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レビュー

ウクライナ侵攻に至る世界情勢を知るための、最良の教科書――『ザ・フォックス』著 フレデリック・フォーサイス、訳 黒原敏行 文庫巻末解説

ミッションはシステム侵入。標的は、イラン、北朝鮮、ロシアの軍事機密
『ザ・フォックス』

角川文庫の巻末に収録されている「解説」を特別公開! 
本選びにお役立てください。

ザ・フォックス
著 フレデリック・フォーサイス、訳 黒原敏行



『ザ・フォックス』文庫巻末解説

解説
福田ふくだ和代かずよ(作家) 

 ウクライナ侵攻でにわかにロシアが悪い意味の注目を集めているが、当時八十歳のフォーサイスが発表した本作には、実名は伏せてあるもののプーチン大統領とおぼしき人物や、トランプ前大統領らしき人物が登場する。
 米軍フォート・ミード基地の、鉄壁の守りを誇る軍事システムに侵入して捕まった英国の天才ハッカー少年を、老英国スパイが兵器としていだし、世界の「ならず者」国家をサイバー戦によって次々に懲らしめていく。
 この筋立てを、こうとうけいいつしゆうしないでほしい。なぜなら、ここで語られるサイバー戦の手法は、すでに実行されたことが明らかになっているか、実行された可能性があるとされているからだ。現実に存在しないのは、この大仕事をたったひとりで実行してしまう天才ハッカー少年だけだ。
 インターネットが普及して四半世紀、私たち一般人にとっても非常に便利な存在だが、ちようほうの世界にも必要不可欠となったらしい。情報の窃盗、まん作戦、物理的な破壊をともなうサイバー攻撃、なんでもござれだ。
 ※ここから若干のネタバレを含むので、本編を未読の方には、ページを戻って先に本編をお読みになることをお勧めします。
 第一の事件。ロシアの水上戦闘艦、アドミラル・ナヒーモフに対する攻撃は、二〇一〇年に韓国から南米に採掘装置を運搬中の船が、ハッキングを受けて装置が傾いたため十九日も海上で足止めされた事件や、二〇一七年にキプロスからジブチに向かう大型コンテナ船の操船システムがハッキングされ、操縦不能になったケースを想起させる。
 船舶システムが正常に稼働しなければ安全な航行に支障が出る。だが、陸上の一般企業がとうの昔に解決したセキュリティ上の問題が、船上には今も残ると言われる。中でも被害が大きいのが、ロシアが研究を重ねているという、GPS位置情報をかいざんするスプーフィングと呼ばれる攻撃だ。タンカーなどの船舶が正しい航路をそれ、海洋法違反となる海域に迷いこみ、されている。
 二〇一七年に米国海軍の艦船があいついで衝突事故などを起こした際にも、サイバー攻撃が疑われた。現在これは原因究明が進み、乗組員の練度の問題で、サイバー攻撃ではなかったとされているが、真っ先に疑惑の目が向けられるほど、船舶へのサイバー攻撃が起きているし警戒されているのだ。
 第二の事件。イランのウラン濃縮施設へのサイバー攻撃は、二〇〇九年から二〇一〇年にかけてと、二〇二〇年、二〇二一年にも実際に発生している。
 二〇〇九年に始まる攻撃は、有名なスタックスネットというマルウェアによるもので、これはイスラエルと米国が共同開発したとされている。標的はイランのウラン濃縮施設だったが、外部にも拡散して世界中にまき散らされた結果、一般企業や個人のコンピュータにも被害があった。一種の「誤爆」だ。
 第三の事件。北朝鮮のミサイル発射施設の事故については、二〇一七年のミサイル発射失敗が米国によるサイバー攻撃ではないかと疑われたことはあった。
 本作で取り上げられるサイバー攻撃が、いつ現実に起きても不思議ではない、リアリティを持つということだ。
 ただし、サイバー攻撃が本作の重要な要素であることは間違いないが、フォーサイスの知略はコンピュータと通信回線の中にとどまらない。サイバー戦は現代諜報戦に必要不可欠な要素ではあるものの、暗躍するスパイたちはあり狙撃あり、待ち伏せあり、街角の情報受け渡しあり、昔ながらの知恵比べを繰り広げる。相手の裏の裏をかく、「古き良き時代」のスパイの本領発揮だ。
 それにしても、さすが調査が行き届いている。一九三八年生まれのフォーサイスのペンから、ファイアウォールだのエアギャップだのという専門用語が飛び出すとは、恐れ入りましたというしかない。
 国際戦略研究所が今年の二月二十四日に出した世界のサイバー攻撃に関するレポートには、二〇一三年から二〇二一年にかけて、ロシアがウクライナに対して行った主なサイバー攻撃がリストアップされている。
 攻撃対象は、ウクライナ政府、法執行機関、軍事施設、通信インフラ、選挙管理事務所、エネルギー関連企業、銀行、空港に地下鉄、ファイル共有システムに、一般企業やウクライナ市民までと、あらゆる産業や組織が標的とされている。手口はマルウェアのほか、今や一般人にもおなじみとなったフィッシング詐欺なども使われる。
 軍事攻撃まで、八年もかけてウクライナ内部の情報を収集していたわけだ。
 なかでも、選挙管理事務所がハッキングを受けていたことは注目に値する。いわゆるロシアゲート、二〇一六年の米国大統領選挙において、ロシア寄りのトランプ大統領に勝たせるために、ロシアがハッキングにより行っていた選挙干渉を思い出すではないか。
 さて、物語に戻ろう。
 老スパイは、十せ歳の天才ハッカー、ルーク・ジェニングズについて、こう報告する。
「われわれには風変わりな武器があります。とんでもない才能を持つ内気な若者です」
 ルークは自分の意志で他国の重要施設にサイバー攻撃を加えているわけではない。彼自身はたぐいまれな力を持つ「武器」または「兵器」であって、「兵士」ではないのだ。
 つまり、この小説の主人公はあくまでルークを利用する老スパイであり、天才ハッカーではない。テクノロジーはよくも悪くも「利用される」。社会を向上させるために、生きた使い方をするかどうかは、使う人間次第というわけなのだ。

作品紹介・あらすじ
『ザ・フォックス』



ザ・フォックス
著者 フレデリック・フォーサイス
訳 黒原 敏行
定価: 1,100円(本体1,000円+税)
発売日:2022年05月24日

ミッションはシステム侵入。標的は、イラン、北朝鮮、ロシアの軍事機密。
米国家安全保障局の不可侵と思われたシステムに侵入したのは、英国の18歳の若者だった。引き渡しを要求する米国。英国安全保障のアドバイザーであるウェストンは、英米両首脳に〈トロイ作戦〉と名付けた諜報活動を提案、この天才ハッカーに任務を与えた。コードネームは〈フォックス〉。手始めにロシアの巡洋艦をハッキングしたフォックスは、対外情報局に命を狙われることになる。実在事件を基にした、緊迫の国際軍事サスペンス。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322201000575/
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