ときどき、青葉はわたしに尋ねた。このお話の続きはどうなるの。これからふたりにはどんな出来事が待ってるの。そのたびにわたしは新しいイベントを設定した。次は明人と買い物に行く。次はラブレターを書いて学校で渡す。次は下校中に手をつなぐ。だけど、他の子に見られちゃだめ。
彼女の物語は順調に進んでいった。それとともに、明人も少しずつ、青葉に心を開いているように見えた。言葉遣いに遠慮がなくなり、呼び名も「
それはよいことだったのだけど、わたしは首をかしげていた。明人は、本当に青葉に
夏休みのある日、わたしと青葉は、明人を誘って近所の山へ出かけることにした。
なぜかといえば、宿題の自由研究のためだった。去年は、家族で町の郷土資料館へ行き、展示されていた土器や土偶のイラストを描いて、図鑑のようにまとめた。それはなかなか褒められたので、今年も似た路線で行こうということになっていた。土器以外で、いろいろな種類があり、絵に描きやすく、簡単に集められるもの、となると、山に生えている木の葉っぱなんかがよさそうだった。
わたしたちは明人の家に行き、裏庭へ回って、一階にある彼の部屋の窓を
窓辺に明人が顔を出し、しばらくして、横の縁側から彼が出てきた。首には例のペンダントがぶら下がっている。
「山へ行こう」
「どの山?」
「どの山でもいいよ。木が生えていれば」
明人の家は集落のはずれの高台にあって、数分も歩けばもう山の
ある程度のところでわたしたちは道路を外れ、葉っぱを集め始めた。あまり遠くへ行くな、と明人が言ったけど、気にしなかった。わたしと青葉は、手の届く何種類かの葉をちぎって、あらかじめ用意してきたジッパー付きの袋に入れた。
標本にバリエーションが欲しかったわたしたちは、もう少し上ってみることにした。山の奥にはまだ舗装された道が続いている。この道の先に何があるのか、明人も知らないという。少し興味があった。
夏山の風景にすっかり魅了された青葉が先頭を歩き、数メートル遅れて、わたしと明人が続いた。山の風は生ぬるく、セミの鳴き声がシャワーみたいにわたしたちを包んでいた。こんなふうに明人とわたしが一緒になることは少ない。この機会にちょっといじわるな質問をしてみようと思った。
「ねえ」わたしは明人の耳に唇を近づけて、ささやいた。「青葉のこと、どう思ってるの?」
彼は不思議そうにわたしを見つめ返した。どうしてそんなことを聞くのか、とでも言いたげだ。
「青葉のこと、本当に好きなの?」
「好きだよ。だって青葉は……恋人、だから」
「それって本当に恋人かな?」
「どういう……」
「本当は青葉なんていなければいいと思ってるんじゃない?」
青葉がいなければ、青葉にあんな怪我さえ負わせなければ、明人は自由でいられた。違う好きな子と遊べたし、青葉と遊ぶにしたって、もっと自分らしく振る舞えた。でも、今はそうじゃない。青葉を怒らせたら、やっぱり許さないと言われたら、彼や彼の両親は厄介な目に遭う。
わたしの質問の意味を理解したのだろう。明人はきっとわたしを
「よくそんなひどいことが言えるね。自分の妹なのに」
そう言われて、わたしも憤慨した。
「青葉のことは大好きだし、何があってもわたしはあの子の味方だよ。でも、明人はそうじゃないでしょ」
「おれだって青葉が好きだ」
「そう言えって、お父さんとお母さんに言われてる?」
「違う!」
彼の大声が山に響き渡り、近くの茂みで鳥が飛ぶようなばさばさという音が鳴った。前を歩いていた青葉が振り返り、困った顔で笑う。
「夏日、明人を怒らせないで」
「ごめんごめん」
「明人もごめんね。夏日がひどいこと言ったんでしょ」
「……別になんでもないよ」
ほら、噓をつくじゃないか。だからわたしは、明人を信用できなかった。
今度は明人が先頭を歩き出した。青葉とわたしがその後に続く。小声で、青葉が尋ねてきた。
「さっき、明人に何を言ってたの?」
「えっとね、明人が本当に青葉のことを大切に思ってるのか気になって」わたしはそこそこ正直に答える。「だってほら、熊が出るかもしれないでしょ。明人が青葉を置いて逃げるようなやつだったら困るじゃない」
すると青葉はくすくす笑った。傷のあるほうの頰がぐにゃりと
「それ、これから起きる『お話』の続き?」
「まさか。たとえばの話だよ」
わたしがそう答えると、青葉は考えるような仕草をして、それから言った。
「明人は……優しい人なんだよ。強くはないし、熊と戦ったら絶対に負けちゃうけど……でも優しいから、だから、一緒にいてくれると思う」
彼女は、いつもの柔らかい声で、でも、はっきりと自信に満ちた口調でそう言った。だから、わたしは青葉の言うことを否定しきれなくなった。もしかすると明人は青葉の言う通り、優しい性格なのかもしれない。見返りを求めているんじゃなくて、純粋に青葉が気の毒だから、彼女に付き合ってやっているのかもしれない。
とすれば、明人もわたしも、実は同じことをしているわけだ。そう思ったとき、ふと、明人が足を止めた。
わたしたちの内緒話が聞こえてしまったのだろうか、と心配した。でもそれは
「ねえ、あれ、なんだろう」
見ると、道路を少し外れた森の中に、崩れかけた木の棒みたいなものが二本、並んで立っている。門だと言われれば、そういうふうにも見えた。
「こんなところに、だれか住んでるのかな?」
山奥とはいえ、道路沿いだから、家があるのは不思議でもない。でもその門は、とても車が入れそうには見えなかった。
「気になるなら、見てくる?」
「うーん……」
迷っている明人の横を、青葉がすり抜けていく。彼女は門らしきもののところまで近寄ると、奥を
「建物があるよ」振り返って笑う。「ちょっと探検しようよ」
青葉はそのままどんどん奥へ進んでしまう。仕方なく、わたしと明人も後を追った。二本の柱の間をくぐると、木々の隙間から、奥に小さな建物があるのが見えた。古い木造の平屋建てで、神社にしては生活感のある作りだったが、人が住むにしては狭すぎるように思えた。第一、かなり傷んでいる。
わたしたちが追いついたとき、青葉はもう入り口のガラス戸を開けていた。
「うわ、変な臭い」
腐った野菜のような独特の臭いが屋内から
靴のまま上がり込む。廊下にはものが散乱していた。食器や、衣類や、農具に古新聞。配置に規則性がない。最初からこうだったのか、だれかが荒らしていったのかはわからない。
明人がわたしの服を強めに引っ張る。そのせいでわたしは転びそうになった。
「ねえ、なんで止めないの」
「だって」と、わたしは答えた。「探検したいんでしょ?」
「おれは別に」
「おもしろいじゃん。お宝が眠ってるかもよ」
わたしは気安く言った。足元には、どす黒い液体の染みた座布団のようなものが横たわっている。スニーカーのかかとで、それを
もう青葉の姿は見えなくなっている。とはいえ小さな建物だし、はぐれる心配はなかった。廊下を進み、角を曲がると、突き当りに引き戸がある。
その戸が、わたしたちの見ている前で、すっと閉じた。
わたしと明人は顔を見合わせた。あとからわたしたちが来るとわかっているのに、どうしてわざわざ閉じるのだろう。なんとなく嫌な予感がした。わたしはやや速歩きになって、引き戸に手をかけ、一気に開けた。
三畳くらいの部屋だった。床は汚れた板張りで、ほこりが積もっていたけれど、それ以外はなぜか片付いていて、ものが散乱していることはなかった。
部屋の中央には布が
布は半透明で、その向こうに人影のようなものが見えた。青葉、と声をかけると、その人影の、首に当たる部分が動いた。それはちょうど、名前を呼ばれて振り返る仕草のようだった。
次の瞬間、人影は真ん中から、じわりと溶けるように消えてなくなった。
「え?」
わたしは慌てて布に駆け寄り、めくってみた。それはただの布だった。両手で
「青葉、青葉!」
妹の名前を大声で呼んだ。返事はない。明人は部屋の入り口で、凍りついたみたいに立ちすくんでいる。わたしは彼に呼びかけた。
「今の、見た?」
こくこくとうなずく。
「何を見た?」
「あ、青葉が、その布の向こうに歩いていって、それで……消えちゃった」
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2025年2月17日 - 2025年2月23日 紀伊國屋書店調べ
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