新書『江夏の21球』刊行を記念した「今こそ山際淳司を読み直す」。次々と飛び出す「鉄人」衣笠祥雄さんから見た山際さんと江夏さんのエピソード。野球に対して考えていることの方向性が合っていたからこそうまくやれていたという江夏さんと衣笠さんは、「江夏の21球」についてどんな感想を抱いたのでしょうか? そして、「江夏の21球」にも描かれていなかった優勝決定直後の江夏さんの言葉とは? 山際さんの子息である犬塚星司さんと、衣笠さんによる対談の後編です。
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野球のシステムが変わり、駆け引きの比重が軽くなった
犬塚: 江夏さんのノートのお話をうかがって、野球における駆け引きの大切さが身にしみました。
衣笠: 昔はそうだったよ。ピッチャーは中3日で先発しなくてはならなかったから、いかに1球で打たせるかということをずっと考えている。リリーフがいないときにできるだけ球数を少なくするために、どういう配球で投げたらこのバッターは手を出してくれるかが大切だった。少ない球で多くの人数をアウトにとる。それがピッチャーの究極だよ。今は違ってきたけれど。
犬塚: いつごろから駆け引きの比重が軽くなっていったんでしょう?
衣笠: ラクになってからだね。ピッチャーは1週間に1回しか投げなくてよくなったし、7回まで投げたら十分だとなった。先発ピッチャーが本当にしんどいのは7、8、9の3回。9回の最後にそこまでのプレーも全部背負っての一球を投げる……というプレッシャーがなくなったんだよね。 今のピッチャーは体は大きい。力もある。だけど厳しい勝負をやることで鍛えられていく部分が少なくなってきている。 もちろん、昔と反対で、せっかく勝っていた試合を他人のせいで落とすことはあるよね。そのつらさは持っていると思う。だけど僕が一緒にやっていたピッチャーたちが乗り越えてきた厳しさっていうのは、今のピッチャーにはない。仕方ないことだけれど。
犬塚: 野球の試合において、昔ほどは、思惑が交錯するドラマが生まれにくくなっていると衣笠さんは思っていますか?
衣笠: そういう時代だからね。アメリカからどんどん変化の流れがきて。選手を故障させないためのルールが強化されていった。コリジョン(衝突)ルールとかね。経営者にとっては、何億、何千万と払っている選手たちが故障して一瞬でプレーできなくなるのは本当に困る。選手側としてももちろんそう。当然の流れではあるんだけど、見ている側からすると、「これがプロの技術か」という場面がずいぶん減っていって、おもしろくない感じもするよね。
犬塚: 野球というスポーツの質が変わったと。
衣笠: 僕はその端境期にグラウンドに立っていたから、とくにそう思うのもあるかもしれない。僕らのときは、ピッチャーは「20勝して一人前、15勝はまだまだ。10勝? お前、顔洗ってから来いよ」って言われていたけど、今は10勝すれば一流だから。別に選手が悪いわけじゃなくて、システムが変わったからね。

野球の醍醐味は「人がやる」ということ
犬塚: 江夏さんとのいろいろな思い出をうかがったところで、「江夏の21球」自体に話を戻すんですが、「江夏の21球」は雑誌「Number」の創刊と同時に世に出ましたが、刊行されたときには読まれましたか?
衣笠: 僕はゲラを見せてもらっていない。江夏が読んでいて、それをちらっと見たんだとは思う。
犬塚: そのときの印象は覚えていますか?
衣笠: 僕は、山際さんは野球のことを知らないと思っているので、知らない人から見るとこう見えるのか、という感じで読んだよ。それが事実かどうかというのは、別。新鮮に読んだ。
犬塚: どんなふうに新鮮でしたか? 自分のことが他人に書かれていると、ちょっとむずがゆい部分もあったのかなと思うんですが。
衣笠: でも僕らの世界は、たいがいそんな世界だからね。僕がグラウンドで何かをするのを、いろんな角度で好き勝手にモノを書いている人がまわりにいて、入団からずーっと付き合ってるもの。
犬塚: たしかに。
衣笠: ただし山際淳司という人のモノの見方には、そのなかでも新鮮さがあったんだよ。「なんでこんな書き方ができるの?」って。本人に聞きはしなかったけれど、アメリカで1週間ほど一緒にいたら納得したな。
犬塚: 「野球の『故郷』を旅する」のときですね。山際から観察された?
衣笠: うん、じーっと見られていたよ。
犬塚: (笑)。
衣笠: 記者さんたちとは全く違ったよね。ただ、作家というと、一つの部分を掘り下げていくようなイメージがあるんだけど、山際さんはとにかくあらゆる角度で切ってくる。まあ、しつこい人だと思った。
犬塚: 一緒にした会話とかは覚えていますか?
衣笠: フットボールの話をしたり、野球の話をしたり。ちょうどスーパーボウルを見に行ったからね。山際さんはフットボールとかアイスホッケーとかいろいろなスポーツに興味あるみたいで、そのなかで野球も心に引っかかった一つだったんだなと感じた。それで、いろんなものを見ていたら、ポンと江夏が出てきて、あのシーンにとらわれたんだろうな。本当は、どうして「江夏の21球」を書いたかまで聞きたかったんだけど。しゃべらんかったね。
犬塚: そこは、衣笠さんも気になっていたところだったんですか。
衣笠: そう。でも山際さんは、野球は「人」がやるというところをやっと見つけてくれたんだなあと思う。野球をやると、人は変わるんだよ。のめり込めばのめり込むほど、人が変わらざるをえないんだよね。
犬塚: それはやはり衣笠さんや江夏さんのように、考えて、すごく観察をして、駆け引きをしながらプレーするからということですよね。
衣笠: うん。先輩にいろいろ教えてもらって、変わっていく。僕の野球に関して言うと、中学から高校時代に、キャッチャーをやっていたのがよかった。
犬塚: 全体を見るくせがついた?
衣笠: そう。キャッチャーをやったからこそ、グラウンド全体を見ることができるようになった。今でも、解説席に座って野球の話をさせてもらっているときに、頭の中で何を基準に話しているかといえば、キャッチャー。一塁手でもなければ三塁手でもない。キャッチャーから見た野球で、このチームだったらここをこう動かしておいた方が次の準備がラクだよなとか、そういう話をする。僕はプロに入ってから2年半でキャッチャーをクビになったけど(笑)。
犬塚: 原点としてはずっとあると。

すべてを飲み込んで糧にするのがキャッチャー
衣笠: まあ、キャッチャーの一番の仕事は、いかにピッチャーを助けてやるかなんだけどね。その日のピッチャーのコンディションを見て、どうすればこいつが今日一番いいピッチングができるかをまず頭で考えないといけない。その技術があるかどうかが大きい。 あとはね、いかにピッチャーをおだてるかよ。ピッチャーには怒っちゃだめ。おだてなきゃだめなの。もうとにかく気持ちよく投げてもらったら、こっちのものだから。
犬塚: 野村克也さんも、キャッチャーからの視点で試合を見ることの大切さを語られていますね。
衣笠: そう。あの人のキャッチャー論というのはやっぱりおもしろい。僕がノムさんを本当にすごいなと思うのは、自分の経験をすべて生かしていることだよね。トレードなんかでいろいろ腹が立つこともあったろうけど、全部自分のなかにしまいこんでいる。 キャッチャーは5年かかります、3年間、叱られ、怒られながら教えてもらい、次の2年で試してみて、やっとキャッチャーらしくなります。
犬塚: 忍耐が必要なんですね。
衣笠: それをノムさんは見事にやった。「野村再生工場」なんて言われるけれど、それはノムさん自身が南海からトレードされたときにどの言葉があったかく響いたか、どの言葉が冷たかったかなんてことを全部覚えているからできることなんだよ。今回移籍してきたこの子が今どの言葉を欲しがっているか。ノムさんには、じーっと見ていたら見えるんだ。難しいことは何にもしてなくて、自分の経験したことをしているだけ。やっぱりノムさんを見ていると、キャッチャーだね。頭がいいし文句を言わない。表立ってワーっと言うのはピッチャーだね。金さん(金田正一)とか(笑)。
犬塚: (笑)。
衣笠: キャッチャーは自分の中に全部ひきいれて、泥沼みたいな心の中で、ぐつぐつぐつぐつ炊き込んで。そこからちょっとずつ出していくんだね。
なぜ江夏はスクイズを外せたのか
犬塚: 「江夏の21球」のハイライトの部分というのは、やはり19球目で近鉄が仕掛けてきたスクイズを江夏さんが外した場面だと思っているんですが。
衣笠: うん、そうね。いろんなことを言うけど、僕は江夏が自分で外したに違いないと思っている。
犬塚: 外しましたか。
衣笠: あいつはそれくらいのバランス感覚を持っているから。まあ周りの人は、人と違うこと言わないと、仕事にならないからねえ。
犬塚: (笑)。
衣笠: もちろん真実は一つしかない。実際に見ていた僕がそう思うんだから、間違いなく外していますよ。僕はあのボールを捕った水沼を評価している。よく捕った。打者にバントされないように、外を回ってきたのを捕ったわけでしょう。キャッチャーにとってはものすごく難しかったはず。ただ、江夏のカーブは曲がらんからよかった(笑)。あれが大きく曲がってごらんよ。
犬塚: 捕れなかったでしょうね。
衣笠: 間違いなくパスボール(捕逸)。水沼はよく捕ったといまだに思うね。江夏もよく外したものだけど。あいつはね、球を投げるために足を出したときの、左右のバランスがものすごくいいんだよ。投げる形に足を踏み出したら、普通は変えられない。江夏は、外れていても水沼が捕れる範囲がわかっていて、外したんだよ。
犬塚: 試合のなかで衣笠さんは、江夏さんのいるマウンドに行かれました。あれは衣笠さんとしても、ここで一声かけなきゃいけないって思ったんでしょうか。
衣笠: そう。
犬塚: ゲームの中で、江夏さんがちょっと苛立っているな……なんて感じ取っていたわけですか。
衣笠: そうだね。長いこと見てりゃ表情ぐらい読めるでしょう。一緒に仕事している人の気分が悪いときにはさ。目の置き場も表情もパッと変わったから、わかったんだよ。

江夏さんのフォームを真似る衣笠さん
「江夏の21球」のあとに、江夏が言ったこと
犬塚: 「江夏の21球」が出たあとに、書いてあることについて江夏さんと話をされましたか?
衣笠: 何度か話したかな。「よくこの角度から見たよな」という感想を最初に言ったけれど、それは江夏が言ったんだよ。僕はあんまり本を読まない人間だけど、あいつはすごく本が好きで。時代小説から、何から何でも読みますから。 その江夏が「よくこの角度から見たな」と言ったわけだから、最高の褒め言葉だったと思うよ。あいつは、たいがいはそんな言い方をしないから。ときどき気に入った本があると「おい、これおもしろいから読めよ」って持ってきていたけどね。
犬塚: 江夏さんとしても、あまり人に話さないつもりでいたことを引き出されたという思いがあったんですかね?
衣笠: あったと思うよ。しゃべってもわからないだろうと本人が思っていたからこそ、長いことしゃべらなかったんだろうし。でも山際さんが離れずにいろいろなところから見てきて、何かのタイミングで響く言葉があって、それでしゃべる気になったと思うよ。
犬塚: 鍵が開く瞬間があった?
衣笠: あったんだと思う。
犬塚: 試合が終わったあと、江夏さんは、古葉監督の采配について、選手としても個人としても怒りや葛藤を感じていて、なかなかそれを言えなかったということでしょうか。
衣笠: まあ言うべきじゃないでしょ。大人だからね。お互いそれからも一緒に仕事をしているし。ただ、僕の立場から言えば、あのときの古葉さんと江夏は両方とも正しかった。古葉さんが十回の準備をしたのは、間違ったことではない。
犬塚: 監督として、正しいですね。
衣笠: そして、あそこで怒った江夏も正しい。あそこで江夏が「なんだ、交代か~」と気を緩めていたら、やられていた。
犬塚: 江夏さんがそれをガソリンにできたからこそ、実現した勝利だった。
衣笠: そう。マウンドに行ったら、江夏が言ってきたんだよ。「おい、俺のあとにピッチャーが出てきたの、お前、知っとるか?」って。「何の話や?」と返したら、「ブルペンに人がおるやないかい」ってね。「お前、それ、気にしてんの?」と思ったよ。「俺のあとにピッチャーが出てきたことなんてないだろう」「それじゃあ、打たれて負けりゃええじゃないか」なんてね。
犬塚: え、そんな会話もあったんですか?
衣笠: 本当にはそこまで言ってないですよ。だいたいの話。僕はどうしても勝ちたかったら、そのためにどうにかしたかった。1975年に負けていますからね。江夏を冷静にしないと勝てないと思った。いい状態にしなくていい、ふつうにするために声をかけた。
犬塚: はい。
衣笠: 負ける経験は75年にしているから、今度は日本一になる経験をしたかった。僕は、それだけだったよ。日本一っていうのは、なってみないとわからないことだからね。
犬塚: 「江夏の21球」は、「その直後、江夏はベンチに戻り、うずくまって涙を流したという」という一文で終わりますが、衣笠さんはその後、江夏さんに声をかけましたか?
衣笠: 話したよ。江夏は「おい、俺は来年何すりゃええんだろう」って言っていた。
犬塚: そうなんですか(笑)。勝っちゃったから何をすればいいかわからないと?
衣笠: うん(笑)。
犬塚: 勝ったのを喜ぶよりもそっちを考えているんですね。
衣笠: 「お前な、一年は誰でも勝てる。もう一年勝つことだよ」と言うたら、「そうか~」言うてたね。それが、あの大阪球場の最後。それで、バスに乗った。
犬塚: へえ……。
衣笠: これは知らんかったでしょ。
犬塚: 本当に良い話をたくさんうかがえました。お会いできてうれしかったです。
衣笠: いやいや、こちらこそ。
(おわり)