プロデビューから負けなしの29連勝を記録し、その後も大物棋士を破るなど活躍を続ける藤井聡太四段。中学生で将棋のプロ棋士になった者は、藤井四段をはじめ、「ひふみん」こと加藤一二三九段、谷川浩司九段、羽生善治二冠、渡辺明竜王と史上わずか5人しかいない。その中の一人、谷川浩司九段が角川新書『中学生棋士』を刊行、たちまち重版となるなど話題となっている。小学生の頃の藤井四段と谷川九段の意外な接点や、藤井家への家庭訪問など、読みどころ満載の本書についてその執筆の動機などを聞いた。
予定変更で藤井四段の章を大幅に追加
――いつごろ『中学生棋士』を書こうと思い立たれたのでしょうか。
谷川:今年の4月ごろ、藤井聡太四段がデビュー以来10連勝をして、新人の連勝記録に並んだころでした。久しぶりに有望な中学生棋士が現れたので、彼を含め、過去5人の中学生棋士列伝のような内容にと思い、書き始めました。その中で私がこれまで歩んできた道を振り返り、書き記しておきたいという思いもありました。
――その時点では藤井四段の連勝がここまで伸びるとは予想してなかった?
谷川:もちろん。神谷広志八段の持っていた将棋界全体の連勝記録28を抜くとは想像すらしていませんでした。このため、ほぼ書き上げた後、彼についての章を増やすことになった。まあ、これは多くの将棋ファンも望むことだったと思いますが、藤井四段についての記述をぎりぎりまで更新したので、編集者にはずいぶんお手数をかけました。
――「藤井フィーバー」とも呼ばれた現象をどのように見ていましたか。
谷川:将棋界がこれほど注目されたのは、1996年に羽生さんが七冠を達成した時以来でしょう。その時、七冠目の王将位を奪われたのは誰かというと、実に悔しいことに私だったので(笑)、羽生フィーバーの凄さはよく覚えています。しかし、今回の藤井フィーバーはそれ以上でした。関心を持つ人の幅が広く、しかもその度合いが深い気がします。たとえば、幼いお子さんを持つ女性たちが強い関心を寄せていると感じました。「藤井少年はどういう指導・教育を受けてきたんだろう」「うちの子にも将棋を習わせてみようか」といった興味を持っていただいた。
――全国の将棋教室、道場の来場者も急増しているそうですね。
谷川:本当にありがたいことです。藤井四段が注目されたことで、これまで全国各地で地道に子どもらに将棋を教えてきたアマチュア指導者の方が、少しでも報われたとすれば、そのことが何よりも嬉しいと思っています。
才能とは情熱を失わず、鍛錬を続けること
――本書の取材では、藤井四段の自宅も訪れていますね。
谷川:たまたま7月に名古屋で詰将棋全国大会があったので、藤井四段の師匠の杉本昌隆七段にお願いし、自宅を訪問させてもらった。昔、米長邦雄永世棋聖が若手有望棋士の自宅を「ご両親に会ってみたい」などと言って訪ねて回ったことがあり、私の自宅に来られたこともある。そういうことも頭の隅にはありました。藤井四段宅は、祖母宅が隣にある三世代同居の家で、実に静かで落ち着いた環境の家という印象でした。何よりも安心したのは、本人に浮かれた様子はまったくなく、自分を客観視できていて、謙虚で淡々としていたことです。お母様の裕子さんが「家では普段と変わらない生活を送っている」と言っていたことにもほっとしました。私もそうでしたが、少なくとも家の中では、普通の中学生の少年に戻れることがいちばんだと思うので。
――藤井四段は小学校二年生の時に谷川さんと将棋を指しているんですね。
谷川:彼とは「旧知の仲」なんです(笑)。二枚落ち(飛車、角抜き)で指して、私がほぼ勝ちの将棋になった。指導時間切れになり「引き分けにしようか」と提案したら、彼が盤の上に覆い被さって、火が付いたように泣き出した。あんな激しい泣き方をする子は初めてだった。だから記憶にはっきり残っていました。その時の様子は本書に詳しく書きました。
――将棋の才能とは何かについても多くのエピソードを交えて書いていますね。
谷川:藤井四段のような棋士が登場すると「生まれ持った才能」ゆえと説明されることが多いんですが、果たしてそうなのかと考えたわけです。才能とは生まれつき備わっていて、開花が約束されているものではなく、情熱を失わず、鍛錬を続けることで初めて開花するのではないかと。「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、努力が苦にならず、鍛錬を蓄積できる人は、人が驚くような結果を生み出す。そして「天才」と呼ばれる。幼児期の環境が非常に重要なことは確かですが、生まれながらにして天才だったわけではないと思うんです。
――今後の藤井四段への期待について。
谷川:菅井竜也王位らトップ棋士と対局が付くようになってからは、完敗の将棋もいくつかありましたね。ただ、これは当然のことで、トップ棋士が軒並み新人に負かされるようでは困るし、彼のためにも立ちはだかる壁が何枚もなければだめでしょう。私も対局が付いたら全力で負かしに行きます(笑)。ただ、彼の最大の強みはまだ15歳であること。伸びしろが大きいことは間違いない。過去の中学生棋士の例に違わず、いずれトップ棋士に上り詰めるのは間違いないと思っています。あとは8大タイトルの少なくとも半数以上を独占し、確固とした自分の時代を築ける棋士になれるかどうか。「先輩中学生棋士」としては、そこに注目していきたいと思っています。