17年連続の全国1位に輝いた。
 私が現地を訪ねた2018年の町長選は、名門旅館オーナー一族の1人との一騎打ちとなった。3選を狙う黒岩の対抗馬となった中澤康治(当時83)は、地元最大規模のホテルグループ「中澤ヴィレッジ」の社長を務めたことのある人物だが、09年に倒産にいたった責任を取る形で会社を追われた。今や小さなアパートの1階で独り暮らしをしながら、火山の研究に没頭する「変人」である。
 中澤一族は何人もの町長や町議を生んだ名家の中の名家で、慶應義塾大学経済学部卒業の中澤は11人きょうだいの七男。兄も町長、甥は前町長だ。
 だが、今回は親戚から見向きもされず、「オール草津」の黒岩陣営を前に孤立無援を強いられた。選挙戦中に行われた集会を覗いてみると、5人ほどしか集まらなかった。


中澤康治(当時83)の集客力は現職陣営のそれと大きく異なった 

 町長選の5日間、湯けむりの町に滞在した私は、現職陣営の圧倒的な強さを目の当たりにした。
 結果は、黒岩が2364票、中澤は575票。まともな勝負にはならなかった。
 なぜ、私はそれを記事にできなかったのか。
 町長選の直後、草津白根山の噴火が起き、町は混乱状態に陥った。そこに私の祖母の死去が重なった。私は原稿の締め切りまでに関係者への裏付け取材が十分に行えなくなってしまったのである。
 2019年末、黒岩は渦中の人となった。唯一の女性町議が町長からのセクハラ被害を突然訴え出たのである。だが、女性町議は議会の品位を傷つける発言をしたとして議会から懲罰動議を受けた。群馬の山奥には在京のテレビ局まで押し寄せ、蜂の巣をつついたような大騒ぎに見舞われた。
 とんだ濡れ衣を着せられた草津町長だが、私はその端緒となる町政の歪みや活断層のようなものをすでに町長選の取材の中で察知していた。『新潮45』にはそれを書こうと思ったものの、後の祭りである。

令和政治の答えは辺境にある!――7町村の“選挙を旅する”異色ノンフィクション



『地方選 無風王国の「変人」を追う』
著:常井 健一
https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000829/

 2012年末の第2次安倍 政権発足以降、長い間、「安倍一色」と見られてきた中央政界と比べ、地方の政治のほうがよっぽどカラフルなんじゃないかと気づいた。コロナ禍ではその多様性ゆえに前例のない事態にも比較的柔軟に対処できるという地方自治の強みが浮き彫りになった。(中略)
 そしてなにより、中央では優れた次世代がいっこうに育たない中、地方にはこれほど地に足の着いた信念や哲学のようなものを持ちながら、有言実行で政治を動かしていく若きリーダーが存在していることを知った。永田町で世襲のプリンスや官僚出身の秀才政治家を追うことに物足りなさを感じ始めていた私は、久方ぶりに政治の面白みを感じることができたのである。
 憲政史上最長の政権は、迷走の末に幕を閉じた。そこで私は、2020年を地方政治再評価の出発点としてみたいと思った。改革幻想に囚われ、国政政党の合従連衡に明け暮れた平成政治とは異なる令和の政治がこれから始まるとするならば、その主人公は地べたの暮らしに疎くなった永田町の住民ではなく、土の香りがする地方の首長の中から生まれるであろう。
本書「はじめに」より)

目次

第1章 えふりこぎ(青森県大間町長選)
第2章 コンビニ店員の逆襲(北海道中札内村長選)
第3章 風にとまどう神代の小島(大分県姫島村長選)
第4章 ドンの5日間戦争(愛媛県松野町長選)
第5章 国道ファースト主義(和歌山県北山村長選)
第6章 仏頂面と波乗り男(北海道えりも町長選)
第7章 嘘つきと呼ばれて(佐賀県上峰町長選)

著者略歴

常井 健一
1979年生まれのノンフィクションライター。ヤンキーとイノシシが元気に走り回る茨城県笠間市(旧岩間町)出身。しばらく東京・隅田川沿いに在住。著書『無敗の男 中村喜四郎 全告白』(文藝春秋)が高い評価を受け、大宅壮一ノンフィクション賞と講談社 本田靖春ノンフィクション賞の最終候補となった。「小泉純一郎独白録」(「文藝春秋」2016年1月号)で第23回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞(作品賞)を受賞。街頭演説と選挙にまつわる昔話をこよなく愛す。地方選の観戦を通してその土地の特色を味わう「選挙ツーリズム」を提唱中。


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