芦辺拓+江戸川乱歩『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』は、日本ミステリーの祖にして怪奇幻想文学の巨匠・江戸川乱歩の中絶作『悪霊』を、芦辺拓さんが書き継ぎ、完成させた長編だ。昭和8年に乱歩が解き放った怪奇と恐怖と官能が、令和の世によみがえる!
取材・文:朝宮運河
写真:有村 蓮
『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』芦辺 拓インタビュー
江戸川乱歩が残した、日本ミステリー史上最大の謎に挑む
『悪霊』というミステリー小説をご存じだろうか? 江戸川乱歩が昭和8年(1933年)、雑誌『新青年』誌上で連載をスタートするもののわずか3回で中絶、そのまま放置されていた長編だ。その“未完の傑作”がついに完結する。
「3年ほど前、僕の『奇譚を売る店』という短編集を読んだ編集者から、古書ミステリーを書いてほしいという依頼を受けました。しかし当時から古書ミステリーは飽和状態でしたし、今さら自分に新鮮なものが書けるとは思えなかった。それなら幻の作品ということで乱歩の『悪霊』を完結させるなんてどうですか、と提案したら“面白そうですね”と乗ってくれたんです。他にもやりたいミステリー作家はいるでしょうし、熱心なファンに怒られるかもとも思ったんですが、乱歩先生と合作するという誘惑には抗えませんでした」
複数の手紙からなる乱歩の『悪霊』は、東京都内の邸宅での密室殺人から幕を開ける。屋敷の主である姉崎曽恵子が、古い土蔵の中で頸動脈を切られて殺されていたのだ。土蔵には鍵がかかっており、現場には謎の符号が書かれた紙切れが残されていた……。
「『悪霊』の文章の密度の濃さというのは、乱歩の最高レベルの作品のそれと同じです。もし最終回までこのテンションが保たれていたなら、歴史に残る大傑作になっていたはず。当時これを『新青年』で読んだミステリーファンは、さぞかし興奮したでしょうね」
その後、東京・中野にある心理学者・黒川博士の邸宅で、降霊会が開催される。メンバーは心霊研究会会員の男女7人。殺された姉崎曽恵子もこの会の一員だった。ところが龍ちゃんという女性霊媒の口から漏れたのは、もう一人「美しい人」が殺される、という不吉な予言だった。物語はいよいよ緊迫感を増すのだが……、残念なことに連載はここで中断してしまう。乱歩はなぜ続きを書くことができなかったのだろうか。
「メイントリックを横溝正史らに見破られ、書く気を失ってしまったからだと言われています。あるいは書いているうちにトリックの致命的な矛盾に気づいて、先を書くことができなくなったのかもしれません。乱歩はミステリーに対して理想が高く、自己嫌悪に陥りやすい性格でした。しかし乱歩の考えていたトリックが、僕の推測しているとおりだったとしたら十分に独創的。海外の先例をしのぐ着想だったように思います」
『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』は、乱歩が執筆した『悪霊』全3回を内包しながら展開し、その先に芦辺さんが書き継いだ“新作”パートが収録されている。芦辺さんは先の筋書きの分からない物語を展開させ、しかも乱歩の残した謎をすべて解決するという、難易度の高いミッションに挑むことになった。
「『悪霊』は分かっていることと、分からないことの落差が大きい作品なんです。メイントリックについては、おそらくこうだろうという推測が古くからなされていて、ミステリーマニアの多くはそれを知っている。一方で土蔵での密室殺人の方法や、殺人現場に残されていた符号については手がかりがなく、乱歩がどういう真相を用意していたのか分かりません。大先輩の土屋隆夫先生が生前、符号を含むすべての謎を解き明かしたと言われているので、唯一の正解があるという事実を支えに、僕も真相に近づこうとへぼ探偵なりに努力してみました」
しかし与えられた課題をクリアするだけでは、乱歩ワールドのあの胸躍るような面白さを再現したことにはならない。物語がどこに進んでいくのか分からない大胆不敵な構成こそが、乱歩作品の特徴だからだ。『悪霊』も後半でストーリーが大きく展開した可能性が高い、と芦辺さんは言う。
「冒頭で姉崎家における密室殺人が描かれますが、乱歩は当然その先の展開も考えていたはずです。それが分からないからといって、土蔵周辺だけで話を終わらせてしまっては、物語のスケールが小さくなるのは避けられない。僕なりの方法で物語を“増築”しないといけないと考えました。幸い乱歩先生のご遺族からはかねがね、自由にやっていいというお言葉をいただいているので、中盤からはまったく独自の展開になっています」
その増築の一例が、新宿にある遊園地の「迷宮パノラマ館」における殺人事件だ。ノスタルジックで人工的な舞台はいかにも乱歩風で、『パノラマ島綺譚』などの名作を連想させる一方、昭和レトロな物語を得意としてきた芦辺作品のテイストも色濃い。
「新宿は乱歩作品とそれほど縁がない土地ですが、だからこそ面白いのではないかと思いました。中野の黒川博士邸からも中央線で行き来できる位置ですし、資料を調べてみると昭和初期に遊園地があったことも分かり、ここしかないなと(笑)。いつも締め切り直前に資料を集めてアイデアをひねり出すような泥縄式の書き方をしているんですが、ぴったりの史実が見つかることが多くて面白いですね。まるで歴史が僕の作品に書かれるのを待っていたんじゃないか、という妄想に駆られることすらありますよ」
芦辺さんはパスティーシュの名手としても知られ、『金田一耕助VS明智小五郎』など乱歩作品の模作にも定評がある。本作でも巧みな文体模写により、乱歩作品の手触りを現代によみがえらせた。
「パスティーシュはオリジナル作品を書くのとまた違った楽しさがあります。すでに用意された世界に新しいアイデアを盛りこむのは、刺激的な体験なんですよ。僕にとって『悪霊』はいつか登らないといけない高い山のような存在だった。書き上げるまで、同業者に先を越されたらどうしようと気が気ではなかったです(笑)」
乱歩が『悪霊』に仕掛けたと推測されているのは、作品構造そのものを利用した大トリックだ。芦辺さんはその着想を踏まえながら、また違った角度から新たな驚きを生み出している。そのうえで『悪霊』はなぜ中絶したのか?というミステリー史上の謎にも挑んでいるのだから、乱歩も大満足の出来栄えだろう。
「自分はこんなこと考えていない、と叱られそうですけど(笑)、乱歩の発想をなぞるだけではなく、新解釈を加えなければ世に問う意味がないと思いました。乱歩が構想していた『悪霊』は、僕の書いたような作品ではないと思いますが、乱歩は『陰獣』のように物語の内と外を結びつけるようなトリックを好んだ作家。案外近いことを考えていたかもしれません」
昨年デビュー100年を迎えた江戸川乱歩。日本ミステリーの祖として、怪奇幻想文学の先駆者として、今なおファンを増やし続けているが、芦辺さんにとってはどんな存在なのだろうか。
「ある人が乱歩と紫式部と曲亭馬琴を母国語で読めるのが幸せだと書いていましたが、僕も同じような意見です。乱歩の魅力はもうひとつの世界を言葉で作り上げたこと。我々はそれを読むことで、別世界に没入することができる。乱歩作品はしばしば映像化されますが、どんなにお金をかけて作られた映画やアニメでも、乱歩の書いた幻想風景には敵いません。その言葉の力が、僕を惹きつけてやまない点ですね。乱歩の書いたものなら珠玉の短編も、はちゃめちゃに破綻した長編も大好き。唯一無二の存在なんです」
さまざまな紆余曲折を経て完成した『乱歩殺人事件』。『新青年』での連載開始から約90年、密室の封印が解かれ、謎めいた悪霊の正体が白日のもとにさらされる時がきた。この歴史的瞬間を見逃してはならない。
「作品を依頼してくれた担当者が若くして亡くなるなど、さまざまな苦難にも見舞われましたが、ついに書き上げることができました。物語の面白さを教えてくれた作家と合作できたことは、一生忘れられない経験です。この作品に注目してもらえるのも、乱歩先生という大きな存在のおかげ。その期待に見合うだけの作品になっていることを祈っています」
『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』
芦辺 拓、江戸川乱歩
KADOKAWA
都内の邸宅で不可解な密室殺人が発生。関係者の集った降霊会で新たな殺人の予告がなされるが……。江戸川乱歩の未完の傑作を芦辺拓が書き継いだ、昭和と令和を結ぶ合作ミステリー。残されたすべての謎を解き明かし、さらに大胆なアレンジを加えた芦辺の手腕が光る。
※「ダ・ヴィンチ」2024年3月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
プロフィール
芦辺 拓(あしべ・たく)
1958 年、大阪府生まれ。90 年『殺人喜劇の13 人』で第1 回鮎川哲也賞を受賞してデビュー。2022 年『大鞠家殺人事件』で日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を受賞。著書に『十三番目の陪審員』『鶴屋南北の殺人』『森江春策の災難』『大江戸奇巌城』など。
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寄稿● 伊藤克己、菱川晶子
ブックガイド● 朝宮運河
小説● 京極夏彦、有栖川有栖、恒川光太郎、山白朝子、澤村伊智
漫画● 諸星大二郎、高橋葉介、押切蓮介
X(旧Twitter) @kwai_yoo
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