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特集

【『江夏の21球』対談 重松清 前編】山際淳司は「かっこよかった」

撮影:阿部 岳人 

「江夏の21球」で鮮烈なデビューを飾り、のちのスポーツジャーナリズムと書き手に大きな影響を与えながらも早世した作家・山際淳司。その野球短編を新編集した新書『江夏の21球』刊行を記念して、山際さんの息子の犬塚星司さんがゆかりのある人々に話を聞く企画「『江夏の21球』対談――今こそ山際淳司を読み直す」。今回は、スポーツノンフィクションにも造詣の深い直木賞作家の重松清さんがゲストです。

新しいジャーナリズムが生まれた1980年

犬塚: お時間をいただき、ありがとうございます。重松さんはご自身もライターとして活動されていた経歴があり、著書の『スポーツを「読む」』(集英社新書)でも真っ先に山際淳司について書いてくださっていました。この機会にぜひお話をうかがいたいと思いまして。

重松: まさに、僕は当時読者として山際淳司に憧れていた世代です。「山際チルドレン」といってもいいくらいですね。僕、山際さんに1回だけインタビューしたこともあるんです。麹町に事務所がありましたよね。

犬塚: そうですね、日テレの横に。

重松: 大理石の床の、立派なマンションにうかがったことを覚えています。ライターと言えば神保町や四谷三丁目に生息している時代でしたから、かっこよく感じました。アサヒスーパードライのCMにも出ていた記憶があります。

犬塚: 90年代に入ってからですね。

重松: 新刊の取材でお邪魔したんですよ。たしか「エル・ジャポン」でのインタビューでした。もう「あの山際さん」というのがファッション誌的にも確立していた頃です。

犬塚: 今回の表題作でもある「江夏の21球」が掲載された「Number」創刊時のことは覚えていますか?

重松: もちろん。創刊号の表紙に「Nubmer1」と書いてありました。最初はてっきり「ナンバーワン」という雑誌かと思ったことをよく覚えています。そうしたら次の号に「Number2」と書いてあって、雑誌のタイトルは「Number」なんだと気付いたんですよ。

犬塚: 重松さんは当時おいくつでしたか?

重松: 高校2~3年生のときですね。空山基(そらやま・はじめ)さんが表紙イラストを描いていて、それまでのスポーツ雑誌とは全然違う空気をまとっていました。

犬塚: AIBOのデザインなどでも知られる方ですね。そうだ、メタリックな質感の女性のイラストでした。

「Number」創刊号の写真。協力:「Number」編集部

重松: 82年に公開された、映画「ブレードランナー」にもつながる雰囲気がありましたね。「週刊ベースボール」のような雑誌とはまったく違う文脈で、グラビアのかっこよさが重視されていた時代です。当時の20代男性に読まれていた「GORO」(74年創刊、92年廃刊)や「月刊プレイボーイ」のノリを継いでいたと思います。だから読み手だった僕たちも「Number」のことをビジュアル雑誌として受け入れていたんですよ。  でも、「Number」を語るときに、カメラマンよりもライターの話をするでしょう? ビジュアル雑誌であったにもかかわらず、結果的に書き手が育っていったんです。

犬塚: その一人が山際淳司だったと。

重松: そう。既存のスポーツ業界、スポーツ雑誌ではないところから出てきたというのは、山際さんを語るうえでのポイントだと思います。新しい雑誌だからこそ新しい書き手として世に出られて、新しい読者も連れてきた。   山際さんが「Number」から出て、その前に毎日新聞社の経済誌である「エコノミスト」から出てきた沢木耕太郎さんがいて、ライターのイメージはまったく変わったものになりました。それまでは「ライター=事情通」でした。夜の世界でゆすりたかりをやって事件を追いかけて、松本清張のサスペンスで真っ先に死んじゃうようなイメージが本当にあったんです。  そのイメージが全く変わったのが80年代。銀座の夜を知る必要はなくなり、アクティブに社会を駆けまわるジャーナリズムが活発になりました。山際さんも「動く人」という印象でした。雑誌が一番盛り上がっているところに、団塊の世代が書き手として流れ込んで、新しいジャーナリズムを生み、「フリー」でいることにかっこよさがともなうようになったんです。まあ、就職難もあったんでしょうけれども。

犬塚: 山際は、ちょうど大学が学生紛争でぐちゃぐちゃしている頃の人間でした。

生前の山際淳司さん。提供:犬塚星司

「古い」業界に迫ったからこそ生まれた「新しさ」

重松: 今回新書におさめられた文章を改めて読んで思ったんですが、プロ野球の世界には、既得権益が山ほどあるでしょう。

犬塚: 取材をするにしてもいろいろしがらみがあると聞きます。

重松: 「○○を取材するなら××さんを通さないと」というようなことが実際にあるという世界。そんな、旧来のメディアとずぶずぶの球界文化のなかに、若きライターが迫っていって、しかも広島カープというローカル球団の、あの江夏豊という投手を取材した。言ってみれば、ある種の既得権益のど真ん中に入り込んだんですよね。新しい媒体だからといって、新しいスポーツの無名の選手に行くのなら、当たり前なんですよ。でも、そうではないことをした。

犬塚: あえてオールドなところに挑んでいったということですね。

重松: そこがまさに山際さんを「動く人」として語りたいゆえんです。行った山際さんもすごいし、行かせた「Number」もすごい。新しさって、完全に新しいことをやっても意味がないんです。古い枠組みに挑みながらやらないと、「前衛」になってしまう。メジャーにはなれないんです。  加えて山際さんのすごいところは、既存の球界に挑んだ点だけでなく、文藝春秋でそれをやったことです。  今でこそ文藝春秋には他の若い雑誌もありますが、「Number」ができたときには文学誌をのぞくと「文藝春秋」と「週刊文春」ぐらいしかありませんでした。そこで「江夏の21球」が掲載され、「古い革袋に新しい酒をぶち込むとこんなにうまい」というのを教えてくれたんですよ。文藝春秋が培ってきた「読ませる」文化に、「見せる」文化を見事に融合させた。

犬塚: オールドな出版社の新しいビジュアル雑誌だったからこそ、カメラマンではなく書き手のほうが育つ素地があったんですね。

マンガ・ビジュアルネイティブ世代の読み手が求めたもの

重松: そして、読み手のほうも新しいものを求めていたんです。日本人の人口の半分が戦後生まれになったのが、「Number」創刊の5年前の1975年。1975年の戦後生まれというのは、つまり30歳以下。彼らは当時スポーツに夢中で、しかもマンガやビジュアルのネイティブとして育ってきていました。その「マンガ・ビジュアルネイティブ」の世代が雑誌に求めていたのが新しいフォントとデザイン。「Number」はその点でも画期的でした。  「Number」についてもっと掘り下げるなら、デザイナーにも話を聞く必要があるでしょうね。「Number」が創刊したのは、レイアウトというものが重要になりだした時代でもあるんです。全体デザインがこういうふうになって、ここに中見出しが入るから文章をここで切って……というのを、いまは当たり前にやっていますけど、昔は原稿が先にあって適当に割り付けていましたから。

犬塚: 写真を大事にするようになると、必然的にレイアウトの地位が上がってきたわけですね。

重松: それに、活版印刷から写植に移行して、基本の文字に明朝体を使わない雑誌も増えてきました。

犬塚: ゴシック体を多用しはじめたと。

重松: そう。「Number」は完全に写植で作られましたから。マガジンハウスの雑誌は、ずっとそうだったんですけどね。「Number」との距離は「BRUTUS」のほうが「週刊文春」よりも近い。加えて言えば「週刊ベースボール」より「BRUTUS」に近かったと思います。

犬塚: あの時代の「BRUTUS」にも、ノンフィクションライターの方が結構書かれていたそうですね。

重松: 少し遅れて新潮社の「FOCUS」もやってきて、これまた写真ジャーナリズムを切り拓きました。そして大事なのは、どの雑誌の書き手も若者向け雑誌のアンカーマンから出てきたということなんです。先ほど触れましたが沢木さんもそうですね。その前は、朝日新聞出身の本多勝一、読売新聞の本田靖春、NHKの柳田邦男、文藝春秋の立花隆……という風に、大手メディアからのドロップアウトコースが多かったんですよ。もしくは週刊誌の傭兵部隊としての梶山季之、大宅壮一的なトップ屋軍団。

犬塚: 当時のさまざまな変化が起きているなかで、山際が支持されたのはなぜだと思いますか?

重松: 山際さんが画期的だったのは「視点の変化」でしたね。83年に「江夏の21球」がNHK特集になったでしょう。山際さんの文章というのは、カメラがどんどん切り替わっていくんです。すごく映像的、ドキュメンタリー的な書き方。パーンと全体を見渡してから、このとき古葉(監督)は、サードベースは、衣笠は……と視点が移り替わっていく。ディレクターがそのまま使いたくなるのがとてもよくわかります。  いわゆるスポ根ものの文脈でいったら、江夏豊だけの視点で十分。一匹狼の江夏豊を書けばよかったんです。けれども「古葉から見れば」「衣笠から見れば」……というのも含めて書いたのが山際さん。ワンカメではないんです。ワンカメでないということは、速報記事ではできないという意味を持ちます。

犬塚: リアルタイムでなく、後追いになる。

重松: そう。スポーツ新聞ではそういうことはできません。山際さんは、終わって結果が出たあとに事実を再構成して、スコアブックだけ見ればひとつの事実しかないところにいろいろな角度で光を当てて、違う見せ方をしてみせたんです。「マルチカメラで追うおもしろさ」を文章で見せたのが、山際さんの大きな功績だと思います。

山際淳司の文体は「独自なんだけど独特じゃない」

重松: それでいて、山際さんの文体は、「独自なんだけど独特じゃない」。文体にすごくアクがある人っていますよね。「これはこの人じゃないと書けない」というような。

犬塚: はい。

重松: でも山際さんの文体は、真似しやすい。厳密に言えば真似できるものではないんですが……「真似したくなると思わせる」というとわかりやすいかもしれません。  文体というのはなにも文学や芸術だけにあるわけではなくて、ノンフィクションにも「語り口」というかたちで存在します。僕にとっては、「Number」の文体をつくったのは山際さんなんです。

犬塚: 「Number」の若い書き手が山際のエピゴーネン(模倣者)だと揶揄されることがあったという話を『スポーツを「読む」』のなかで書かれていましたね。

重松: 普遍的だからこそ、エピゴーネンを呼びよせてしまうんですよね。初期の村上春樹さんの文体もそう。小説の新人賞の下読みをやっていると、本当に村上春樹ばかりで「そういうことだ。」とやたら書いてあったり(笑)。

犬塚: (笑)

重松: 村上さんの話で思い出したんですが、ちょうどあの頃、算用数字を使って文章を書くというのが受け入れられてきたんです。それまでは漢数字じゃないと文学っぽくないという風潮がありました。  僕は「早稲田文学」にいましたけど、そこで算用数字を使った原稿が来ていたらまず直していたでしょう。文芸誌以外で掲載されている商品の値段表記もほとんど漢数字だったんです。でも、村上さんはたとえば、「そのとき僕は千百二十九本目のタバコを吸っていた」ではなく、「そのとき僕は1129本目のタバコを吸っていた」というように書く。村上さんの初期作品の章タイトルで数字が全部漢数字になっていたら、全然違う印象だったと思います。

犬塚: それが山際にも言えると。

重松: ほら、「背番号26」が「背番号二十六」だったらもう全然印象が違う。やっぱり「21球」も「二十一球」じゃなくて「21球」でしょ? そういうところも、みんなが真似したくなったところじゃないでしょうか。

犬塚: 数字をどう統一するかについても結構話をしまして、最終的に「今山際が生きていたらほとんど洋数字で書いたんじゃないか」ということで、今回の新書は基本的に洋数字に統一しました。

重松: 文体には時代性があるんですよね。彼らの文体が時代でくくられるのは、読み手だった僕たちが彼らの文体を自分のなかに取り込もうとしたからということもありました。当時のミニコミを読むと、冗談でなく、みんな村上春樹と山際淳司と沢木耕太郎です。結局、80年代の村上春樹を読み返す恥ずかしさは、80年代の自分を見る恥ずかしさとも言えます。  その中でも山際さんの文章には、教訓はあっても説教がなかったことが、支持された理由だと思います。「江夏の21球」って、よけいなことは何一つ書いてないんですよ。あくまであったこと――タイトルそのままで、「江夏の21球」のことしか伝えていない。それでもディティールをしっかり語ることで、読んだ僕たちが何かを得て、だんだん人生を語りたくなる。

犬塚: はい。

重松: 本当にハードボイルド。何一つ足してない。「江夏の21球」のラストなんか、ハードボイルド短編のラストと言ってもいい。「うずくまって涙を流したという」。「流した」で止めずに「流したという」で終えているのも含めて、本当にかっこいいでしょう。

犬塚: 憎いですよね。

重松: 憎いですよ、本当に。

(つづく)


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