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特集

無差別殺人と、想像力の欠如――貫井徳郎『悪の芽』インタビュー

撮影:川口宗道  取材・文:タカザワケンジ 

個人の話が「社会派」に


――悪の芽』は、『乱反射』『愚行録』など貫井さんの代表作を彷彿とさせるシリアスなミステリです。格差社会、いじめ、家族、SNSなどの問題を描いた、私たち一人ひとりに向けた物語でもあると感じました。着想はどこから?


貫井:社会派テーマで、と編集者から依頼を受けて考えたんですが、何も思い浮かばなかったんです。「いま書きたいのは個人の物語。個人の話を書かせてください」と言って書いたのがこれなんです。


――意外ですね。アニメの大きなイベントで入場待ちをしていた人たちが巻き込まれる無差別大量殺人が起こり、犯人の斎木が自殺。斎木と関わりのあった人たちを通して、現代社会の負の側面が明らかになっていきます。


貫井:半分以上書いてから「あれ? これ社会派じゃない?」と気づいたくらいで、自分では意図していなかったんですよ。

僕としては、大事件の犯人と小学校で同じクラスだった安達という主人公が、かつて自分が斎木にしたことが事件につながったのではないかと苦悩する、安達個人の話のつもりで書いたんです。


――安達は四十代前半のエリート銀行員。これまで順風満帆な人生を送って来て、妻と子供にも恵まれています。ところが斎木の過去が明らかになるにつれて、自分との接点に気づく。この展開にリアリティがありました。


貫井:世の中の大多数が犯罪とは関係なく生きていますよね。でも実はそう思い込んでいるだけで小さい接点があるかもしれない。その小さい接点が、傍目からは小さく見えても、本人にとっては大きな接点だということがありうるんじゃないかと。

 主人公に一人では背負いきれないくらい重いものを持たせて、それを物語の原動力にしたいと思ったんです。


――一方で、真壁という元同級生が登場します。真壁も同じことに関わっていたんですが、安達とは捉え方が違います。


貫井:たぶん、真壁のような反応をする人のほうが多いと思うんですよ。最後まで書いて思ったのは、真壁は思考停止している。悪いのは犯人だ──それ以上考えようとはしない。安達との対比が書けたと思います。書いている時にはそこまで考えていなかったんですが。


――冒頭で事件を動画撮影してネットにアップする亀谷という大学生が登場し、その後に彼の視点で描かれるパートもありますね。


貫井:冒頭部分を書いた時は、動画撮影をしていた彼が事件の後にどういうふうに出てくるのかは考えていなかったんです。


――「小説 野性時代」の2019年12月号から1年間連載されていましたよね。先を考えずに連載していたんですか。


貫井:そうですね。実はいつもそうなんですよ。この先どうなるのかはわからないまま書いています。

 『悪の芽』も安達以外の視点人物のエピソードを入れることだけは事前に決めていたんですが、書き始めた時点では、誰の視点が出てくるかは決めていませんでした。

 3回目くらいまで書いた時に、KADOKAWAの編集者さんたちと会食をする機会があり、この先をまったく考えていないとは言いづらくて、その場のアドリブで適当に「この人とこの人の視点を入れます」と言ったんです。それで方針が決まって、その通りに書いたんですよ。


――なんと! アドリブから生まれたとは。


貫井:でも、プロローグで出てきた亀谷が視点人物になると言っても、安達とからみようがないので、後でどうしようかなあと頭を悩ませましたけど。


――亀谷が出てきたことで、SNS、オタク文化など、若い世代から見た社会が見えてきました。コスプレイヤーが登場したのには驚きましたけど。


貫井:池袋に行ったときにコスプレイベントをよく見かけていたんです。あのシーン、妙にリアルだと思いません? 見て書いたからです(笑)。


――そうだったんですね(笑)。亀谷のパートで、この作品のキーワードである「想像力のなさ」という言葉が出てきます。


貫井:ああいう言葉が出てきたのは、僕自身が常日頃考えていることだから。自分が想像力がない、と常に考えているので。



正義と悪をはっきり色分けしたくない


――亀谷は事件の動画を拡散させたことで注目される快感を味わいます。SNSはいまや私たちの生活に欠かせないものになっていますが、貫井さんご自身は、公式サイトのブログは更新されていますが、SNSは休止されていますよね。


貫井:もともと発信欲がないんですよ。交流欲もないのでSNSに向いていないんです。宣伝のためにはじめたんですけど、宣伝効果もあまりないようなのでやってもしょうがないかなと。


――では、SNSに熱心な人たちの世界はどう見えていますか。


貫井:どうしてみんなそんなに話がしたいの、という素朴な疑問はありますね。僕、この1年くらいのコロナ禍の生活でも、すごく楽しく暮らしているんですよ。誰とも喋らなくても平気で、楽しく生きている人間なので、SNSを必要としないんでしょうね。


――SNS社会について、『悪の芽』をお書きになっていて感じたことは?


貫井:多くの人は、SNSで誰かを非難する気持ちと、「うーん」と躊躇する気持ち、その両方を持ち合わせているような気がするんです。自分がどっちに転ぶかわからない。そんなところがあるんじゃないでしょうか。

 僕自身もそう。僕はもともと「これが正義、これが悪」とはっきり色分けしたような話は書きたくないんですよね。見方によって、立場によって、正義って違うんじゃないか? というスタンスをずっと長いこと貫いてきたので、『悪の芽』も自然とああいうテーマに振れていったんですよね。


――いろんな社会派的な要素が入ってきたのも結果的にそうなったのであって、最初から意図していたわけではないと。


貫井:そうです。事前に考えていたテーマではなく、ごく自然にああいう感じになったんです。

 糾弾すべきものがあって、糾弾する側が正義というのが多くの社会派ミステリだとすれば、僕の場合はそうではありません。社会派と言われたとしても、ちょっと違う書き方をしているのではないかなと思います。


リアリティの度合いを1段階深く


――物語に話を戻しますが、安達は亡くなった犯人の斎木の動機の一端に自分がしたことが関係しているのではないかと不安になり、斎木について調べ始めます。冒頭ですでに亡くなっていますが、斎木は重要な人物ですね。


貫井:斎木がなぜあんな事件を起こしたのか。実はその部分が思いつかなくて、なかなか書き出せなかったんです。

 『悪の芽』が難しかったのは、冒頭で事件が終わっているから。犯人はわかっているし、犯行方法も明らか。発展性がまったくない設定を考えてしまった。これをどうやって長篇に膨らませればいいだろうかと。動機を思いついたのでやっと書き始められたんです。


――全体のストーリーを考えずに書かれたということですが、「想像力」というキーワードが何度も出てきたり、のちに伏線として生きてくる場面や台詞がありますよね。


貫井:そうなんですよね。単行本にするために読み直したら「ここにもう『想像力』っていう言葉を使っていたじゃないか!」と発見しました。安達が子供時代、斎木をいじめている同級生たちと自分との違いを「想像力があったから」だと考えているんですよ。のちの展開を考えると皮肉だなと。自分で書いておいてなんですが驚きました(笑)。


――「想像力」が作品の底流にあるキーワードとも言えますね。


貫井:さっきも言いましたけど、自分が想像力がないので(笑)。この場合は小説を書くうえでの想像力という意味なんですけど。小説を書き始める前に最後まで全部プロットを考えておくことが出来ないんですよ。

 僕みたいに先を考えずに書いている作家も半分くらいいるんだろうと思っていたら、あらかじめ全部最後までストーリーを考えてから書き始める人がほとんどらしい。最近知ってびっくりしているんですけど。


――といっても、全く考えずには書けませんよね。どれくらい先まで考えて書いているんですか。


貫井:原稿用紙50枚分くらいまでですね。月刊誌のちょうど1回分くらいなので都合がよかったんですが、最近、加齢とともに衰えてきまして、30枚くらいに。30枚まで書いてから、「うーん」と考えて10枚、20枚書く、みたいな感じですね。想像力の射程が短いと言いますか。


――1冊の本として読んだ時にとてもそうは思えないのがすごいですね。登場人物の中でも、視点人物はもちろんですが、視点人物から見た、斎木に関わる人たちも印象に残ります。ファミレスの女性店員、厨房のちょっと意地悪な男とか。彼らもその場で出てきたわけですよね。


貫井:そうですね。よく言われることですが、小説の出来を左右するのはディテール。今回はとくにそれを意識しながら書いていました。たぶん、僕のほかの小説と比較しても、書き込みの度合い、リアリティの度合いが1段階くらい深くなっていると思います。それはどういう意図でそうしたのか自分でもわからないんですが、『悪の芽』に関してはそうしたほうがいいと思ったんです。



「あなたの中に悪の芽はありますか?」


――物語の着地についてはどうですか?


貫井:最後も決めてはいなかったですね。連載が後2回というところで「ラストはまだ考えていないんですよね」と言ったら担当編集者に驚かれました。

 でも、いいエピローグが書けたなと思います。あのエピローグがあるのとないのとでは作品の印象がだいぶ変わる。以前の僕だったらどよーんとしたところで終わったと思いますけど、今回はそうはしていないので。あのエピローグがあるおかげで、幅広い範囲の読者に受け入れてもらえる作品になったのではないかと思います。


――最後にタイトルについてお聞きします。連載ですから『悪の芽』というタイトルは最初に決めたんですよね。


貫井:タイトルが決まらないと書き出せないので、ほとんど最初に決めていますね。『悪の芽』もそうです。


――読んでいるうちに『悪の芽』というタイトルの意味が単純なものではないなと感じるようになりました。


貫井:先日、書店の店頭に飾るポップをつくりたいから執筆動機を書いてくれと依頼されました。「とくにテーマとか考えてませんでした」と書くわけにはいかないので(笑)、どうしようかな、と考えて、「あなたの中に悪の芽はありますか?」と書いたんです。その時、「あ、そういう意味だったのか」と腑に落ちたんですよ。その時までは「悪の芽」は斎木の心の中にあるものとしか考えていなかったんですが、「それだけじゃないな」と。ほんの数週間前の話です(笑)。自分で書いてもわかっていない部分がある。それを読者のみなさんに発見していただけると嬉しいですね。



貫井徳郎『悪の芽』



定価: 1,925円(本体1,750円+税)
発売日:2021年02月26日
犯人は自殺。無差別大量殺人はなぜ起こったのか?
世間を震撼させた無差別大量殺傷事件。事件後、犯人は自らに火をつけ、絶叫しながら死んでいった――。元同級生が辿り着いた、衝撃の真実とは。現代の“悪”を活写した、貫井ミステリの最高峰。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322006000143/
『悪の芽』amazonページはこちら


貫井徳郎(ぬくい とくろう)

1968年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。93年、第4回鮎川哲也賞の最終候補となった『慟哭』でデビュー。2010年『乱反射』で第63回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞、同年『後悔と真実の色』で第23回山本周五郎賞受賞。他の著書に『壁の男』『宿命と真実の炎』『罪と祈り』などがある。

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