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レビュー

【解説・早花まこ】時折現実以上の真実が摑み取られている――『銀橋』【文庫巻末解説】

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

時折現実以上の真実が摑み取られている――『銀橋』【文庫巻末解説】

解説
はな まこ(元宝塚歌劇団雪組娘役)  

「あまりにも美しいものを見ると人は悲しくなるのだということを、えり子は十四歳で知ることになった。それはえり子にとって、宝塚というものが人生のなかに入ってくる瞬間だった」

 どうして宝塚をめざしたのかと問われるたび、うまく答えられなかった、私の説明しようのない思いを解いてくれる文章を『銀橋』の中に見つけた。
 そして、あまりにも美しい文章を読むと私は悲しくなる。中山可穂さんの小説が人生のなかに入ってくる瞬間、そう感じるのだ。
 十年以上も前に初めて『感情教育』の一頁をめくって以来、中山さんの小説が私の本箱から姿を消したことはない。宝塚のおけいに通い詰め、初日から千秋楽までただ駆け抜ける毎日を送りながら、私は夢中で中山さんの小説を読んだ。息を止め、炎天に焼かれ、マラケシュの大地をさまよい、しろふち微笑ほほえみ、雨に降られた。
『ケッヘル』に魅了されて海を越え、プラハのカレル橋で「ここに惨殺されたくり氏が!」とマニアックな感激に震えて何の変哲もない欄干をばしばし撮影した。
 そんな筋金入りの中山さんファンを自称する私が、ずっと読まずにいた本があった。何を隠そう、それは『男役』『娘役』、そしてこの『銀橋』。
 強烈にこころかれながらも、私はどうしても三冊の宝塚小説を手に取ることができなかった。敬愛する作家さんの眼に、自分が身を置く世界はどう映るのか。中山さんの鋭い筆先が胸に突き刺さることを恐れていたのだ。宝塚を卒業してから三冊全てを一気に読了した私は、ぼうぜんとして、思った。「こんなにも愛に満ちた物語を、なぜ宝塚の生徒として読まなかったのだろう」と。


銀橋
著者 中山 可穂
定価: 968円(本体880円+税)


 かつて舞台で命を落とした偉大なトップスターが、宝塚の守護神ファントムさんとなり新人スターと心交わす『男役』。現実を超えた舞台空間に全てをささげる者たちの、その生き様に胸が熱くなる。
『娘役』は、一人の娘役の成長と、彼女をひそかに見守り続ける孤高のヤクザの物語。春日かすが先生の教えを語るのは、にんきよう道を生き抜いた男だ。その伝説の親分が、「品格、行儀、謙虚」を兼ね備えた立派なヤクザになれと若い子分を諭す。これほどロマンティックなシーンは、中山さんの小説にしかあり得ない。
 前二作にも、銀橋という舞台機構は登場する。それは客席の目前を横切る、スターのみが通る道だ。

「銀橋とはがんがんのあいだに横たわる河、はるか子午線をよぎる下弦の月からまっすぐにこぼれ落ちた光の帯だ」(『男役』)

 新人公演の初主役を射止めたひかるは一人、銀橋に足を踏み出す。降り注ぐピンスポットと拍手は、彼女の心身に後戻りできない陶酔を刻み込んでしまう。

「今自分が立っているこの特権的な場所から引きり下ろされずに済むためなら、人殺し以外のどんなことでもするだろうとひかるは思った」(『男役』)

 この陶酔感が好きか、怖いか。それが、役者のあり方を分かつような気がするのだが、どうだろう。中山さんのお考えを是非とも伺ってみたい。
 中山さんはいつも、舞台に立つ者に安らぎをゆるさない。まばゆいスポットライトの真下へ誘いながら、孤独と絶望を背負わせる。時には命を差し出せと迫り、その頰を打つ。
 私の周囲のタカラジェンヌは、厳しいお稽古や多忙な毎日、心を打ち砕かれたり報われるとも限らない努力を続けることを当たり前だと思う人たちばかりだった。中山さんが書くのは「100%フィクション」、擬似世界の宝塚だが、時折現実以上の真実がつかみ取られている。命を削る生徒の姿はより鮮烈に浮かび上がり、胸に迫る。
 作中には、トップスターだけではなく様々な人物が登場する。渋い脇役をめざすジェリコが、宝塚入団に反対する父親を説得するシーンはとても素敵だ。

「一度あんなライトを浴びてしまったら、たとえわずかな期間しかいられなくても、普通の人生はもう送れないと父は思います」

 愛する娘が飛び込む異世界に、得体の知れない不安をにじませる父親。芸能から程遠い境遇にあるジェリコがはるかな夢に手を伸ばす姿は、多くの少女の姿に重なる。
 宝塚にあこがれてしまった少女をあきらめさせることは、実に難しい。夢見る若者が抱く自信は、たとえ根拠がなくても絶大だ(私の両親がよく知っているはず)。宝塚受験を認める……というより、あまりの勢いとかたくなな決意に根負けしてしまう大人も多いのだろう。娘ジェリコの涙を見たお父さんの様子はちょっぴり可笑おかしくて、胸が締め付けられるほどに切ない。

「やがて頰に涙がこぼれ落ちると、父はうろたえて、おしぼりで眼鏡を拭いた。さらにお茶のお代わりを注ごうとしたが、もうやかんにお茶は残っていなかった」

 昔、とある演出家の先生がおつしやった。
「宝塚の舞台は花を飾った電車。お客様の前を通り過ぎる一瞬だけ、れいな夢を見せる」
 中山さんが書く宝塚は、幻想のトンネルをひた走るきらびやかな夜汽車と、その後ろに冷たく横たわる線路だ。華やかな成功、選ばれた者のみが輝けるひととき。その代償に、彼女らはかけがえのないものを差し出す。それは宝塚で過ごした日々、私が幾度となく目にした光景だ。
 銀橋と宝塚大橋。ふたつの橋を行き交う人々は巡り会い、涙し、希望を燃やす。静かな夜ふけに宝塚大橋から見上げると、劇団のお稽古場の窓にはいつも灯りがともっていた。誰かが汗を流している。この世の果てにかかる、銀橋へと歩み出すために。
 宝塚への愛情が詰まったこの小説は、終幕後の空想をかき立ててやまない。レオンの胸元からこぼれ落ちた赤薔薇は、少女を過酷な道へ導くのか。そして散り果てる花弁とともに、アモーレさんは数多あまたの舞台の思い出を抱いて眠りにつくだろう。中山さんの書く現実と夢のあわいで、真紅の造花はみずみずしく香る。私もまた、その花に手を伸ばした観客の一人だ。

作品紹介



銀橋
著者 中山 可穂
定価: 968円(本体880円+税)

愛と青春の宝塚小説第三弾! 解説・早花まこ(元宝塚歌劇団・雪組娘役)
宝塚という花園の、酸いも甘いも知り抜いた生き字引のような専科のアモーレさん。
どこまでも渋く、成熟した大人のダンディズムを滲ませ、登場するだけで場の空気を締める――そんなプロフェッショナルな職人魂に憧れ、宝塚に入団したえり子。
音楽学校で分担さんだった先輩、花瀬レオが組替えで同じ宙組になり、落下傘でついにトップスターに就任。
レオンさんを幸せに卒業させるまでが自分の任期と思い定め、懸命にレオンを支えるえり子たち。
「本当に美しいものだけが、絶望している人の心に訴えかけて、人の心を救うことができる――こんな素敵な仕事がほかにあるか?
だから私たちのやってることはお嬢様芸ではなくて、つねに命がけの芸術なんだよ」

ひたむきに芸の道に打ち込むジェンヌさんたちの愛と青春を謳いあげた、『男役』『娘役』に続く魅惑の宝塚シリーズ第三弾!
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000411/
amazonページはこちら


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