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レビュー

【解説:藤野可織】思い出せない記憶と奇妙な出来事。徐々に日常が歪んでいく怪異譚『かわうそ堀怪談見習い』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説者:ふじ おり / 作家)

 こんな質問をされたことはないだろうか。

「あなたは幽霊を見たことがありますか?」

 あるいは、こんなことを言う人に会ったことはないだろうか。

「私は幽霊を見たことがあります」

 私は怪談が好きなので、一般的な人よりは多少多くこんな質問をし、またこんなことを言う人に会ってきたかもしれない。それだけでは足りず、実話怪談の本もよく読んでいる。これまで聞いたり読んだりした無数の目撃談を思い出してみる。幽霊たちはただたたずんでいた、通り過ぎて行った、という話があり、自分ではない人にしがみついていた、という話もあった。

 圧倒的に多いのは、幽霊のほうから積極的なかかわりがあったという証言だ。目撃者に向かってなにか怖いことを言ったり、就寝中の体に乗り掛かってきて首を絞めてくるなどの加害行為におよぶことすらめずらしくない。また、幽霊はしばしば振り返る。目撃者は、顔だけは見てはいけない、と直感する。それからどうなるかは、いろいろだ。見た、という話もあるし、結局見なかった、見ないようにした、とも聞く。

 本書『かわうそ堀怪談見習い』を読んで、気づいたことがある。とても大事なことだ。私はずっと「見た」という話を追い求めてきた。本書には、そういうことももちろん書かれている。でも同時にこうも書かれている。なにかこの世ならざる者が「わたしを見ている」と。それも頻繁に。従来の語りでは幽霊は、圧倒的に目撃されるものとされてきた。つまり、私たちが幽霊を「見る」。しかし、幽霊から積極的なかかわりがもたれる場合、幽霊もまた目撃者を「見ている」はずだ。幽霊を「見る」ことの多くは、本来幽霊に「見られる」こと込みで起こることなのだ。

 本書は、謎に満ちた小説である。主人公は、小説家。彼女は恋愛小説家として成功しているにもかかわらず、そのことに違和感をおぼえてなぜかこれからは怪談を書くと決意する。それにともない、なぜか東京から3年ぶりに郷里の街に居を移す。新居は、彼女が12歳から3年前まで住んでいた区の隣の区にあるかわうそ堀二丁目。環境が整ったところで、彼女は「怪談を書こうと決意したものの、わたしは幽霊は見えないし、そういうたぐいのできごとに遭遇したこともない。」と述べる。そこで、取材のため、中学の同級生だったたまみと連絡を取る。

 この小説は、主人公が体験したりたまみやその他の人々に取材したりして得た奇妙な話が、ゼロ「窓」からマイナス一「怪談」を経て二七「鏡の中」まで、断章の形式で連なっている。たびたび話題に上るがどう考えても心当たりのない「すずさん」、買い直しても買い直してももとの古書店の棚に戻ってしまう怪談本、まるくて白っぽくて足のついた変な生き物を見てしまった話、高校時代に蜘蛛くもの恨みを買ってしまったたまみ、知らない人からの不気味な留守番電話メッセージ、天井がいやに低い木造アパートにはふさがれて使えない押し入れがあり、マンションの短い廊下にはこつ、こつ、と硬い靴で歩く音が響き続け、老舗しにせの茶舗には開けてはいけない茶筒や真っ黒な手形の染みの浮き出る古地図が伝わっている……。

 これらのぞっとする話のひとつひとつが謎めいているのに加え、全体を通じて提示される謎がある。それは主人公の記憶にまつわる謎だ。彼女は取材をしている最中もひとりのときも、常に、自分はなにか重大なことを忘れているのではないか、という考えにとらわれているのだ。なんだっけ、誰だっけ、どこだっけ……。忘れている、という実感は次第に強くなっていく。そして彼女がとうとう思い出したとき、郷里に帰ってきたのも怪談作家になろうと決めたのも、すべてはただその記憶を思い出すためだったのだということがわかる。

 けれど本書は、これで解決、といった具合にはおさまらない。これまでの断章を貫いてきたこの謎が解き明かされると同時に、今度は、それを内包するもっと大きな謎が本書全体をもやのように覆っていることが明らかになるからだ。

 それは、主人公がとらわれているもうひとつの実感、誰かが「わたしを見ている」つまり見られていることにまつわる謎だ。忘れていた重大な体験を思い出したあとでも、この見られているという実感は続いている。それについて、彼女はこんなふうに思う。あの体験をした日以来、「わたしはそれまでとは少し違ったふうになっていたのだ。それまで暮らしていた世界と、別の世界との隙間みたいなところに、存在するようになっていたのだ。と、今は思う。」

 では、「別の世界」とはどこだろう。それについては、二三「幽霊マンション」に書かれている。主人公が忘れていたことを思い出す、クライマックスともいえる章だ。ここでは、テレビが重要な役割を果たしている。主人公は、テレビに映った自身の鏡像に見られたばかりか、とても怖いことを言われるのだ。この瞬間、「それまで暮らしていた世界」とはテレビの前の世界であり、「別の世界」とはテレビの中の世界であるにちがいない。

 テレビの中の世界、というと、ふつうは、放映されているドラマやCMやニュースのことを思う。テレビの中の人は、私を見ない。それは不可能だ。私がテレビの中の人を見るだけだ。テレビに似たもの、たとえば映画ではどうだろう。やはり私が映画の中の人を見、映画の中の人は私を見ない。小説はどうか。私は小説を読み、描き出された人々の営みを見る。いっぽう、小説の中の人が私を見つめ返すことは絶対にない。どれも当たり前の話だ。けれど、私たちは果たしてそれに心から納得し、満足しているのだろうか? 私たちは、テレビの中の、映画の中の、小説の中の愛する人たちに、絶対に触れ合えず、私たちが一方的に見るだけで絶対に私たちを見てくれない圧倒的な他者に、私たちを見てほしいと強く願っているのではないだろうか? 主人公が言う「それまで暮らしていた世界と、別の世界との隙間みたいなところ」とは、まさにそれがかなう場所だ。そこでは、どちらかが一方的に見ることはない。お互いにお互いを見る。お互いがお互いに見られる。

 本書は、幽霊というものの正体を看破し、指差しているのではないかという気がする。幽霊、あるいはざっくり幽霊とくくられる異形の者たちは、私たちの、他者を見、他者から見られたいという欲望を満たす存在なのかもしれない。ただしそれはありえないことだから、かなえられると同時に私たちから恐怖を引き出さずにはいられないのだ。

 本書の最終章二七「鏡の中」は、この文庫版のために書き下ろされた章だ。これは、この小説の中でもっとも怖い。予想もしなかったことに、これまで「見る」ことと「見られる」ことの中で不思議な安定を保っていた世界が、とつぜん崩れ去るのだ。詳しくはここでは書かないけれど、主人公はある条件下で「見られる」ことを失う。それはそのまま、主人公がもはや「それまで暮らしていた世界と、別の世界との隙間みたいなところ」からまたさらにずれた場所に行ってしまっていることを意味している。そこはもしかしたら、すでに「別の世界」なのではないか?

 とはいえ、この最終章は、ただ怖いばかりではない。なぜなら主人公は小説家だから。小説を書くことは、よく見ようとすることに似ている。彼女がいるのが「それまで暮らしていた世界」であろうが「隙間」であろうが「別の世界」であろうが、小説家としての彼女に必要なのはとにかく「見る」ことなのだ。「見る」ことに集中しはじめる姿は、彼女の小説家としてのさらなる飛躍を期待させる。

 期待しつつ本書の読者である私は本を閉じて、そして、私が彼女を見ていたこと、彼女が私を見なかったことに遅まきながら思い至ってぞっとする。私は彼女とは「別の世界」にいる。それは彼女が「それまで暮らしていた世界」でもなく、まったく別の「別の世界」。途端に、がたっと世界がずれたような感覚を味わう。それはいつもなら、読んだのがこの本でなかったのなら、起こることのない感覚だ。

 いったいどれだけの「別の世界」があるのだろう。「別の世界」と「別の世界」のあいだには、いったいどれだけの「隙間」があることだろう。この小さな文庫本は、合わせ鏡みたいに無限に世界をずらしつづけて私たちを迷子にしてしまう、おそろしい本だ。



柴崎友香かわうそ堀怪談見習い』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000416/


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