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特集

今月のおすすめ文庫「ミステリ小説」 貫井徳郎が語る、ミステリの魅力とは? 『悪の芽』文庫化記念インタビュー

取材・選・文:皆川ちか

毎号さまざまなテーマをもとに、おすすめの文庫作品を紹介する「今月のおすすめ文庫」。今月はカドブン読者にも絶大な人気を誇る「ミステリ」がテーマ!今回は王道のミステリ作品のほか、最後にあっと驚く結末が待ち受けている作品、あえて「紙」で読んでほしい最新ミステリなど、さまざまな作品をご紹介!
また、2024年1月23日に『悪の芽』文庫版が発売となった貫井徳郎さんに、本作について、また誘拐事件の発生や防犯カメラの発展など、ミステリ小説で重要な“事件のきっかけ”や“犯罪捜査”について、作家ならではの視点でお話をお伺いしました。

今月のおすすめミステリ小説

『悪の芽』貫井徳郎(角川文庫)



大手銀行に勤める安達は、無差別大量殺傷事件のニュースに衝撃を受ける。40人近くを襲ってその場で焼身自殺した男が、小学校時代の同級生だったのだ。あの頃、俺はあいつに対して、取り返しのつかない過ちを犯した。この事件は、俺の「罪」なのか――。懊悩する安達は、凶行の原点を求めて犯人の人生を辿っていく。彼の壮絶な怒りと絶望を知った安達が、最後に見た景色とは。
いじめ、経済格差、SNS、社会の未成熟化……現代日本が抱えるさまざまな問題を内包した貫井ミステリの最前線。

『青の炎』貴志祐介(角川文庫)



優秀な頭脳を持ち、母と妹との生活をなによりも大切にする高校生・秀一。一家の前に、かつて母の夫だった曾根が現れる。自宅に居座り、母どころか妹にまで手を出そうとする曾根を排除すべく秀一は殺害計画を立てる――。完全犯罪に挑む17歳の少年の危うく瑞々しい心象を切々と綴った倒叙ミステリ。青春小説としても秀逸。

『イニシエーション・ラブ』乾くるみ(文春文庫)



合コンで出会ったマユと恋に落ちた大学4年生の“僕”。社会人となって上京し、マユとは遠距離恋愛を続けるが、やがて同僚の美弥子と惹かれあう。そんななかマユの妊娠が判明して――。80年代後半を背景に、二部構成で紡がれるほろ苦い青春小説……と思いきや、最後の最後で仰天のオチが待ち受ける大ヒット恋愛ミステリ。

『火車』宮部みゆき(新潮文庫)



休職中の刑事は親戚の青年に頼まれて、失踪した彼の婚約者を捜すことに。その女性・関根彰子には自己破産した経歴があり、さらに調べれば調べるほど壮絶な過去が露わになってくる――。カード破産を題材に、金融犯罪が複雑化する現在への予兆に充ちた宮部ミステリの最高峰との呼び声も高い代表作。ラストの一文が胸を刺す。

『世界でいちばん透きとおった物語』杉井光(新潮文庫)



大御所ミステリ作家・宮内彰吾は妻がいながら複数の女性と交際し、子どもまで作っていた。その子どもである燈真は、宮内の死後、異母兄から「父の遺稿を探してほしい」との依頼を受ける。宮内は死の直前まで『世界でいちばん透きとおった物語』という作品を書いていたらしいが――。2023年のミステリ界で最も話題を呼んだ作品。電子版が出ていない点にトリックが秘められている!


40代の主人公だからこそ意味がある
“大人の成長”を描く社会派ミステリ

『愚行録』『乱反射』など数々の代表作を持つ社会派ミステリの第一人者、貫井徳郎さんの『悪の芽』が待望の文庫化!
本作の主人公・安達周は、大手銀行に勤める41歳。職場での自分の立ち位置や、優しい妻や可愛い子どもたちと過ごす日々に満ち足りていた。あの日、イベント会場で凄惨な無差別殺傷事件が起きるまでは――。無関係に思われた事件が、順風満帆だった安達の人生を大きく揺るがし、浸食していく。凶行の直後に壮絶な自死を遂げた犯人・斎木が、かつての同級生だと知った安達は、自責の念に駆られてある行動に出るのだが……。



――主人公の安達は出世コースにのった銀行員で、いわゆるエリートです。けっして悪い人ではありませんが、心情のそこかしこから〈自分は悪くない〉〈自分は正しい〉という本音が透けて見え、率直に言って好きになるのが難しい人物でした。

貫井:まさに、読者から見てなんとなく反感を覚えるような人物として安達を設定しました。エリートとして社会的成功を収めるだけの能力があるので、どうしてもそういうところがあるんじゃないかと。

――自分ではそのつもりはないのだろうけれど、無意識に人を見下しているような。

貫井:いい人ではあるんだけど、友だちになれそうかというと微妙……そんな具合に抑えた“イヤさ”を出したつもりです。

――安達をはじめ、同じく元同級生でいじめの主犯格だった人物や、事件現場に居合わせて動画撮影をした学生、被害者の母親など、さまざまな人物の葛藤が描かれます。ミステリとしての側面だけでなく、異様な事件によって日常がひっくり返ってしまった人たちのドラマを読んでいるような面白さも印象的でした。

貫井: 私の作品の読者には特にミステリ・ファンではない人もいる、というのは、評論家の日下三蔵さんからもご指摘を頂いたことがあります。貫井徳郎の読者の中には、ミステリが好きだから読みたい、というよりも、単に「面白い」から好き、という人が大勢いるはずだ、と。たしかに本作はミステリとはいえトリックがあるわけでも、犯人を捜すといった内容でもありません。それよりも、事件に関係を持たざるを得なくなった彼らが、何を考え、どう決断していくのか……。登場人物の行動や感情の揺れをきっちり書こうと意識しました。

――人物描写に注力を。

貫井:ええ。一番書きたかったのは安達の成長です。これまで躓くことなく生きてきたこの男が、今までの自分なら見えなかった部分を見、気づかずにいたことに気づけるようになるまでを描きたかった。

――斎木の起こした事件を引き金に安達はだんだん変わっていきます。パニック障害になり、斎木の関係者たちを訪ねては打ちのめされ、妻の前でぼろぼろと涙をこぼし。別の人になってゆくようでした。

貫井:これが20代、30代だったら成長の物語として普通だと思うのですが、主人公を40代としたことに意味を持たせました。今はなかなか人が成熟しない世の中になってきている気がします。僕自身50代の半ばですが、落ち着いた大人になれたかというと、そんな実感もなく。たぶん多くの人がそうなんじゃないかな。でもそれは見方を変えれば、40代、50代になっても成長できる可能性がある、ということでもあるのかなと思います。

――ラストシーンも印象に残っています。無差別殺人という非日常的な状況からはじまり、混雑する駅でのベビーカーという日常的な光景に着地する。ショッキングな事件から見える社会と、ベビーカーから見える社会はつながっているという視点はまさに貫井流社会派ミステリですね。

貫井:よく社会派ミステリの書き手といわれるのですが、自分としては社会派を書いている意識はないんです。普段から社会に対し強い憤りや問題意識を持っているわけでもないし。ただ、ベビーカーに関しては昔、自分自身が子どもを乗せてよく押していたので、その時の記憶が浮かんできたのかもしれません。重いから持ち運びが大変だったなあ、とか。そういう実際の体験ってやはり大きいですね。普段は特に思い出さないんですが、どういうタイミングでか、ふっと浮かんできて物語の一部になることがあります。

――ちなみに今現在の社会は、書き甲斐がありますか?

貫井:ミステリ作家の目線で言うと、警察の捜査能力が格段に上がって犯罪を書きづらくなりました(笑)。街の至るところに防犯カメラがあるんだから何をやってもそりゃ捕まるよね、と。これは全てのミステリ作家が悩んでいる問題のはず。警察が優秀になったぶん、犯罪自体はつまらなくなってきました。例えば詐欺にしても弱い人を狙うようになって、姑息というか陳腐というか。ミステリを書くうえでヒントになるようなドラマ性のある犯罪は、今後は出てこない気がします。

――ミステリ作家にとって今は難しい時代なのですね。

貫井:現代ではすたれた犯罪もありますね。例えば身代金目的の誘拐。もともと成功しづらいうえに現在の警察能力や防犯カメラの浸透などを考えたら、誘拐を企てる犯罪者はもういませんね。『罪と祈り』(2019年/実業之日本社)という作品では誘拐を扱ったのですが、設定を昭和から平成に差しかかる時期にしたんです。まだ誘拐が起こり得た、ぎりぎりの時代として。だけど若い読者には、誘拐という犯罪自体をリアルに感じない方もけっこういたんです。誘拐って昭和の犯罪だったんだなあ、とつくづく感じました。

――「誘拐は昭和の犯罪」。ものすごいパワーワードですね。

貫井:時代の変化によって犯罪が変わるのは当然で、ミステリ作家としてその変化には敏感でなければなりません。ただ、昨今の犯罪にはどうも――こんなことを言うのもどうかと思いますが――物語の種になるような魅力はあまり感じないんですよね。最近刊行した『龍の墓』(2023年/双葉社)は近未来の話で、次に刊行予定の作品ではパラレルワールドの日本を舞台にしています。現実に根差したミステリの成立が難しくなっていく以上、どのような世界観からストーリーを構築できるのかが、これからのミステリで大切になってくるのかもしれません。


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