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レビュー

コロナ禍の今こそ読むべき一冊! 感染症大流行の危機を描いた『鹿の王』、その後の物語『鹿の王 水底の橋』

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

(解説:あづま えりか / 書評家)

 今は2020年4月8日。ちょうど日付が変わったところだ。先ほどしんぞう内閣総理大臣からきんきゆう事態宣言が発出された。周りはシーンと静まり返っている。

 新型コロナウイルスによる感染しようの増加が止まらずりようほうかいおちいりかねない事態であるため、東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に5月6日のゴールデンウィークしゆうりようまでを条件に発出された。

 2019年12月「原因不明のウイルス性はいえん」として最初の症例がかん市内でかくにんされてから、あっという間に中国全土に感染がひろがった。わずか数か月で世界中にでんしたこのえきびようは、3月にはパンデミックであるとWHOが認め、2020年4月1日現在、180の国と地域にわたり感染が報告されている。

 最初はつうの症状だ。だから油断していた。見くびっていた。それゆえ対応がおくれた。かん者の8割の症状は軽い。しかし重症になったとたん死亡率がね上がる。他人とは会うな、マスクをしろ、人込みには行くなと指示され、混乱した民衆は買いだめに走る。感染した人は差別され、情報を求めた末にデマにおどらされる。最前線の医師が命がけで治療を続けても医療崩壊は起こってしまう。これが地球上すべてで同時進行している。

 今までにSF小説やファンタジー、あるいは過去の事例をもとにした時代小説などでパンデミック小説はいくつも読んできた。まさか実際に起こり小説ではとうてい考えつかないほどのれいこくな現実を知るとは思わなかった。

 うえはしの『鹿の王』(角川文庫)は2014年にじようされたハイ・ファンタジー小説である。発売当初より大はんきようを呼び、翌年の本屋大賞と医療小説大賞を同時受賞。子供から大人まで夢中にさせた。

 この物語を構築しているベースのひとつに医療がある。なぞの感染症「黒狼熱ミツツアル」が持つ秘密を解くミステリーは、医療関係者や研究者たちも舌を巻くほど感染の様子や経路、治療法までみつに組み上げられている。

鹿の王 水底の橋』の解説らいを受け、改めて『鹿の王』を読み始めたのは2020年3月しよじゆん。最初に読んだ時から5年余りがっており、正直にいえば主人公であるヴァンと拾い子であるユナの印象が強く残っていたのはいなめない。

 しかし読み進めるうちに私はふるえ上がった。現実社会はパンデミックの真っ最中で、いつ自分がかかるかと世界中がおそおののいている。治療薬もワクチンもなく、対症療法で様子を見る以外にない。中国での医療崩壊を他人ひとごとのように見ていたヨーロッパもアメリカも、あっという間に感染はばくはつした。

 手のなかにある『鹿の王』の世界もまた、謎の病気におびえ、治療法を探している。だが、この物語にはヒーローがいる。彼が何とかしてくれるだろうという希望が見える。悲しいことに、現実にはヒーローどころか後手後手にまわるせい者たちの姿しか見えない。ファンタジー小説の『鹿の王』はまるで疫病の参考書のようにリアルにせまってきたのだ。

『鹿の王 水底の橋』は「黒狼熱大流行」の危機が去った後、黒狼熱の謎を解き明かしたオタワルの天才医師ホッサルのりよういん小さき者チミヤ・たちの巣トロス〉から始まる。助手で恋人のミラルと従者マコウカンと有能な医術師五人とともにこの施療院を運営している。

 以前、黒狼熱かんじやの治療を行った際、手伝いに来ていた清心教医術の祭司医、から幼いめいの病気治療を助けてほしいというこんがんを受け、ホッサル一行は彼の故郷であり清心教医術のはつしようの地、に同道することとなる。真那の父、は安房那領主でありながら清心教祭司医の上師でもある。可愛かわいまごむすめのため、清心教医術とは相いれないオタワル医術の意見を求めていた。

 ちょうどその時、アカファや安房那を治める強大なていこく」では、二人の候補の間で次期こうてい争いが始まっていた。その結果いかんではオタワル医術は禁止、国を追放されてしまうかもしれないぎわにあった。

 東乎瑠の大貴族たちが年に一度、集まる一大行事「ミンナルの鳴き合わせ、うたわせ」が今年は安房那で行われる。この時期にホッサルを呼んだ安房那こうの意図はどこにあるのか。けんぼう術数、様々なおもわくひそかにうごめきはじめるなか、人を治療するとはどういうことなのか、とホッサルはなやみ始める。命を助けるためには手段をえらばないオタワル医術と、心のあんねいに力を注ぐ清心教医術とは相いれないものなのか。

 亜々弥の関節痛は女性にはまれな病気だったため清心教医術でも発見が遅れ、科学的なかいせきを行うオタワル医術でも処方をちがったが、そのことが医学の進歩をうながしたともいえる。

 興味深いのは清心教の原点である「」の医術だ。古来、どこの国でも病気を治すために行われてきたじゆじゆつのひとつとして医療は存在していた。何万回、何億回と延々とり返されてきた植物や動物から知りえた薬効は、現代医学でも活用されている。

 20年以上前のことだ。インフルエンザの特効薬を試験中だという話を聞いた。原料の一つに漢方薬の八角を使うという。中国奥地に生える非常にとくしゆなダイウイキョウの一種で、風土病などに特異的に効く植物などを探すある種のプラントハンターをようするアメリカのベンチャー企業が見つけてきたらしい。

 それが数年後、インフルエンザ治療薬、タミフルとなって発売された。漢方と西洋医学が見事にゆうごうした結果である。

 私自身も若いころ、インドネシアの小さな島で食あたりになり苦しんでいたところ、その地の医師けん呪術師に治療してもらったことがある。飲み薬を断ったらマッサージをほどこしてくれた。何かの草でこしのあたりをたたき、全身で下腹部の反対側をみ上げてもらうと、下半身がり、き気も便意もじよじよに消えていった。多分、日本のはり治療に近いものではなかったか、と今ではそう思っている。

 作家であると同時に文化人類学者でもある上橋菜穂子は、異世界のファンタジー小説の中で科学と精神のつり合いを説いた。身体ががんけんであっても心の病はしのび込むし、終末をむかえる日々であっても、安らかに暮らすことができる人もいる。

『鹿の王』が世に出てから文庫化されるまでの3年の間に上橋は母を肺がんくした。発覚から亡くなるまでの2年間は母の看病とかいぼつとうしたという。その折、せい国際病院リウマチこうげんびようセンターで西洋医学と東洋医学の両刀を使って治療するとくろう医師にいその治療によって母親のQOL(クオリティオブライフ)は格段に上がったようだ。

 この二人の書簡集『ほの暗い永久から出でて』(文藝春秋)はげき的な本だった。人間だけでなく生命を宿す者すべてに対し、何のために生きるのかという永遠の課題を解き明かそうとしている。この中で上橋が医療の根源を語っている部分に胸をかれた。

 ──病んだ他者をたすけられる技術は、結局、自分自身をもたすけるのだ、という思いがあって、人は熱心に医学を生み、洗練されていっているのかもしれませんが、そこにあるのは、自分の子でなくても、群れ全体を守ることが、やがては、自分の遺伝子の生き残りにつながるというような実利的な意識だけでなく、やはり、他者の生病老死を目の当たりにして、放ってはおけない、そして、他者の生病老死に、自らの生について思わざるを得ない、人の心のうごきも関わっているように思うのです──

 新型コロナウイルスによるパンデミックもいつかは必ず終息を迎える。きつきんの問題はいかにわずらわないかだが、遠くない将来、人類すべての問題として、その世界をどう生きるかをさくしはじめなくてはならないだろう。

「鹿の王」シリーズはきっと何十年先も読みがれていく。そのとき、この文庫解説を読んで「こんな時代もあった」と思い出してほしい。物語のなかに永遠の真理がかくされているのだから。



上橋菜穂子『鹿の王 水底の橋』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321912000316/

▼シリーズ特設サイトはこちら
https://promo.kadokawa.co.jp/shikanoou/


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