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レビュー

伊集院静が初めて挑む歴史小説。「人間臭い」志士たちが描かれ、新説に彩られた新・忠臣蔵! 『いとまの雪』

書評家・作家・専門家が《今月の新刊》をご紹介!
本選びにお役立てください。

(評者:細谷 正充 / 文芸評論家)

 伊集院静が「忠臣蔵」に挑んだ。これだけで歴史小説のファンならば、読みたくてたまらないだろう。しかもサブタイトルに“新説”と入っているではないか。現在まで無数の作品が生まれている「忠臣蔵」を、作者がどのような新説で描いたのか。ワクワクしながら本を開いた。


書影

いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯 上


 物語は、江戸城中で起きた刃傷事件から始まる。といっても「忠臣蔵」の発端となった、松の廊下の刃傷ではない。江戸城では七度の刃傷事件が起きているが、その三番目。若年寄の稲葉石見守正休が、大老の堀田正俊に切りつけた事件だ。このときの傷が元で正俊は死亡。一方の石見守は、刃傷の現場で老中の大久保忠朝たちに突き殺された。刃傷沙汰の原因も解明せず、その場で成敗されたことが、なにやらきな臭い。

 赤穂藩の若き筆頭家老・大石内蔵助良雄は、病床にある師の山鹿素行を見舞っているときに、この事件を知った。師に託された書状を石見守の屋敷に届けた良雄は、そこで水戸光圀公と遭遇する。また、太平の世の底に不気味な闇が蠢いていることに気づき、「——どこへ行こうとしているのだ? この国は……」と思うのであった。

 といっても良雄のやるべきことは、赤穂藩を守り、主君の浅野内匠頭長矩に忠義を尽くすこと。師の警告により、幕府が諸藩の転封や改易を狙っていることを察知し、大石家に仕える仁助を密偵として各地に派遣する。改易された松山藩の城明け渡しを幕府から命じられたときも、恙なく使命を果たした。しかし自分の評判が高まったことを知り、昼行灯を演じるようになる。このようにして生きていた良雄だが、勅使饗応役に選ばれた長矩が、指導役の高家肝煎・吉良上野介義央を、江戸城松の廊下で切りつけるという刃傷事件を起こす。義央は一命を取り留めたが、五代将軍綱吉や側用人の柳沢吉保の思惑もあり、長矩はすぐさま切腹させられ、赤穂藩は改易となる。この裁定に揺れる赤穂藩で良雄は、ある決意を固めるのだった。

 今ではそうでもないが、かつては十二月になると新たな「忠臣蔵」ストーリーが出版され、テレビではドラマが放送された。まさに年中行事であり、日本人なら誰もが知る物語になっていたのである。だから、松の廊下の刃傷から、赤穂四十七士が本所松坂町の吉良邸に討ち入り、義央の首をあげるまでの流れは、あらためて説明する必要はないだろう。作者も「忠臣蔵」ストーリーの大枠に関しては、特に奇を衒ってはいない。たとえば刃傷事件の原因にしても、長矩の抱える心の問題と、義央の驕りという、従来からいわれている、ふたつの説を組み合わせているのだ。

 では、本書のどこが新説なのか。ひとつは大石内蔵助良雄の生涯を描いていることだ。まず、稲葉石見守正休の刃傷事件に、若き日の良雄を絡ませるという、意表をついた発端が素晴らしい。ここで読者の興味を惹きつけて、良雄のキャラクターを彫り込んでいく。子供の頃は“弱虫、泣き虫、竹太郎”と呼ばれていた良雄が、いかにして赤穂浪士のリーダーとなり本懐を遂げたのか。自分でもよく分からない不安を心の奥底に抑え込み、先を見越して行動する。どのような状況であろうと、武士としての生き方を貫く。しかし、妻の理玖を深く愛しながら、かんという女性も愛する、人間臭い面もある。幾つもの史実を踏まえたエピソードから、良雄の人間像が際立ってくる。そこから露わになるのは、伊集院作品に共通する、生き方の“美学”だ。自分の選んだ道を歩み続ける良雄の生涯が、強い美しさを伴って、読者の胸を打つのである。


いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯 下


 もちろん生き方の美学を見せるのは、良雄だけではない。他の赤穂浪士たちや、その周囲の人々も、美しく生きていく。なかでも家老でありながら討ち入りに加わらず、悪評にまみれた大野九郎兵衛の描き方がいい。算用に長けているが、なにかと金を出し渋る九兵衛は、最初、嫌な奴として登場する。だが彼には彼の信念がある。良雄の深謀遠慮に応えた九郎兵衛の生き方も輝いているのだ。

 さらに四十七士のひとり、寺坂吉右衛門の扱いにも、特筆すべきものがある。討ち入り後に姿を消した(討ち入り前に逃亡したという説もある)吉右衛門に、何があったのか。彼の行動を追ううちに、ある意外な人物が現れ、良雄の真の狙いが明らかになる。そして、権力の闇を剔抉する物語の力が表明されるのだ。ここも作者の新説となっているのである。

 さまざまな理由で、現在の日本の政治に対し、多くの人が不満を抱いている。また、新型コロナウイルスの影響により、社会がどのように変容するのかという不安も大きい。良雄と同じく、「——どこへ行こうとしているのだ? この国は……」と、いいたくなってしまうではないか。そんな時代だからこそ、元禄と令和を通底させた、本書が深い意味を持つ。今、この物語を書かねばならないという、作者の強い意志を感じる。そこに伊集院静という作家の生き方――すなわち美学があるのだ。

伊集院静『いとまの雪 新説忠臣蔵・ひとりの家老の生涯 上』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000378/

▼【上下 合本版】はこちら(電子書籍)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322011000887/


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