映画『アフロ田中』『君が君で君だ』などの監督をつとめるほか、脚本家、演出家、ラジオナビゲーターなどの肩書きを持つ松居大悟さん。今年5月には小説家デビューをされる松居さんに、バレンタインのおすすめ本を伺いました。
何ももらえるわけない。何ももらえるわけないんだよ。久しぶりに積もった雪を踏みしめながら、早足の心臓を押さえつけて、ゆっくりと校門をくぐる。校内には点在して歩く男たち。皆、片手をあけている。いつも聞こえるはずの、男たちの騒ぐ声は聞こえない。今日は一人ずつ行動している。いつ何時でもチョコがもらえるようにだ。「おう」「おはよう」「雪すげぇな」「な」男同士の挨拶はまったく盛り上がらず、お互いに牽制しながら、すぐに離れる。ワイワイと話す女生徒たちに胸をかきむしられながら、靴箱を目指す。いつもよりみんな歩みが遅いのは、久しぶりの雪で手こずっているからではない。呼びとめられるのを待っているからだ。ゆっくりと。ゆっくりと。また追い抜かれた。呼びとめてもいいんだけどな。今がチャンスだけどな。
呼びとめられないままに、順調に靴箱に着いてしまう。まだチャンスはある、いやチョコなんてもらえるわけないから、の葛藤の中で、靴箱を前に立ち尽くした。この中に何かあるかもしれない。手が震えながら、深呼吸。「おいマジかよ!荒木から来てるじゃん!全然いらねー!!」下品な奴らの歓喜の声が聞こえる。あいつらの十年後はつまらないだろう。そう言い聞かせて、いつもより重く感じる靴箱のフタを開ける。息を呑んだ。目を疑った。背筋から電流のような感覚。カビの生えた上靴の隣に、小さな、宝石のように輝くピンクの箱があるわけないんだよ。何言ってんだよ。アホか。中高6年間男子校だったから全て妄想でしたが、長くなってしまいましたね。久しぶりに積もった雪、からは筆が乗っていました。2月の雪は残酷だ。全部雪のせいだじゃないんだよ。全部この自意識のせいだよ。
思春期を全て進学校の男子校で過ごした自分には、バレンタインデーのドキドキするやりとりに無縁で、母親からもらうチョコに屈辱を感じながらも残さず食べていたものです。大人になってからは、仕事の付き合いでもらうこともありますが、やはりあの頃の甘酸っぱさ、というのを経験したかったな、と一生後悔し続けるんだろうと思います。さて、ここまで読めてしまった仕方ない君に捧げる本を紹介するとしよう。
『惜春』(講談社文庫) 花村萬月
花村萬月さんの作品はいつも童貞たちの心に優しく寄り添ってくれるのですが、こちらは雄琴のソープランドのボーイをすることになる童貞の物語です。「行けば絶対にセックスができる風俗島があるらしい」というのは、男なら教室で一度は聞いたことがあると思います。しかし誰も辿り着いたことがないという永遠の噂。それを夢物語ではなく追体験できる作品です。
なんで女性は圧倒的にたくましくて、男は情けないぐらい弱くてみみっちいんだろう。チョコなんてどうでもいいのに。もらえなかった記憶ばかりが昨日のことみたいに思い出せてしまう。精液を焼いた匂いなんて知ったこっちゃないけれど、僕らはいつも春が少しだけ遠くて、惜しい。バレンタインなんて日は、その距離が憎らしいほど遠く感じる。そんな距離はすべて燃やし尽くしてしまえ。
『青春と変態』(ちくま文庫) 会田 誠
チョコをもらえない苦しみを全てこの小説は包み込んでくれます。芸術家・会田誠さんの大傑作。自分は間違っているんじゃないか?と枕に発狂するそんな夜も、この小説を読めば、彼のほうが間違っていると思えて、なんだか少し優しい気持ちになってしまう。やってはいけないことかもしれないけど、やってしまうどうしようもなさと、すごいスピードで駆け抜ける自己肯定、雪景色を感じる鮮やかな筆致が、灰色の青春を塗り替えてはくれないけれど、灰色も見方によっては美しいんだよと教えてくれました。
女の子はいつも美しくて、その眩しさに目が潰れそうになる。僕たちは、これを変態なんて言葉で片付けられない。
『石田徹也全作品集』(求龍堂) 石田徹也
なんで好きなのかわからないんですが、見ていて落ち着いてしまうのは、結局、チョコをもらえない自分にうっとりしてしまっているからなんですよね。チョコをもらうための努力や方法はきっと山奥の男子校に通う僕にもあったはずなんですよ。それでも、もらえないことを良しとして、こういう場所でチョコをもらえなかったことを利用してコラムを書かせてもらっている。変化を恐れていて、自分本位なんです。このタイトルに惹かれて読んでいるあなたも、もしかしたら。
そんな自分大好き人間たちは、石田徹也の絵を見たら、泣けて泣けて仕方ないと思います。この人には勝てない。なんだろう、なんだか、寄り添ってくれるんだ。
『ロッキン・ホース・バレリーナ』(角川文庫) 大槻ケンヂ
僕たちが体験できなかったどころか、きっとチョコをもらいまくったクラスの人気者野郎ですら体験できてない、痺れるような青春譚を、我らの大槻ケンヂさんが書いてくれています。18歳のロマンス、音楽、全国ツアー。何一つ持っていなかったけど、この小説を読むと、まるで冴えなかったあの頃の自分や友達たちが美しく輝き出すのは、この小説の中にいる人物たちが僕らと同じように、不器用だからだろうか。
ロッキンを履いた町子が、ピンと爪先立ちしている姿が愛おしくて仕方なくなります。チョコももらっていなかったし、音楽もやっていなかったし、学生時代の旅行なんて、自転車で隣町に行くのがやっとだったな。それでもあの自転車で浴びる風を覚えている。つまずいてすりむいた膝の傷を覚えている。駆け寄ってくれたアホみたいな友達の心配そうな顔を覚えている。町子に会いたいな。小説っていいものですね。
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松居大悟(まつい・だいご)
1985年、福岡県出身。映画監督、劇団ゴジゲン主宰。J-WAVE『JUMP OVER』毎週木曜26時から放送中。監督を務めた最新作映画『#ハンド全力』は20年5月22日公開。小説デビュー作『またね家族』は20年5月刊行予定。