取材・文:河村道子 写真:宇佐美 亮
※『ダ・ヴィンチ』2025年5月号より転載
『ユビキタス』鈴木光司インタビュー
東京一千万の人口を死滅させる未曾有の“大災厄”がやって来る――。
タイトルが意味するものは“どこにでもいる”。脳内を駆け巡るのはストーリーから地鳴りのように響いてくる“考えろ、考えろ”、そして鈴木さんが放ち続けてきた「世界の仕組みを知りたい」という言葉。日本ホラー界の帝王、16年ぶりの完全新作はホラーの“真の本質”というところへも読む者の思考を連れていく。
「表現者とは、誰もやっていない表現をしなくてはいけないと思っているんです。僕は共感を得たいなんてことはまったく考えていない。やりたいのは皆が信じ込んでいる世界をぶち壊すこと。この作品もびっくりすると思いますよ。“緑の地球を守ろう”なんて言って、人は植物を支配しているつもりだけど、実は逆だったんだ、と」
東京都内で発生した連続変死事件を追う元週刊誌記者で今は探偵事務所を営む前沢恵子。突き止めた死者の共通点は、南極観測船・しらせで持ち帰られた南極深層の氷だった。調査を進めるなか15年前、同様の変死事件が新興宗教団体の中で起きていたことが発覚する。血液に異常をきたす不可解な死因。恵子の調査に協力する異端の物理学者・露木眞也が気付いたのは、かつての後輩・麻生が研究していた“世界最高レベルの暗号文書”と呼ばれる《ヴォイニッチ手稿》との関連性だった――。
「誰も見たことのない文字で書かれた文章の合間に、実在しない植物のイラストが挿入された《ヴォイニッチ手稿》を僕が知ったのはおよそ20年前。まだ誰も解読していないそれについて考え、自分なりの結論を出したのですが、これはおそらく漢字のように一文字、一文字、意味を持つ表意文字を介在させた文字に違いないと。訳せる人間がいるとしたら、象形文字を使ったマヤ文明期の人間ではないかと。すると米国国防総省の解読班が植物学的な分析から、これはマヤ地方で書かれたものだと割り出した。ここで抱いた“確信”から作品の根っこが生まれました」
次々と湧きあがってきた着想。そのなかのひとつ「地球生命の歴史を、植物の視点で眺め直したら」というテーマが本作を形成していった。
「ストーリーの根幹にあるのはキリスト教です。なかでも中世の南フランスを席巻したカタリ派。異端の思想を持つカタリ派は女性を重用し、薬を作り出す植物に深い知見を持っていた。けれど十字軍によって壊滅し、生き残りは新大陸へ渡った。先に発想したのはそういう歴史的なもの。でもそれは今作ではほとんど出てきません。なぜなら『ユビキタス』は4部作に連なっていく物語だから。日本、マヤ、アメリカ大陸、イラン高原、大航海時代、そして最後は宇宙と、時代と場所が移っていくなか、僕の世界観が徐々に明らかになっていく“世界の仕組みを知る旅”です。日本だけを舞台にした『リング』、最終的に仮想空間へ行った『ループ』と、構造的には《リング》シリーズに近いものになりますが、この4部作はこれまで僕がやってきたことの集大成になると思います」
物理学、量子論の世界から
“恐怖”を導き出してきた
住民の集団死事件が起きる秩父さくら湖、東京湾へと迫る“大災厄”を迎える、出入り禁止となっている第六台場……。検索してみると、舞台はすべて実在の場所だとわかる。
「『リング』がそうであったように怖い話を書こうとしたら、身近なものからスタートしなくては。主人公の恵子にしても、現代的な問題を抱えるシングルマザー、ごく一般的な視点を持つ女性です。そんな彼女と物理学者・露木にコンビを組ませた」
情緒に流されず、徹底的に論理で考え、行動する登場人物たち。核にしたものは?という問いに、鈴木さんは「自分」と即答した。宇宙と生命の不思議を物理的なアプローチで解明する道に乗り出そうと決意したが、論文に論理的な飛躍があると、異端の烙印を押された露木。バイタリティ漲る彼からは鈴木さんの姿が透けて見え、“大災厄”の恐怖は、彼がひもといていく科学的論理性を以て、読む者に迫ってくる。
「“ホラー”と聞くと、心霊現象とかグロテスクなものを思い浮かべる人も多いと思うけど、僕が書くホラーはそういったものとはまったく違う。最も精神的な恐怖は何かというと、ピタゴラスが味わった恐怖だと考えているんです。真偽のほどは定かではないけれど、無理数を発見したとき、彼は恐怖のあまり発狂したと言われている。それまでの数学では、数字とは収まるところに収まるものだと考えられていた。しかし無理数は小数点以下数字が永遠に続いていく。この作品では物理学、量子論の世界から、そうした恐怖を導き出していきました」
恵子と露木が大量変死の原因究明に奔走するなか、伝播していく死。徐々に明らかになる“大災厄”の正体。人間が生きることを許されるのは、天の意に沿うように動いているときだけ。二人は、解決への鍵を握ると見られる、かつて麻生と共に《ヴォイニッチ手稿》を研究していたという女性とその娘を探し始める……。
宇宙の意思が生物に
人間に望むものとは
「宇宙、太陽、地球、と確固たる地盤が揺るぎなくあるというのが一般的な物理の考え方。これは『エッジ』『ループ』でも言おうとしたことだけど、僕はそうは考えていない。そして生命が偶然生まれることなんて絶対にない。生命と物質は間違いなく相互作用をしていると考えているんです。作中でも書いている宇宙、地球生命、眼、言語の発生は同じメカニズムであると閃いた。それは15年ほど前に来たインスピレーション。言語の発生源を確認、分析できれば宇宙の始まりがわかる、ということになってくる」
クライマックスで解き放たれる“コトバ”というキーワード。怒濤の展開のなか、《その意味を把握したい》という欲のようなものが、自分の内側から込み上げてくる。
「常に考えているのは、“絶対的な善”ってなんだろう、どこにあるんだろうということ。人間に与えられた使命は、言葉を磨くこと。自然界というものが、どうして人間に言葉を与えたのか、そこに与えられた使命とは、“言葉をより良くしろ”ということではないかと。どういうことなのかと言うと、今、我々が生きている世界の諸法則をより正しい言葉で記述し、次世代に渡すことなのではないかと」
ではないかと」
ラストで目撃する驚愕の場面は、“大災厄”をもたらした太古の昔から“どこにでもいる”ものが人間に示唆してくれる思考――。
「宇宙は波でできているから変化は必ずやって来る。気温が高まるときもあれば低くなるときもある。揺らぎによって生命体は恒常性を維持することができる。宇宙の意思が生物に望むのは何かと言ったら、適応しろということ。地球生命40億年の歴史を見ても、生存を許された種が何をしたかと言えば適応しただけ。地球温暖化を抑える政策が推進されているけれど、変化することを当然と受け止め、うまく適応するやり方に変えなくちゃいけないと思うんです」
その考えは、自身が書く“ホラー”の根幹と繋がっている。
「僕が書こうとしているホラーは“人間賛歌”なんです。ヒステリックな環境保護は、人間は環境を破壊してきた悪い奴だ、という流れに繋がり反出生主義を助長しかねない。僕が最終的に謳いたいのは人間賛歌。これまで読んできたホラーとは確実に一線を画すものであり、読めばこれまでの固定観念が破壊される。その“破壊”が、素晴らしい読書体験をもたらすと僕は信じています」
プロフィール
鈴木光司(すずき・こうじ)
1957年、静岡県生まれ。90年、日本ファンタジーノベル大賞優秀賞となった『楽園』でデビュー。96年『らせん』で吉川英治文学新人賞を受賞。著作に『リング』『らせん』『ループ』、外伝である『バースデイ』のシリーズ、『エッジ』『アイズ』『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』など多数。
作品紹介
書 名:ユビキタス
著 者:鈴木 光司
発売日:2025年03月26日
東京都内で発生した連続変死事件。死因は「南極深層の氷」。さらに同様の変死事件が15年前、新興宗教団体の中で起きていた。そこには“世界最高レベルの暗号文書”《ヴォイニッチ手稿》の真実が深く関わり……。秩父さくら湖周辺の住民集団死、それを報道するテレビクルーと被害は拡大。天候をも掌中に入れた“大災厄”が東京湾を目指し、やって来る。興奮必至のホラーサスペンス。
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