志村けんさんの訃報から3か月が経とうとしている。新型コロナウイルスによる肺炎が原因だった。
もうひとりのけんさん(=高倉健)は志村けんさんと映画『鉄道員』で共演したときのことを、身近な人たちに語っていた。健さんの遺した言葉を『幸せになるんだぞ 高倉健 あの時、あの言葉』の番外編としてお届けします。
人を笑わせるためにだけ生きている人には逆立ちしたって敵わないよ。
2020年3月29日、日本を代表する喜劇人、志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で死去した。
かねてから、「僕の本業はコメディアンです」と志村さんは公言していた。
そして、「素の自分を出すのは苦手」と語り、ドラマや映画への出演はかたくなに断り続けた。
それが今年始まったNHK連続テレビ小説『エール』に出演している。
日本を代表する作曲家・古山裕一(モデルは古関裕而)が世に出るきっかけを作った作曲家・小山田耕三(モデルは山田耕筰)役。
「僕の出ているシーンは困ったことにあまり笑いがないんですよ」
そう語った志村さんにとって今回の俳優業は二十年ぶり、二度目になる。
前作は、高倉健主演映画『鉄道員』である。
志村さんの出演を願ったのは健さんだった。
◇
『鉄道員』映画化の話がまだ世に出ていない1997年10月、北フランス、ドーヴィルのホテルのテラスでの話だ。
健さんは、
「今、面白い人って誰?」
と訊いた。
健さんは以前から喜劇人好きである。
「志村けんさん、コントが面白い!」
私は即答した。そこに居たメンバーが頷くと、健さんは、「ふ~ん」と言いながら珈琲を口にする。
「あれは寿司屋でしょうか。
客が店に入って来ると、カウンターの向こうのおじいさんが、寿司ネタに包丁を入れようとする。
でも、包丁を持つ手はおぼつかなくって、
なかなか調理できないんです(笑)」
「観てみたいなぁ……」
健さんは反応し、その場で、国際電話をかけ始めた。
相手は広告代理店のTさん。観たいテレビ番組や聴きたいラジオ番組などがあればいつもその人に連絡を入れ、手配してもらうのである。
帰国して間もなく、「観たよ。久しぶりに声を出して笑ったよ」
そう言いながら、包丁でネタを切ろうとするおじいさんの真似をしたのだった。
「志村けんさんといつか仕事したいなあ」
その時、健さんは『鉄道員』での共演を思い浮かべていたのだろうか。
◇
1999年に製作された映画『鉄道員』――。
脚本を繰ってみると、登場人物の欄には、「吉岡肇 四十六歳 炭鉱夫 志村けん」。
筑豊(福岡県)の炭鉱が閉山し、「北海道ならば石炭が掘れる」と幌舞へ移住してきた臨時工の吉岡。酒癖が悪いために妻と娘に逃げられ、残された一人息子を満足に育てられないでいた――とある。
映画は荒野を走る機関車D51の汽笛とともに始まり、廃線間近な終着駅「幌舞駅」が舞台になっている。
駅前に古びた「だるま食堂」があり、そこで志村さん扮する〝吉岡〟が酒に酔い、気の荒い坑夫らに襟首を持って吊り上げられ投げ飛ばされる。
乙松(駅長姿の健さん)といた仙次(運転士姿の小林稔侍さん)が仲裁に入るが、男たちは、「親方日の丸が口出すとこじゃなかんべ! すっこんでろ!」。
それを聞いた吉岡は、「親方赤旗がなんば言いようとや! 赤旗ばおっ立てて貴様ら本工は高見の見物やなかばい! 合理化言うてよ最初に首切らるーは、わしら臨時工やろ、えーっ!」と怒鳴る。
男たちも負けてはいない。
そこに「だるま食堂」の店主(奈良岡朋子さん)が水をぶっかけて、
「やめろ。そこ座って。うちで立っているのは勘定して帰るときだけだよ!」
と叱り飛ばし、吉岡と息子に向かい、
「ほら、今夜は私のおごりだ! 飲んで、飲んで、胸のつかえ流すんだね」
吉岡はコップ酒をあおりながら、額をテーブルにガンガンガンと打ち付ける。
そして、顔を歪めて、
「痛えなぁ」――。
ペーソス溢れるこのワンシーンは志村さんのアドリブだった。
◇
やがて、吉岡は幌舞炭鉱の事故で命を落とすのだが、この人物は原作『鉄道員』(浅田次郎の短編小説)には姿かたちもなかった。
健さんが、「ちょっと違いますね」という言葉とともに降旗監督に第一稿の脚本を返し、その後、加筆訂正するうちに生まれたのが志村さんの〝吉岡〟だった。
思えば、健さんの少年時代、筑豊炭鉱の大浴場に浸かった話を聞いたことがある。
「親父が労務の仕事をしていたから、
僕はしょっちゅう風呂に入りに行っていたんだよ。
仕事を終えた男たちの顔は煤で真っ黒でね。
目玉だけがぎょろぎょろしていた。
湯から出る時はまったく違う顔になっていたよ」
その庶民の哀歓と志村さんの〝吉岡〟が、健さんの中で一つになったのだろう。
脚本を読み終えた健さんは、「いいですね」と顔を上げたという。
「根はシャイで実直で……。
人を笑わせるためにだけ生きている人には
逆立ちしたって敵わないよ」
志村さんの、あのアドリブに健さんは感服していた。
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