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レビュー

【解説:佐高信】城山三郎の最重要作品!少年たちの青春に戦争が刻み込んだ痛みとは?『大義の末 新装版』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:佐高 信 / 評論家)

『サンデー毎日』の2020(令和2)年の2月23日号で私は「絶対に形の崩れない男」という視点でしろやまさぶろうについて書いたが、驚くほどの反響があって、衰えぬ城山人気を知った。

 城山が亡くなって、もう13年になる。2007(平成19)年5月21日に開かれた「お別れの会」で私はつじたかしことつつみせいわたなべじゆんいちと共に弔辞を読んだが、この会にはなかやすひろいずみじゆんいちろうも参加していて、私は彼らにぶつけるように「城山さんを語る時、勲章拒否と現憲法擁護の二点だけははずしてほしくない」と強調した。

「戦争はすべてを失わせる。戦争で得たものは憲法だけだ」と城山は口癖のように言っていた。

 じゆほうしようを断る時、城山は「おれは国家というものが最後のところで信じられないのだ」と胸中の思いを吐露しているが、17歳で〝志願〟して海軍に入った城山は、皇軍、すなわち天皇の軍隊というものがどんなものかをしたたかに思い知らされ、国家に裏切られたという痛みを終生消せなかった。また、自分は〝志願〟したと思ったが、あれは志願ではなかった、言論の自由のない天皇制ファシズム下の当時の社会が〝強制〟したのだと悟って、その傷を抱えたまま戦後を生きたのである。

 そんな城山が、信じてしまった少年の自分にふくしゆうするように、あるいは精神の火傷やけどを負った自らの青春を切開するように書いたのが、この『大義の末』である。城山にとって、これは書かずにはいられない作品だった。文字通り、城山文学の原点であり、最重要の小説である。


書影

城山三郎『大義の末 新装版』(角川文庫)


 この作品は、城山の分身ともいえる柿見が、杉本五郎という中佐によって書かれた『大義』を信じて軍隊に入り、前歯を折る場面から始まる。銃を持って転びそうになった柿見はとっさに銃をかばい、顔を岩にぶつけた。

「陛下の銃」だからきずをつけてはいけないと思ってである。しかし、そりゃ、陸さん(陸軍)のことだ、と上官に軽くいなされる。

 そんな理不尽ばかりで埋めつくされた軍隊から帰って、柿見はうまく戦後に適応できなかった。適応できなかったのは柿見だけではない。

 同郷の戦友、種村は死んだが、かえって来ない息子の年の数だけ、寺の住職夫人の母親は鐘をく。毎日5時と10時に19撞くのである。還って来たのに首をった小島という同級生もいた。

 次の柿見の述懐は、そのまま、17歳で敗戦を迎えた城山の述懐であるに違いない。

「生きていていいのか。後めたくないのか。終戦前は生きているということが負債であった。だが、いま、種村が死に、小島が死んだ後で生きているということには、まあたらしい罪のにおいがした。生きて行こうとすることが、あばずれのわざに見えた。これから先の一生、いかに善く生きようとも、種村や小島、死んでしまった奴にはかなわない気がした。そして、実際に生きるめやすもなかった。無限の休暇の中で身も心もほうけて、やがて、はるかな空にうすれて行くのだ」
「あらっ、また、柿見さんとつきあってる」

 城山は新婚時代に夫人にこう言われながら、『大義の末』を書いた。作中で柿見は天皇制を次のように断定する。

「天皇というものは、支配権力にとって実に便利な存在だからな。国民の総意を代表し、それを越えた存在ということにしておけば、たとえ自分たちが不都合なことをしても、天皇の意志だと責任を逃れられる。国民の批判を無視することができる。世論にすり代り、世論をおさえつける権威──天皇元首説がまた出てくるはずだ。しかも、憲法改正ということで再軍備と結びついて。……国防などと言ったって、結局、そのときの政治権力を守るだけ。国民は狩り出され殺される。そんなとき、一番適当な冠が天皇制だ。天皇という一語ですべてが正当化される」

 種村の母の住職夫人は、昔は境内で子どもたちが遊んでいるのを喜んでいた。しかし、息子の死の後、どんなに子供会や婦人会から頼まれても、子どもの姿を見ると追い出してしまうようになった。そんな母親を見ながら、種村の妹が語気を強める。

「愛国心などと言い出す人を見ると、そんな人は戦争でただ得だけしてきた人じゃないかと、にくくてなりません。どれだけ兄のような犠牲を見れば気が済む人なのかと……。みんなが幸福にくらせる国をつくれば、黙っていたって愛国心は湧いてくるじゃありませんか」

 その通りだろう。愛を押しつけるとはストーカー行為にも似て不粋の極みであり、押しつけられた愛国心がどんなにゆがんだものになるかはあの戦争で十分に学んだはずではなかったか。

『大義の末』が出たのは1959(昭和34)年だが、それから40年余り経って城山は2001(平成13)年に『指揮官たちの特攻』(新潮社)を出した。

「これが私の最後の作品となっても悔いはない」と宣言しているこの作品は『大義の末』の続篇と見ることもできる。

 これを城山はうなされながら書いたという。神風特別攻撃隊の第1号に選ばれ、レイテ沖に散った海軍大尉、関行男は、それを命じられて「ぜひ、私にやらせてください」と言ったように伝えられているが、実は、「一晩考えさせてください」とこたえたのだった。

 そして、自分よりさらに若い搭乗員を気遣いながら、こうつぶやいたという。

「どうして自分が選ばれたのか、よくわからない」

 亡くなって「軍神」とたたえられ、関の母親も「軍神の母」と当時はしようさんされたが、戦後は悲惨だった。敗戦によって、特攻隊員やその遺族を見る目が一変し、住んでいる家に投石された挙句に、大家から「即刻立ち退き」を迫られることになった。

 この『指揮官たちの特攻』を城山はどんな思いで書いたのか。作中に、父親と2人で自転車のペダルを踏む城山自身の姿がある。いや、城山家の姿である。城山はペンネームだから、杉浦家の姿と言った方がいいかもしれない。

「せっかく理科系への進学が決まり、徴兵猶予ということで、これでもう安心と思っていたのに、息子が自分からそれを取り消して、七つボタンの海軍へ志願入隊するとは。
 父は足もとが二つに裂け、声も出ない思いでいたのかも知れない。
 一方、後になって妹から聞いたのだが、私を送り出した母は母で、その夜は一晩中泣き続け、一睡もしなかった、という。
 こらえていた悲しみが噴き上げたのだが、それだけでなく『なぜ息子の言い分に負けて志願を許したのか』と、父にきびしく叱責されたせいもあったのであろう。
 あのクリスマスの夜から半年後、私のせいで、一転して家には暗い夜が続いて行くことに」

 敗戦の前の年のその夜、父親を軍隊にとられた城山家では、母親にいざなわれて、17歳の城山以下、弟妹たちが「きよこのよる」などの讃美歌を歌っていたのである。

「せっかく理科系への」には注釈が必要だろう。戦争を遂行するためには科学技術の振興が必要だとして、理科系の学校へ進んだ者は徴兵が猶予された。それで父親は、長男でもある城山にそちらを選択させたのだが、杉本の『大義』にあおられて、城山はそれをやめ、〝志願〟して海軍に入ってしまう。

 城山はある座談会で「作家になろうと思ったのは、われわれの世代は戦争でひどい目にあってきた。軍隊という組織悪の標本みたいなものを身にしみて体験してきたから、そういうものを書きとめ、書くことによって復讐したいという気がある」と語っている。

城山三郎『大義の末 新装版』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000995/


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