いよいよ発売された『皇室事典 令和版』。
全136のトピックで、過去から現在まで、神話や歴史、皇室の財政、皇室の構成など天皇と皇室に関するあらゆることが書かれた皇室百科が、旧版から10年の時を経て、大幅に改訂された。
この事典に書かれているポイントとは何か。また、新たな“令和”の時代に『皇室事典』が改訂された意義を、代表編者のお一人である所功先生にうかがった。
所 功(ところ・いさお)
昭和16年(1941)生まれ。京都産業大学名誉教授。モラロジー研究所教授。専門は日本法制文化史。法学博士(慶應義塾大学)。著書に『平安朝儀式書成立史の研究』『近代大礼関係の基本史料集成』(国書刊行会)、『歴代天皇の実像』『皇室に学ぶ徳育』(モラロジー研究所)他。
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――そもそも10年前、旧版の『皇室事典』はどのような経緯で誕生したのでしょうか。
所:天皇と皇室については、一般の方々にとっても関心の高いテーマだと思います。ただ、一方で極端な議論、他方で興味本位のとりあげ方が多く、いまだに十分な理解がされていないところが少なくありません。そこで、ずいぶん前から共同通信にいた友人の髙橋紘さん(代表編者のお一人。故人)と本格的な皇室事典を作りたいと話をしていました。やがて宮内庁にいた米田雄介さん(代表編者のお一人)など何人かの専門家に協力を得て、何とか実現できたのです。
皇室に関する研究者や愛好者をはじめ、学校教育者や報道関係者はもちろん、近頃若い人々からも正確なことを知りたい、という要望が高まっています。「天皇って何をしているのだろう」「皇室って何をしてきたのだろう」といった素朴な疑問に、わかりやすく答えようと考えて編纂したのが、前回の『皇室事典』です。
――その事典が、今回大幅に改訂されました。旧版は平成の天皇(現在の上皇)の即位20周年、成婚50周年の記念出版でしたが、今回は代替わり、そして改元という大きな節目に合わせての刊行ですね。
所:昭和から平成への代替わりは、とても大きな存在であった昭和天皇の崩御を境に、かなり沈んだ雰囲気の中で行われました。しかし今回は、いわゆる生前退位、つまりは譲位ですから、晴れやかな雰囲気の中で行われ、多くの人々が明るく前向きに受け止めています。
しかも、今や世の中は雑多な情報にあふれていますね。それ自体は良いことかもしれませんが、自分の居場所を見失い、何となくあやふやで安心できない人が増えているようです。もはやお手本を外国に求めれば良いような時代でもありません。そうであれば、ちょっと立ち止まって、自分の国の歴史を振り返ってみると、長らく天皇や皇室が存続してきたことの重要性に気付くのではないかと思います。武家の時代にも生き残り、明治維新や昭和の戦争を経て大きく変わりながら、現在まで存続しています。
そんな皇室の現在の在り方ができたのは平成の天皇(現在の上皇)の役割がとても大きいのです。たとえば、戦後の憲法で定められた象徴天皇制度について、昭和20年代の憲法学者や一般の論壇は「あってなきがごとき存在」と解釈してきました。しかし、国民が必要としていればどこにでも行くという思いを昭和天皇から引き継いで、沖縄の慰霊や、被災地の慰問などに取り組んでこられた。天皇としての自分の役割を果たそうとする、積極的な象徴天皇像を形作られたのです。
憲法の第一章第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあり、第二条に「皇位は世襲のもの」と定められています。この象徴世襲天皇は、あらゆる公務に全身全霊で取り組んでこられたことにより、まさに国民統合の象徴であるということが、広く理解されるようになったのではないか。それゆえ多くの国民に理解され、共感される存在として受け止められています。
そうした雰囲気の中で迎えた代替わりの機会に、あらためて天皇や皇室の在り方、全体像を正確に理解してもらうため、編集部の方々と相談して、旧版を大幅に改訂することになったのです。
――今回の代替わりは、やはり異例だったということでしょうか。
所:そもそも天皇が元気なうちに位を譲るということ自体、江戸時代の光格天皇(1817年)から約200年ぶりです。その上、今の上皇が築き上げてこられた天皇の務めは実に多種多様です。そのことは、改元前の2月24日に行われた御在位30年記念式典で述べられたおことばによく表れています。象徴としての天皇の務めは国民のおかげで成し遂げえたこと、災害に耐える健気な国民の姿に励まされたこと、それゆえそのような国民の思いに応えようとして、皇居の中だけでなく全国の各地にも海外の戦地にも出向いて、人々の苦しみ悲しみに心を寄せ続けてこられた。しかしいつまでも十分に務められないと自覚され、元気なうちに次世代の皇太子に譲位をされたということがよく分かります。単にいればよいのでなく、やるべきことができる積極的な天皇像を体現してこられたのです。
歴史をみても、民の思いに応えるために、天皇が神仏に祈るような例はたくさんあります。たとえば今から1200年くらい前、9世紀初めの嵯峨天皇は、日照りによる飢饉や地震で多くの人々が苦しんでいるのは自分の不徳のせいなので、神仏に祈るほかないと考え、般若心経を写しておられます。
まして現代の皇室は、理想の家族像を国民に求められています。しかし、興味本位のマスコミ情報などでは、皇室の実像が必ずしも正しく理解できません。非常に特別な存在だと神聖視したり、逆に有害無益な存在だと非難するような両極端の見方が、今も一部に残っています。しかし、そういう思い込みを離れてその天皇は何をやってきたのか。やっていることにどういう意味があるのか。古代から現代までの在り方を制度と実態の両方に目を向けて、より正確な理解をする必要があります。
――歴史上の天皇との重ね合わせは、非常に興味深いですね。
所:天皇の使命感をよく知ることの出来る史料があります。14世紀前半の花園天皇が遺された『誡太子書(太子を誡むるの書)』です。重要なところを引いてみますと、「諂諛の愚人おもへらく、吾が朝は皇胤一統にして……故に徳微なりと雖も隣国窺覦の危なく、政乱ると雖も異姓簒奪の恐れなし」、つまり、愚か者は、日本は万世一系であるため、天皇に徳がなくても侵略されず、政治が乱れても臣下に取って代わられることがないと思い込んでいる。しかし、それは「深く以て謬りと為す」、甚だしい誤りだと思う。実は「吾が朝……中古以来、兵革連綿として、皇威遂に衰ふ」、日本でも昔から戦争が続き、皇室の権威が衰えてきた。だから「内に啓明の叡聡あり、外に通方の神策あるに非ざれば、則ち乱国に立つことを得ず」、立派な指導者が、先の見通しを立てるような方策を取らなければ国が滅びてしまうにちがいない。そこで「これ朕の強て学を勧むる所以なり」。それゆえ(将来天皇になる者は)しっかりと学問をしなければいけない。「詩書礼楽に非ざるよりは、得て治むべからず。是を以て寸陰を重んじ、夜をもって日に続ぎ、宜しく研精すべし」。古典をしっかり学び、毎日しっかり勉強し、研鑽をつまなければならない。「もし学功立ち、徳義成らば……上、大孝を累祖に致し、下、厚徳を百姓に加へん」。学問に励み、徳を身につけたなら、先祖に対しても申し訳が立つし、国民に対しても役に立つだろう。「余、性拙く智浅しと雖も、粗々典籍を学び、徳義を成して、王道を興さんと欲するは、また宗廟の祀を絶やさざるためなり。宗廟の祀を絶やさざるは太子の徳にあり」、私の性は立派でなく知識も十分ではないが、いろいろな書物を学んで正しいことを行い、王道を興そうとしてきた。それは祖先の祭祀を絶やさないためであり、皇太子のすべきことも祖先の祭祀を絶やさないことである。このように未来の天皇に対して、先祖に恥ずかしくないよう、自分が学問にはげみ、国民のためになることをすべきだ、と皇太子を誡めておられます。
今の上皇も令和の天皇も、この『誡太子書』を繰り返し読んでおられるようです。日本の天皇は、血統がつながっているだけでなく、不断の努力を積み重ねているからこそ、多くの国民から理解と共感を得られているということを強調されているのです。
――今後も、そうした“天皇の務め”は続けられるものでしょうか。
所:日系アメリカ人のT・フジタニ氏の出された『天皇のページェント 近代日本の歴史民族誌から』(NHKブックス、1994年)という本があります。その中で、幕末までは見えない見せない天皇、明治以後は見える見せる天皇になったと指摘されています。確かに、前近代の天皇は御簾の中にいて、一般の人々に姿を見せませんでした。とはいえ、近年の研究によれば、江戸時代の京都御所は観光名所のひとつだったのです。即位礼などもいろいろな人が見に来ています。それを強調したのが、森田登代子氏の出された『遊楽としての近世天皇即位式』(ミネルヴァ書房、2015年)です。一般人の関心は、すでに平安時代の『源氏物語』にも描かれている「車争ひ」にも見られます。今も新暦5月に行われる京都の葵祭は御所から上賀茂神社と下鴨神社に勅使を派遣する際、その行列で内親王か女王の斎王(代)が注目されていました。昔も今も、多くの人々が見物に訪れていたのです。
かつて昭和天皇は、憲法がどうであれ、自分は戦前も戦後も変わっていないと言われたそうです。もちろん質や量の差はありますが、天皇や皇室はいつも多くの人々に注目され、いわばあこがれの的であった。だからこそ、古代は古代、中世は中世、現代は現代のありようで、自らの存在を自覚して、自らの役割を果たそうとしておられるのだと思われます。
――時代と共に変化し続けているわけですね。
所:いつも皇室は時代の変化に敏感です。たとえば仏教が伝来したときも、蘇我氏や物部氏がいろいろな主張をしていますが、あれは味見のようなものでして、やがて皇室が仏教を奉じつつ古来の神祇信仰も大切に持続する。天皇が仏教を保護しても神道を捨てないで、いつのまにか後に神仏習合が一般化します。外来の儒教もキリスト教も近代思想もかなり積極的に取り入れてきた。あえていえば、本質を守るために変化し続けてきたのであり、だからこそ長らく続いてきたのです。
そのような持続と変革のお手本とも言える歴代天皇や皇室の在り方を『皇室事典 令和版』から読み取り、それを通して日本文化の在り方も考え、さらに持続と変革を続ける皇室の姿から、混迷する現代に対処する知恵も見出してもらえたらと念じています。
書籍紹介
『皇室事典 令和版』皇室事典編集委員会 編著
A5判 780ページ 価格:7,800円+税
https://www.kadokawa.co.jp/product/321902000128/
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装画©Ayana Otake