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レビュー

科学に興味をもつ一般読者向けに編まれた、『柿の種』と双璧をなす寺田寅彦の代表作を初文庫化!――寺田寅彦『万華鏡』文庫巻末解説

寺田寅彦『万華鏡』(角川ソフィア文庫)発売!全 卓樹先生の解説を特別公開

『銀河の片隅で科学夜話』で第3回八重洲本大賞・第40回寺田寅彦記念賞を受賞されました、全 卓樹先生の文庫解説を特別公開します!

寺田寅彦『万華鏡



寺田寅彦の随筆

解説
全 卓樹(高知工科大学教授)

(1)
 文をよくする科学者は時々見かける。科学にうんちくの深い文学者に出逢うこともまれにある。しかし科学史と文学史の両方に名を残すほどの人物は真のしよう種である。
 寺田寅彦がそのような稀な存在であった理由は二つ考えられる。
 一つはやはり彼の生きた場所と時代である。万能人が現れるのは、物事がいまだ定まらず全てが単純でごうな創業期である。寅彦が生きたのは、東亜の古い諸文明が西洋近代の衝撃に軒並みひざを屈する中、それを吸収消化した明治日本が、政治軍事に次いで文化においてもようやく再興を成し遂げた時代であった。文化の再興は一様ではなく、そうせきはくしゆうりゆうすけさくろうの峰々が文芸世界に興るのを見てのち、純粋科学の世界にかわともながさかの高峰がそびえ立つまでには十年以上の時差があった。寅彦の姿はまさにそのかんげききつりつしている。
 いま一つの理由、時間と場所の偶発事情を超えたより深い本質的な理由は、寅彦の中で科学と文芸が一つながりの全体であったことである。この全体が高みに達したとき、彼の科学と文芸とは相伴って時と場を超えた永続性を得たのである。文学界の主流がモデルニスム、シュルレアリスムといった新潮流に染め上げられる中、古式で典雅な文体を守った寅彦の諸編。百年後のいまも読み続けられるのが、前者よりもむしろ後者であるのは、寅彦の書き物に看取される精神の広がりとほうじようさのためであろう。
 寅彦文学の中核をなすのは言うまでもなく随筆である。彼はもっぱら随筆のみを書いた作家だったと極言することさえできる。しかしその随筆の多彩さはどうだろう。そこには科学に疎い一般読者をけいもうする、いまで言う科学コミュニケーションの古典「物質とエネルギー」、「天災と国防」、「アインシュタイン」がある。社会の中の科学の役割に思いを巡らせ、その後の科学技術社会論の先駆けともなった「学問の自由」や「科学上の骨董趣味と温故知新」がある。幼年時代からの海への始原的なおそれをつづって死の影がさす「海水浴」があるかと思えば、軽快なかいぎやくが微笑を誘う「耳と目」や「電車と風呂」、「珈琲哲学序説」がある。せいしようごんや漱石の伝統に連なる随想「まじょりか皿」や「写生紀行」もあれば、フランスの古典、ディドロの『ダランベールの夢』の奇想をほう彿ふつとさせる「金米糖」もある。科学界の新発見から絵画芸術の新傾向まで、郷里高知の様子から東京の情景まで、我々は詩人科学者寅彦の目を通して、明治後期から昭和初期の日本という、いまでは永遠に失われた時と場所を、まるで現前にあるかのように幻視できるのだ。

(2)
 中でもとりわけ注目に値する一編に、寅彦独自の文芸理論が展開された「科学と文学」がある。そこでは「科学と文学の総合的営みとしての随筆」という、彼の文芸哲学の明確な言語化を見出すことができる。いかにも科学者らしく、意識的で筋道のたった方法論をもって随筆の執筆に臨む寅彦の姿が、ここから浮かび上がってくる。
 寅彦が依拠するのは自然主義的な文化観である。芸術が追求する美、文学的真実といったものは、決して説明不可能な超越的絶対的価値ではない。それらは生物としての人間共通の感性に基づいた、究極的には人間に有用な概念として理解できるはずである。寅彦はこう強調する。空想的幻想的な作品であっても、それが人々に感動を与えるものであれば、合理的に理解できる心の機能に沿ったもの、未だ解明されていない人間精神の法則にかなうものであるはずだ。
 美的感覚も人の心の作用であって、その心はやはり自然科学的な法則のもとにある以上、詩や小説はその法則の実験的な探究だと考えられる。めいせきで理性的なアプローチによって、ものに即して世界を表現することで美に到達できるはずである。ものや事象の中に本来潜んでいるが、複雑すぎて見えなくなっている秩序や調和を見出して、それを表に導いてやること。科学も文芸もこのような共通点を持った精神の営みであるはずだ、というのが寅彦の信念であった。

《調律師の職業の一つの特徴として、それが尊い職業であるゆえんは、その仕事の上に少しの「我」を持ち出さない事である。音と音とは元来調和すべき自然の方則をもっている、調律師はただそれが調和するところまで手をかして導くに過ぎない。
 いわゆるえらい思想家も宗教家もいらない。ほしいものはただ人間の心の調律師であると思う時もある。その調律師に似たものがあるとすればそれはいい詩人、いい音楽者、いい画家のようなものではないだろうか。》

「調律師」という随筆の中のこの寅彦自身の言葉に、事情は十全に表現されている。
 寅彦文学のいま一つの特徴を表す言葉が、本編「万華鏡」の序文に見える。

《玩具の万華鏡カレイドスコープをぐるぐるまわしながらのぞいてみるといろいろの美しい形像が現われる。この書の内容の実体はひつきようこの玩具の中に入れてある硝子ガラスの破片と同様なものにすぎないかもしれない。しかしもし読者ののうに存在する微妙な反射鏡の作用によって、そこになんらかの対照的系統的な立派な映像が出現すれば仕合せである。》

 寅彦の考える文学作品は作者のみで作るものではなく、作品の中だけで完結したものでもない。読者の心の動きが関与して初めてそこに美が現出するのだ。それゆえ作品には余白が必要で、それは読者の思考や夢を誘うものでなければならない。必然、作品は言葉を節約して短くなり、目に立つ装飾を減らした平明な表現が主体となる。それは長大な小説や論説ではあり得ず、読後の余韻の尽きない短編、再読再々読を誘う随筆となったのである。

(3)
 数ある寅彦随筆のうちでも特別に味わい深いのは、日常の諸現象の中に科学と詩情を同時に見出す「茶わんの湯」、「線香花火」、「電車の混雑について」といった作品群である。これは寅彦以前にも以降にも、他の著者には類を見ない。
 のちに来るイギリスのチューリングの反応拡散方程式による「形の物理学」の先取りであり、同時に生の輝きとはかないとおしさを歌った散文詩でもある「線香花火」。チェコの物理学者ペテル・シェバのメキシコ市バス乱数行列理論を八十年先取りするとともに、せわしなくまた長閑のどかな大正の東京風物詩でもある「電車の混雑について」。ビッグデータと機械学習の二十一世紀に立ち上がるデジタル人文学の先駆けであり、また見知らぬ地への旅愁を誘う異国たんでもある「比較言語学における統計的研究法の可能性について」。
 面白いのは、これらの諸編に登場するのが、寅彦の時代には未だ存在しない科学、彼が予感し予言した新しい科学であった点である。彼の言葉を一歩数理的に進めて方程式を書き下し、コンピュータにかけて計算することができれば、「複雑系物理学」が昭和初期の日本で始まっていただろう。それが実際に行われたのは、現代的電子計算機が作られ普及した、三十年ほどのちの米国においてであった。寅彦の夢は技術的現実にあまりにも先んじすぎていたのである。
 東京帝国大学の物理学科を首席で卒業し、母校で助教授となってのち、時をおかず寅彦はドイツに渡り、ベルリン大学で新しい物理学を学んだ。ドイツから彼が持ち帰ったのは、直接にはラウエ博士直伝のX線物理学であり、より広くは当時欧州で始まって間もない量子力学であった。この革命的な物理学理論は、遠からず物質の原子構造を解明し、材料科学から電子工学、レーザー光学から核科学までの、今日の我々の科学技術の基盤となった。
 しかし不思議の事情で、寅彦が日本における量子力学の太祖となることはなかった。その役を担ったのはしなよしである。代わりに歴史が寅彦に割り当てたのは、気象学そして地震学の開拓者としての配役であった。物理学から見たぼつこう期の気象学、地震学の事情は、随筆「自然現象の予報」に詳述されている。その後の両科学の長足の進歩にもかかわらず、随筆の中に述べられた基本的骨組みはいまでも有効で、ここでも寅彦の透徹した視線をうかがうことができる。
 気象学そして地震学で扱われる対象は、物事を極度に単純化して扱う物理学者の流儀からすれば、変数の多すぎる複雑極まりない系である。そしてこれら諸学の探究が寅彦にもたらしたものこそが、当時まだ影も形もなかった複雑系物理学の予見であった。寅彦の随筆を読み彼の予感した新物理学を知れば知るほど、その後に実現した実際の複雑系理論との符合の精度に、現代の読者は驚くだろう。寅彦は学派をなさぬ孤高の人であったが、文学と科学の両面で彼の衣鉢を継ぐ存在となったなかきちろうの研究は、雪の結晶の形の解明である。これを寅彦の夢の一つの実現と考えるのは、全く相応ふさわしいことであろう。

(4)
 多彩な随筆を通じて浮かび上がる寅彦についての顕著な一事は、彼が何をおいてもまず自由人であったことである。決して無条件に権威にひれさず、無反省に因習に従うことを良しとせず、主流思潮や業界の集団思考に簡単には同化しない寅彦の自由精神。彼の少年のような悪戯いたずらっぽい目配せ。その由来の一部は藩制社会の旧弊から解き放たれた時代精神かもしれず、また一部は誇り高い士族の血脈かもしれない。またそれは、漱石とラウエの薫陶をうけて東洋西洋両思想、文芸科学両道を極めた自信のたまものかもしれない。いずれにせよ寅彦の形にとらわれないしようする精神は、たとえば随筆「電車で老子に会った話」の次の文からも明らかであろう。

《K先生は教場の黒板へ粗末なさんの絵を描いて、そのふもとに一匹の亀をわせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線をかくしておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまちちゆうてんに舞上がる。すると亀はもうとても追付く望みはないとばかりやけくそになって、吞めや唄えで下界のどん底にとどまる。その天井を取払ったのが老子の教えである」というのである。》

 そして寅彦は孔子の教えをユークリッド幾何学に、老子の教えを非ユークリッド幾何学にたとえる。言うまでもなく彼にとっての老子は、東亜で昔日より引き継がれてきたままの「古代中国服を着た気難しい老人」ではない。目の前にある現代の科学文明に相応しくアップデイトされた「背広を着た朗らかな紳士」としての老子なのである。
 彼の公表した随筆が、大学の物理学科において職務専念義務違反との嫌疑で問題にされたことがある。四十すぎて病を得ての長期の病院療養ののち、寅彦は一時大学を辞めて文筆に専念することを考えた。彼の自由な気質を帝国大学の枠に収めておくのに困難が伴ったことは、容易に想像がつく。幸い彼は大学にとどまった。同じ帝大物理学者のいしはらじゆんのように自由に殉じて官職を捨てなかったのは、彼の良き夫良き父としての社会的良識のおかげであった。大学において彼は自由をやくろうちゆうのものとし、生涯に二百を超える科学論文を残した。それらは彼の三百に余る随筆と並べられ、寺田寅彦の名は、近代ではなルネサンス的万能精神として歴史に刻まれることになった。
 そして寅彦の言葉は、物理学や気象学の学派といった堅苦しさ、文学の流派といったきようあいさを悠々と超えて、自由のすがすがしい息吹を伴って、いまでも我々に直接語りかけてくるのである。
(高知工科大学教授) 

作品紹介



万華鏡
著者 寺田 寅彦
定価: 880円(本体800円+税)
発売日:2022年01月21日

科学に興味をもつ一般読者向けに編まれた科学随筆集。全13篇を収録。
「空いた電車に乗るために採るべき方法はきわめて平凡で簡単である。それは空いた電車の来るまで、気永く待つという方法である」(「電車の混雑について」)。科学に興味をもつ一般読者向けに編まれた、『柿の種』と双璧をなす代表作。人間が発明し、創作した物のなかで「化物」は最も優れた傑作とする「化物の進化」をはじめ、「物理学と感覚」「科学上の骨董趣味と温故知新」「怪異考」ほか全13篇を収録。解説・全卓樹
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322108000178/
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