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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.30

【連載第30回】東田直樹の絆創膏日記「親近感」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第29回】「舞台の上の人間模様」

 最近のニュースを聞いていると、教育とは何だろうと深く考えさせられる。教育が人を変えると信じている人は、どれくらいいるのだろう。
 教育よりも、もっと人に影響を与えるもの、それは社会情勢ではないか。
 学校で基礎学力を身につけることは大事だ。けれど、どんなに勉強をしても、自分の生き方に影響を及ぼさなければ、教養を身につけただけで終わってしまう。
 人が生きる上で知識は必要に違いない。だが、学問で人の価値観を変えることは難しい。なぜなら、自分の身に実際に起きたことでなければ、人が根底から変わることはないからである。
 人から教えられたことというのは、自分の頭で考えたことではない。
 物事は、こう成り立っているのだと理解はしても、納得するかどうかは別の問題だ。
 納得するには、理由が必要なのだと思う。自分にどのような関わりがあるのか、知らなければならない。
 社会情勢は、毎日の暮らしに直結している。
 政治や経済など難しいことは苦手だという人もいるかもしれないが、どんな人も、そこに暮らしがある限り、多かれ少なかれ、社会の現状に生き方は左右されてしまうのだ。
 忘れてはならないのは、社会は学んだことの応用力が試される場だということである。
 学校では教えてもらえなかったことも、社会という荒波の中で、数々の困難を乗り越えながら、正解を模索する。自分の頭で考え、判断し行動に移すのである。
 自分がよりよく生きるため、ひいては、社会全体が向上するために。

 6月になった。
 ゲコゲコ ゲロゲロ ゲコゲコ ゲロゲロ
 昔は、田舎にある祖父母の家に行けば、いつでも聞くことが出来た蛙の大合唱も、新しい家が立ち並ぶにつれて、聞くことが出来なくなった。寂しい限りだ。
 僕は、昔から蛙に妙な親近感を覚えている。
 ピョンピョン跳ぶところや、わけのわからない声を出すところが僕と似ているからだろうか。
 蛙が鳴くと、みんなは一瞬振り返る。なんだ蛙かと見定める。すると、もう誰も蛙の鳴き声を気にする人はいない。蛙がいくら泣きわめいても、跳びはねても、蛙の声に耳を傾けようとする人などいなくなるのである。
 それでも蛙は鳴き止まない。おかしな声を上げ続ける。
 ゲコゲコ ゲロゲロ ゲコゲコ ゲロゲロ
 誰か聞いてよ、ゲロゲロゲロ。
「僕にはわかるよ、君の気持ち」
 僕は蛙に呼びかける。
「わかるわけない、グワッ、グワッ、グワッ」
 なおも蛙は、鳴き続ける。
 蛙の鳴き声は、決して美しくはない。
 けれど、いざ鳴き声が聞こえなくなると寂しく感じる。
 いなくてもいい生き物など、この世にいないのだ。いなくなったとたん、人はその姿を探し回る。そして途方に暮れ、自分たちに原因はなかったのか、思い悩む。

 人を妬む気持ちは、醜いものだろうか。
 人をうらやむとは、他人が自分より恵まれていたり、優れていたりするのを見て、自分もそうなりたいと願う気持ちである。
 人を妬む気持ちは、うらやむ気持ちに憎しみが加わる。妬まれた人は、被害者のような立場だ。
 もしも、人から妬まれたら、どうすべきか。
 どうしようもない。「妬まないで」と言っても無理だろう。妬む気持ちも、感情の一種だからである。
 理性では抑えられず、心の底から湧き上がって来るものが感情だ。感情の中には、人として好ましいと思われるもの、好ましくないと思われるものがある。妬む気持ちを持っていても、それ自体は仕方ないだろう。だからといって、その人が悪人とは限らないのだ。
 嫌がらせや当てつけのような行いで、妬む気持ちを相手にぶつけてしまうのは、醜い行為に違いない。だが、妬む気持ちが自分を成長させてくれることもある。
 感情豊かであればあるほど、人はさまざまな思いを抱き、自分自身をかえりみる。妬む自分を嫌な人間だと思う。そして、人を妬まないためには、どうすればいいのか考える。
 それでも、やっぱり妬んでしまう。そんな葛藤が、人の心をだんだんと成熟させるのである。
 自分が、自分の心を否定してはいけない。心の中にあるもの全部で、自分という人間は出来ている。

 どこまでも続く長い階段を上る。人生には、そういったイメージがあるのではないだろうか。だが、日々起きる出来事に対しては、階段を上る時みたいに、着実に一段ずつ前に進むことは少なく、迷路を歩く時のごとく、立ち止まったり、後戻りしたりすることの方が多い。確実に積み重ねているのは時間だけだ。
 人生を語るには、僕は若過ぎる。でも、年齢に関係なく語りたくなるのが人間である。25歳には、25歳なりの人生観がある。
 僕は、どうにかして自分の人生を後悔なく終えたいと願っている。きっと、誰もが同じ思いだろう。
 人生の目標を何に置くのか。
「成功」あるいは「幸福」。みんな、こう答えるのではないか。
「成功も幸福も」と答える人もいるかもしれないが、成功と幸福は、正反対の価値観の中に存在するものだという気がする。成功から思い浮かべるのは、お金や名誉、幸福から思い浮かべるのは愛や絆である。
 なかなか手に入れることが難しい成功や幸福、どちらか一つを欲しがるのも贅沢なのに、両方を手に入れようと望むのは、欲張りだと責められはしないか。
 それがわかっているから、ほとんどの人は、無意識の内に、どちらか一方を選択しているのかもしれない。これは年齢によっても違って来るだろう。
 人生観とは、長く生きたからとか、人より苦労をして来たから、すばらしくなるわけではないと思う。
 人生を語る時、人は自分を自慢している。
 びっくりするような奇跡でなくても構わない。誰かが「すごいね」と感心してくれたなら、自分の伝記が完成したかのように、誇らしい気分になる。


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