対談 「本の旅人」2017年8月号)より

【『暗闇のアリア』刊行記念対談】真保裕一×津田大介
撮影:ホンゴ ユウジ 構成:門賀 美央子
数々のベストセラーを生み出してきた真保裕一さんの最新作のテーマは「暗殺者」。
現代社会の暗部を背景にしたこの作品の刊行を記念して、ジャーナリスト・津田大介さんとの対談が実現しました。
小説と現実の世界との接点や創作上の秘密など、お二人に語っていただきました。
圧倒的な現実感と
物語の愉楽と
津田: 『暗闇のアリア』、一足早く読ませてもらいました。大変おもしろかったです。
真保: ありがとうございます。
津田: 実は僕、さほど小説を読む人間ではないのですが、本書のような群像劇、しかも現実世界をリアリスティックに書いたものはとても好みなんですよ。
真保: それはやはり、ジャーナリストという仕事柄ゆえですか?
津田: もちろん、それはあると思います。この物語も圧倒的な現実感に惹かれました。少し前に文化庁の文化審議会委員をした関係で、官僚というものがどういうふうに動き、話すものか目の当たりにしたものですから、本書に登場する警察官僚のリアリティには感服いたしました。霞が関の役人のなかでも、警察官僚は最もガードが堅いと思うのですが、相当取材を重ねられたのですか?
真保: もちろん取材はしています。実際に会って話を聞くこともありますが、今は元警察官僚や元警察官といった人たちが書いた回顧録もたくさん出ています。そうしたものをかなり参考にしました。
津田: 素材はノンフィクションから得ることも多いのですね。
真保: でも、最終的にはやはり想像力がものをいいます。確かに霞が関は特殊な世界ではあるのでしょうが、人間自体はさほど変わらない気もします。一般の会社のなかにもいろんな人がいますから。
津田: 今回の物語は伏線が縦横に張り巡らされていて、それが後半鮮やかに解きほぐされていくという流れが爽快でした。読者としては非常によい読書ができるわけですが、ここまでストーリーが複雑になってくると、書き手は考える段階からすでに大変そうですね。
真保: 物語のプロットを立て、話をどんどん膨らませていく段階では大変さは感じないですね。むしろ、話を作るのが楽しいんですよ。それを文字に落として表現していくのは、ご指摘の通り大変な作業ですが。
津田: つまり、真保さんはお話作りがとにかく好きだ、と。
真保: そうです。子どもの頃から、物語を考えるのが好きでした。
津田: だから、最初はアニメ制作の世界に進まれたのですね?
真保: はい。ただ、手を痛めてしまったので作画の道は早々に諦めました。
津田: アニメーターから脚本などの仕事に移って、さらに漫画原作も手がけられていますよね。でも、結果としては小説家を選ばれた。いろいろな表現形式を経験したなかで、最終的に「小説」という形に行き着いたのはどうしてですか?
真保: それはひとえに、小説ならすべてが自分一人で完結するからです。アニメにせよ漫画にせよ、基本は共同作業です。集団で、みんなが意思統一をはかってやっていかないと駄目。つまり、自分のやりたいことはあまり反映できないし、やるなら説得して回らなければなりません。そのおもしろさもあるけれども、ストレスもあります。
津田: 説得する時間や労力をかけるくらいなら、自分でやったほうがいいと。
真保: そうなんですよ。
津田: 逆に、ひとりでコツコツやるのは苦にならないのですか?
真保: まったく。むしろ楽しくて仕方ないです。
津田: なるほど。小説家になるべくしてなられたという感じですね。
複雑に絡み合う謎が
物語を豊かに
津田: 本作では犯人の手口は早々に明かされますし、身元も中盤で明らかになる。そこで終わっても成立しそうですが、実際にはそこからが本番といった構成になっています。そして、登場人物も多彩です。夫を失ったジャーナリストと事件の再調査に執念を燃やす刑事を中心に、官僚、政治家、国連職員といったエリートから、ヤクザや町の落ちこぼれまで幅広い層の人間が出てきて、それぞれの役割を果たしていく。本当にスケールの大きい物語ですよね。
真保: なんでもかんでもぶち込みましたから。そのなかでおもしろいものを作るのが、小説家としての腕の見せ所なので。
津田: 四章から五章にかけての、犯人の背中はもう見えているのになかなか居場所にたどり着けないもどかしさといい、すでに解決済みであるはずの謎の奥に、さらに秘められた真実があったと知らされた時の驚愕といい、こういう楽しみ方は小説でなければできないなあと思いました。それにしてもこの犯人、殺す人間の数が尋常ではないのですが……。
真保: ええ、尋常じゃない(笑)。
津田: しかも、人を殺すという行為に対して抵抗や葛藤を感じないようですし、とんでもないモンスターですよ。ただ、犯人がなぜそうなったのか、実に周到に背景を用意しておられる。それがどういうものであるかはネタばれになるので言及しませんが、現代社会を強く反映するものであることに感銘を受けました。それに、ある意味においては、最後まで読んでも犯人がモンスターになった真の原因は明かされていないのですよね。それが、曰く言い難い読後の余韻を生んでいます。
真保: 今回の作品に関しては、犯人の存在そのものが最大の謎といえます。身元や動機はもちろん、「最後に何をしようとしているのか」が大きな謎になってくる。ラスト近くになってその答えに行き着けば、犯人の真の動機が理解できるはずです。
津田: 後半、犯人がなぜ殺人者になったのかが解き明かされていくなかで、いろいろと複雑な思いが胸に迫ってきて、「人間って何なのだろう」とすごく考えさせられました。同時に、これほど重厚な物語はどういう発想から生まれるのかとても興味を持ったのですが、海外の紛争と日本の自殺を組み合わせるという発想は最初からあったのですか?
真保: そうですね。特に、自殺の件は外せないポイントでした。
津田: 日本は自殺者が多いですからね。ピーク時の年間三万人超よりも減ったとはいえ、今も年間二万人台が続いています。しかも、死因や動機が不明のものがすごく多い。
真保: あと、身元不明の遺体も多いんですよね。そのあたりの情報を元に長年練っていた構想だったので、当初考えていたストーリーからはずいぶん変わりました。あまり長過ぎるのも、と思って削った部分が相当あります。
津田: 長い話ではありますが、可読性が無茶苦茶高いですね。新聞の連載小説みたいに短いタームで次々と見せ場がくるし、登場人物すべてにきっちりと役割やキャラクターが与えられているので、長篇小説にありがちな「あれ、これって誰だったっけ?」というのもなかったです。現実社会との乖離もなく、それも読みやすさにつながっていますね。
真保: 今の社会のなかに生きて、動いている人物を書くと、どうしても時事ネタや現実社会の実相が入ってきます。だからといって、それらの情報をただ情報として書き連ねるばかりの小説にならないように、人物の動きや会話で伝わるようにと気をつけています。
24時間、考え続ける
津田: それにしても、これだけ緻密に作っていくと、ディテールが相互に矛盾をきたす、なんてことも出てきますよね。
真保: しょっちゅうですよ。そういう時は徹底的に考え抜くだけです。それしか打開策はないですから。
津田: アイデアが出てこなくて悩むことはありますか?
真保: それもしょっちゅうです。無理なく整合性をつける方法を探して、本当に24時間考えています。お風呂で気づいて、慌てて裸のまま飛び出してメモをしに行ったり。
津田: アルキメデスみたいだ(笑)。
真保: 寝ていたらふと目が覚めて、その瞬間に解決策が見つかるなんてこともあります。
津田: リラックスしていようが寝ていようが、脳のどこかがアイデアを求めて考え続けているということなのでしょうね。
真保: そうだと思います。
津田: では、出てきたアイデアの善し悪しの判断がつかなかった場合はどうするのですか?
真保: まず、妻に相談します。
津田: それはいい話です!
真保: 原稿を渡すときっちりチェックが入って返ってきますから、そこから論争が起きるんです。「あなたはここにこんなチェックを入れているけれども、僕はそう思って書いたんじゃない」「でも、この書き方だと、こういうふうにしか読めない」といった具合に。家に担当編集者がいるようなものですから、大変なんですけど(笑)。
津田: いや、いいことじゃないですか。でも、それだと奥様に読まれたくないシーンなどはどうするのですか? たとえば今作だと、男が浮気相手との連絡用に使っていた携帯電話を、妻の目から隠すためにやっていたあらゆる工夫のくだりですとか。
真保: 僕はすべてをしっかり妻に握られているので大丈夫です(笑)。むしろ、自分たちの昔の出来事を使ったりすることもありますよ。ある作品のあるシーンに、実際にあったエピソードを使った、とかね。
津田: それが何かは奥様にしかわからない、と。
真保: わからない。まあ、個人的な趣味のようなものですが。
津田: 最後の最後に、誰も知らない創作の秘密に迫れてよかったです(笑)。