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レビュー

日本SFの巨人が語る「同世代の女の子文学」としての田辺聖子はこんなにもみずみずしい!『大阪八景』

 田辺聖子さん――とあらたまってよぶより、「お聖さん」とよんだ方が、田辺さんにぴったりの感じですが――の小説をはじめて読んだのは、もうかなり前、週刊誌に連載されていた「猫も杓子も」でした。

 実を言うと、それまで私は、女性作家の書いた小説を、何となく敬遠していました。――決して女性をあなどっていたわけではありません。一つの理由は、私たちの年代の男たちが、子供の時うけたしつけによって、女性の書いたものを読むのが何となく気はずかしかったからにすぎません。
 戦前の社会教育や家庭の体系の中では、一種暗黙のうちに、小学校低学年あたりから、「男の子の読むべきもの」と「女の子の読むべきもの」がわかれていました。――小学校二年ぐらいまでは、どちらも「幼年倶楽部」を読むが、三、四年になると、男は「少年倶楽部」女は「少女倶楽部」と言う具合に、何となくわかれて来て、気がついた時には、もう「女の世界」はのぞきこめなくなっていた、と言うのが、私の場合です。小学校時代は、男の兄弟三人でくらして来た私は(上三人とかなり間をおいて、あと二男一女が生まれます。一番下の妹が生まれたのは戦後の事です)まわりに「少女倶楽部」の影はなく、母やねえやの所には、「婦人倶楽部」や「主婦之友」と言った主婦雑誌しかありませんでした。店の若い人の所には、「キング」「富士」「日の出」と言った雑誌はありましたが、私たち兄弟は、「少女ッ気」のない家庭に育ったのです。
 戦時中の「少女の世界」「娘の世界」は、夏休みの時、娘のいる親戚の家に泊りがけであそびに行き、従姉の部屋にこっそりはいりこんで、少女小説や、少女倶楽部、少女の友、女学生の友と言ったものをめくってみるだけにすぎませんでした。そこで、少年ものを書いている、佐藤紅緑、サトウ・ハチロー、佐々木邦、と言った作家が、少女小説も書いている事を知り、また、少年雑誌にはあまり登場しない、久米正雄、竹田敏彦、吉屋信子と言った作家の名を見つけました。(吉屋信子さんは、少年雑誌に「草笛吹く頃」と言う少年小説を書かれていたので、名前を知っていましたが)――あくまでそれは、「男子がのぞいてはならない〝少女の世界〟を、一種の罪の意識や後めたさを感じながら胸をどきどきさせてこっそり盗み見る」と言う立場でした。もう少し大きくなって、中学校へ――それも戦時中の――行く年ごろになると、「見ては行けない、と言われたものをこっそりのぞきたがる」自分の精神のはずかしさを、自分で恥じるようになって、きっぱり見なくなります。にもかかわらず、横井さんではありませんが、恥ずかしながら、吉屋信子さんの「夫の貞操」は小学校六年の時読んじまい、中学一年の時、修身の時間に校長に教えられた「読んではいけない〝軟文学〟」の代表にあげられた、菊池寛さんの「第二の接吻」「真珠夫人」を、その直後に読んでしまったのですが……。
 いずれにしても、「女性の世界」と「男の世界」は、当時内容的に区別されており、思春期にむかって、それはますます相互不可侵のものとなりつつありました。小学校高学年当時、わけのわからないままに不思議な感じでこっそりのぞきこんだ、女学生雑誌の中の、宝塚、松竹少女歌劇のスターたちの生活やゴシップ、小説に出てくる同性愛(デベンなる奇妙なもの、中原淳一、須藤しげる、蕗谷虹児、松本かつじと言った諸氏の描く、眼の大きな少女の絵、「とんでもはねても」と言う何やらあやしげなもの、洋裁和裁の図解ページと言った不思議な世界は、はるか遠い、「子供時代垣間見た異質世界」になって行きました。――辛うじて田河水泡さんの「窓野雪夫さんと七曜組」や、長谷川町子さんの「仲好し手帖」と言った漫画だけが、「女学校」と言う異次元世界(アザー・ワールド)にうつり住んでしまった、同年の少女たちとの淡い共通性を感じさせるだけでした。女学生と口をきく事はおろか、道であっても「見る事」さえ厳禁されていた、当時の私たちに与えられたものは、漱石、鴎外、独歩の作品であり、せいぜい「宮本武蔵」であり、こっそり読むのは、乱歩、小栗虫太郎と言った所でした。古典においてすら、学校で「太平記」や「平家物語」をならっていたころ、友人と「平家物語」はやるのにどうして「源氏物語」はやらないんだろう、と話している所を通りがかった国語の教師にききとがめられ、
「バカモン! 源氏は女の読むものだ!」
 と一喝のもとにはりたおされたものでした。理由はわからないが、とにかく「平家」はいいが「源氏」はいけないのだ、と思いこみ、アホらしい事に、何と旧制高校へあがるまで、「源氏物語」とは「平家物語」を源氏の側から書いたものだとばかり思っていました。読んでいけない理由は、自分なりに、きっと「源平壇浦戦記」(言うまでもなく、頼山陽作とつたえられる漢文体のポルノ文学で、これはすでに中学三年の時、まわし読みしていたのです)のような場面が多いからだろう、と思っていたのです。
 少年期に刻印づけられたものの多くは、敗戦後、そして青年期から中年へなるにつれて転覆され、修正されて行きますが、こと小説に関しては、中年すぎて子供ができてからも、無修正のままのこっていました。翻訳ものや、すでに古典の部類にはいるものはともかく、現代の女性作家が、現代の女性生活を描いたものは、ごく少数の例外をのぞいて、相かわらず何となく気はずかしく、時折り勇気を出して読んでは見るのですが、あまり眼がすわらない、と言った具合でした。事件もの、風俗もので大変読ませる力を持っているものもあったのですが、読むにつれてますます「女の世界」というものは、男にとって理解を絶する、面妖深刻な、畏怖すべきものである、という印象が深まり、やはり「のぞいてはいけないものをのぞいた」という感じがのこってしまいました。いわば、「女性作家の描く女の世界」というものに対して、私の中に一種の「心理の壁」が、形成されていたのです。
 何年か前、こういった「心理の壁」を破る役割りをしてくれたのが、冒頭にあげた、お聖さんの「猫も杓子も」でした。――読みはじめたのは、週刊誌連載の二回目か三回目でしたが、一読ひきつけられ、大急ぎで前の回を出版社にたのんでとりよせて初めから読みかえし、以後ずっと回を追って読みつづけました。
 私がひきつけられたのは、文章の何とも言えない明るさと、ヒロインのかわいらしさでした。週刊誌というものの性格上、――とりわけ、スキャンダルをあばいたトップ記事や、社会派風俗小説で――どす黒い、垢じみた感じの文章ばかり読まされていた私は、その小説の文章にぶつかった時、突然ぱっと眼をあらわれたような、明るい、みずみずしいショックをうけました。ほんの数行読みすすんだだけで、あ、この(ひと)は、と思わせるようなものが、その文章にあったのです。
「文は人なり」と、ひどく月なみな事を言うようですが、文章というものは、それを書く人の人柄や、姿勢というものを遺憾なくあらわします。しかし、田辺さんの文章には、それにくわえて、彼女の理想――と言ってしまえば大げさですが、人間は、あるいは人の世は、こうありたいと思うのよ、うちはこう言う風に見たいと思うとるんです、と言う「メッセージ」が、ねえ、そない思わへん? という形でこめられているように思えたのです。読みすすみながら、私は知らぬうちに、そやそや、お聖さん、ええぞ!――いや、そらちょっとちがわへんか? ふーん、女ちゅうものはそういう具合に考えるもんですか。やっぱり男とだいぶかわっとりますな。――と、まるで「かもかのおっちゃん」や「熊八中年」のごとく、作者と漫才的問答をくりひろげながら読んでいました。
 その上、独身で自活し、友だちとだべり、ケーキを食べ、お酒をのみ、恋をし、仕事のかけひきをしながら、せいいっぱい生きる女主人公の愛らしさに、夢中にさせられてしまいました。これでも、自分ではごく「主観的に」、海千山千のつもりでいる中年男です。いい年をして(もっとも汚い関西弁をつかえば、ええ年ぶっくらこいて)、そんじょそこらの安手の少女小説や、少女マンガの登場人物の「愛らしさ」にたぶらかされるほど阿呆ではありません。――お聖さんが、この作品で描き出したヒロインの愛らしさは、たとえば、私がはじめてブロードウェイで見たヒット・ミュージカル「ファニイ・ガール」のヒロインの、あるいは映画「踊る大ニューヨーク」のミッチイ・ゲイナーの、あるいは映画「バス・ストップ」におけるマリリン・モンロウの、あのくたびれた中年男の心をゆさぶる「愛らしさ」でした。とりわけ「かいしょもン」の多い大阪女の伝統(あたかも織田作之助の「夫婦善哉」のお蝶のように)をうけつぎつつ、現代の大阪にぴちぴち生きる若い女性の中にいくらでも見つかりそうな、愛らしさでした。
 それを読みはじめてから、しばらくたって、偶然ある放送局でお聖さんとあう機会がありました。――実は、それまでに、一、二度顔をあわす機会があったのですが、私の中で、何となく女性作家を畏怖する念があったので、あまり話はしなかったのです。しかし、その時は、若干のぼせて、小説のヒロインの愛らしさとお聖さんの愛らしさをごっちゃにしていたらしく――誤解のないように申しそえておきますが、本物のお聖さんの方が、もっと愛らしく、しかもどっしりした深みがあるのであります――かけよるように近よって、声をかけました。
「あの主人公、かいらしねえ。ようあんなかあいい人が書けたねえ」
 と言った意味の事を、おっかぶせるようにまくしたてた記憶があります。お聖さんは、えへへ、と照れたように笑いました。(この時の印象が、――田辺さんが私の文庫本の解説の中で書いてくれたように――私が「女をちょっと下に見て、『かんしんかんしん』と頭をなでる」ような所がある、と思わせてしまったらしいのです。たしかに、一、二度あっただけの、それも体重八十五キロもあるおっさんが、どたどたと突進してきて、小柄な彼女におっかぶさるようにまくしたてれば、ショックをうけたでありましょう。慚愧(ざんき)にたえません。が、一言弁明させていただけば、私はお聖さんを姐御(あねご)としてたてているのであり、「理屈の知識のといったややこしい事は、まかせておくんなさい。そんなことで姐御に苦労はかけやせん」と勇んでいるだけであって、決してお聖さんを「下に見て」おつむをなでているわけではないのであります。為念。)
 その時の私は、
「あのヒロイン、どないなるのン?――ぶじ、結婚するのン?」
 と、物書きにもあるまじきバカな事をきいてしまいました。お聖さんはニコニコ笑って「まだ考えてへンねン」
 と答えました。――物書き同士で、何というアホな、はしたない事をきいたか、とあとで赤面しましたが、その後も、お聖さんの連載小説を読み出すと、彼女に出あった時、
「あの先、どないなンねン。ちょっとだけ教えてえな」
 とせがむくせがついてしまいました。時には彼女の自宅に電話して、
「あこで、あのヒロインがふられるなんて、けしからんやないか! あんた、サジストの所があるんとちゃうか?」
 などといちゃもんをつけたりする始末です。――ええ年して、アホとちゃうか、と思われる方があるかも知れませんが、お聖さんの小説には、子供が二人もある分別くさい中年男に、ミーハーのたのしみを――もっと正確に言うなら、一介のミーハーとして、小説の展開に一喜一憂するたのしみを味わわせてくれるだけの、「花」も「語りの才能」も存分にあるのです。それからどうなる? と、わくわくしながら「お話」のつづきをせがんだ、あの幼年期のたのしみを、四十すぎて味わわせてくれるだけの才能が……。分別くさい年ごろになれば、もう子供向けの「おとぎ話」では、あのたのしみを味わう事ができないのは当然です。しかし、わくわくしながら話のつづきをきいたたのしみ、こわくなったり、うれしくなったり、ほのぼのとした気持ちになったり、鼻先がつんと痛くなったり、話の展開につれて起こるさまざまな感情の起伏に、時を忘れ、われを忘れるたのしみを、もう一度味わってみたい、という欲望はおとなにもつよくあり、それがさまざまな「おとなのたのしみ」としての作品需要をうみ出しているのですが――しかし、「女の世界」を題材にして、それができる、という女性作家は、やはり稀有な事だと思うのです。

 少し分別くさい立場から、お聖さんの作品を眺めてみますと、その作品のどれにもただよっている「明るさ」は、単なる年ごろの娘の内発的なそれではなく、「おとな」のそれだ、という事がわかります、――「生活人の」と言ってしまっては正確ではありません、やはり女性であり生活人でありながら「物を書こう」と決意した人の、長年かかってつみ上げた「知恵」と「技術」によって達成された「明るさ」だと思うのです。
 私はお聖さんの作品の中に、関西人らしい、そして都市伝統の長い大阪女性らしい、あたたかい「距離のとり方」を感じます。――人間が、女性が、もっとも愛らしく、愛くるしく、明るく、生き生きと見える「距離」で描こう、という作家としての「決意」のようなものが感じられるのです。そして、その決意の背後には、やはり作家として常人とはちがう深い屈折や、鋭い人間観察や人生に対する洞察がひそんでいる、と思います。そういったものがなければ、あんなに明るく、あたたかく、あるいは美しく、ほろにがい絶妙なバランスを、永続的にとりつづける事ができるはずはありません。――えてして文学愛好者は、人間の、人生の、社会の「表面美しい仮面をはぎ」、醜悪、残忍な「腸をひきずり出して見せる」のが、小説の「役割り」だと思いがちです。が、江戸終末頽廃期にはやった大蘇芳年の「血みどろ絵」みたいに、美女の顔の生皮をはぎ、その下に血みどろの生肉と髑髏(どくろ)を見る事は――それはたしかに、泰平と騒擾に倦んだ神経には強烈な刺戟かも知れませんが、そればかりが、いったい文学の「価値」でしょうか? あるいは、逆に自己顕示の一種である自己告白の衝動にかられて、衆人の前で裸になり、自己を鞭うち、胸をかきむしり、腸をつかみ出して見せる事が、文学の深刻であり「誠実」というものでしょうか? 人間誰だって、腹の中にはぐにゃぐにゃしたさえない色の(はらわた)を持ち、その中には消化途中のぐじゃぐじゃしたものがつまっています。嬋娟(せんけん)たる美女の顔の下には、骸骨があります。だからと言って、「美」や「愛らしさ」は虚偽であり、仮面であり、偽善であって、人間の「本質」は醜いどろどろのものであり、「骸骨こそが人間だ」と言うのはばかげています。――可憐なカナリアが、私たちにとって最も価値があるのは、日の当たる篭の中で、きくものに、しばし我を忘れさせるほど美しく(さえず)っている時であって、首をひねって羽をむしり、串にさしてタレをつけて、焼いて食っても、ろくに腹もふくれません。
 人間もまた、最も「愛すべき」「可憐な」「明るい」「生き生きとした」存在として見える「適正距離」と言うものがあります。そして、その「距離」がわかるためには、――必ずしも辛酸の「直接経験」は必要ではありませんが――人生に対する「洞察」が必要です。曝露の、あるいは自己告白の泥沼にのめりこんで行っても、結局そこで得られるものは悪臭放つ糞便であり、骸骨にすぎない、そして、それが「唯一の真実」であるわけではなく、「人間は所詮骸骨だ」というのも、一つの虚構(フイクシヨン)にすぎない。人間の内面にどかどか土足でふみこんで行って、お前はかっこいい事を言っているが、本当はああだこうだと「曝露」や「告発」「摘発」のしあいをすることが、「人間の真実のふれあい」や「ぶつかりあい」であり、その上で人間同士の「本当の関係」をむすぶ事ができる、などという考えも、まったく根拠のない「迷信」にすぎない。人間を愛するためには、愛するにふさわしい「距離」をたもたなくてはならない。――男が言うと理屈っぽくなってしまいますが、女性の場合、女性特有の直感のつみかさねによって、男が理屈で到達するのと同じぐらい深い洞察に達するものです。お聖さんが作品を書く立場の背後にはそういった洞察が存在するとしか思えません。
 そして、作家として、そういった距離を「選択」した所に、お聖さんの――おそらく一代では達成されなかったような――「大阪女性らしい市民性」がある、と思います。
 都市の「市民性」というものは、一代や二代ででき上がるものではありません。やはり、何百年かかかります。――そして、都市は、その過密度によって、「さまざまな人生」「さまざまな人間」が、集中的に見え、しかも「さまざまな時代の季節」の記憶がよくのこり、蓄積する、という性質を持っています。その中には、雑草のごとき人生もあれば、「町のわけ知り」もあり、生活の悲劇も喜劇も、時には歴史の中に大きな足あとをのこして行った「大物」の人生の伝説も、遺跡、遺産とともに存在します。――その中で、裏店の喜イ公も作ぼんも、町内のわけ知り世話やきの甚兵衛はんも(そう言えば、お聖さんは、私を〝町内会長〟にたとえた事があります。同時に藤本義一をサッソウたる〝若様侍〟にたとえたので、私は大いに傷つき、グヤジ涙にくれたものであります)、社長になった八百屋のおっさんも、専務になったそのおばはんも、腹ぼてになった高校生も、いちびりのカモカのおっちゃんも、それぞれに、それぞれのつかの間のあるかぎりの人生をせいいっぱい生きて行くのだ、という事が「見えて」しまうのです。そんなのしょむない、ガマンならん、という方は、頑張って、東大でもハーバードでもはいって、代議士や大臣になりはるがよろしい。あるいはドラム罐で太平洋わたるのもよろしいし、松下はんみたいに、えらがんばりにがんばりはって、二股ソケットの工場から、「今太閤」とよばれるほどになりはるがよろしい。しかし、すかたんはすかたんなりに、戦争で店をやかれて「パー」になった写真館のとうはんや、理化学機械屋のこぼんちゃんはそれなりに、せいいっぱい「気張って」生き、お互い鼻つきあわせながら、ゆずりあいたのしう生きて行かなければならない。――これが「都市生活」「市民生活」の「伝統」と言うものです。そういった市民生活の「場」に提供するものは、あまり他人様の九尺二間の一DKにどかどか踏みこんで「曝露」したり、まわりが顔をしかめるような悪臭はなつどぎついものを、さあ、これ見んかい、と、ほうり出したりする態のものでは、はた迷惑で、たとえ人生の深淵を垣間見せるものであっても、他人との接触面には、何かはんなりとした「花」がそえられていなければならない。深淵をのぞきながら「たのしめる」「後味のいい」ものでなければならない――これが都市生活の「マナー」というものです。
 人々が、もっとも「愛らしく」「いとしく」「おかしく」「たのしく」見える「距離」をえらんだお聖さんの選択には、こう言う意味があると思います。明るく、愛らしい主人公の背後に、人生の深味も、哀愁も、苦が味さえひろがっているのですが、それがあくまでいとしく愛らしい登場人物のかいがいしく、むきになった行為の「向うに」見えているため、(すっぱ)くも苦くも、後味のまるさが値打ちです、お聖さんの事を、どこかの週刊誌が「女野坂(昭如)」などと書いていましたが、一見「関西風」で共通しているようで、告白型の野坂氏とくらべるとこれはまとはずれなような気がします。
 この「距離のとり方」のうまさは、在阪作家では、司馬遼太郎さんに似ているのではありますまいか。

 お聖さんの作品についての一般論がうだうだと長くなりすぎました。ここらへんで、この文庫収録の「私の大阪八景」の事をのべなければなりません。この作品は、私にとって――そしておそらく私たち中年男性にとって――お聖さんの他の小説とちょっとちがった意味で、きわめて興味深いものです。
 この作品は、昭和初期から戦時中を経て、戦後のころまでの大阪市内北部を舞台にして、そこで生まれ育って行く、「ごくあたり前の」少女の物語です。――フィクションの形をとった、お聖さんの自伝といっていいでしょう。そして、私たちの世代は、自分とほぼ同世代の異性たちが、あの戦中戦後の時代を、どういう風に見、どういう具合に感じながら成長して来たか、という事を知る機会がほとんどなかったし、どうやってそれを知ったらいいか、あるいは聞き出したらいいか、まったくわからなかったのです。
 冒頭に述べたような理由により、私たちの世代は、同世代の女性の「世界」について、ほとんど知る事なくすごして来ました。恋愛や結婚はしても、その対し方は、やはり「対決」のように固くなるか、「肩をならべて(サイド・バイ・サイド)」進んで行くかで、男、女、それぞれに理解しがたい独自の「世界」があり、あまりお互いの「世界」をのぞきこまないし、推察しあわない、というのが当たり前の事になっているようです。私たちの世代において、男女の仲は、基本的に「緊張関係」が刻印づけられているような気がします。
 しかし、ふと自らの人生をふりかえってみると、自分たちの生きてきた「時代」というものを、「男の軌跡」だけで、わり切ってしまうのは、やはりひどい片手落ちのような気がします。――あの時、あの戦時中の軍国主義時代、私たちが視線をふりむける事もできなかった少女たちは、いったい日々何を感じ、何を思って生きていたのか……それが戦後どういう「女」に成長して行ったのか……「同期の桜」ばかりでなく「同期のなでしこ」の「内面世界」を知りたいと思っても、三十すぎてさえなかなかうまいコミュニケーションの機会がありませんでした。女性の側でも、男に対すると、「基本的な緊張関係」が、下意識領域から出現して来て、つい「対決」のような恰好になります。そのため、話をきこうとすると、出てくるきわめてステロタイプ化した反応は、
「戦争やったんは男やないの。やっぱり男は暴力主義で、女は平和主義やわ。今の世の中が、うまい事行かへんのも、みんな男が悪いんよ」
 というものか、あるいは、
女の世界言うもンはね、やっぱり男には絶対わからへんのよ」
 と、ぴっしゃり鼻先でシャッターをおろされるか、あるいは、
「男や女やて、それ何ンやのン? そんなン古い考えやンか! 女かて、男と同じように何でもできますよ。うそや思うたら、立っておシッコして、富士山描いたろか!」
 と剣突をくわされるか、――大体この三つの型に分類できます。こう言われては、男たるもの、そんな事きいてるのとちゃうやんか、と口の中でぶつくさ言いながら、頭を垂れてすごすごひきかえすほかありません。
 たまに、こういう、戦後の「風潮」がつくり上げたステロタイプから自由で、女性としてと同時に、「人間として」かなりでき上がっている女性にめぐりあえても、自己の生活体験を、うまく整理して語ってくれる人はほとんどありません。――「自己を語る」と言うのは、誰にでもできそうで、実はきわめてむずかしいものです。
 お聖さんは、戦前戦中戦後の「少女の世界」について、はじめて率直に、「男にもわかるように」私に語ってくれた――私の知るかぎりでは――はじめての「作家」です。やはり「作家」でなければ、そう言った事を、「語ろう」と言う問題意識を持たないでしょうし、しかも再度強調しますが、その中でお聖さんは、そう言った世界を、「男にもわかるように」語ってくれたはじめての「女性作家」なのです。むろん、こちらは男ですから、女の事が百%「身体的実感」をともなってわかるわけはありません。が、だからと言って、「そやから、これは男にはわからへンの!」と蓋をとじてしまわず、「こうなんよ、ああなんよ」と、できるだけわかるようにときほぐしてくれた、はじめての「おねえさん」でありました。
 女の世界を男にもわからせるように語るためには、女である自己を「客観化」し、それを「男の理解」のコンテキストへつなげる、という二段階の作業がなくてはなりません。――「女の(さが)、女としての自己」を、あるいは戦時中「軍国少女」だった自分、「愛らしくも清潔なロマンチスト」だった自分をつきはなして客観化する作業は、何か「悲しみ」や「痛み」をともなうものでしょう。(男だって同じです)その上で、さらに、その客観化された姿を、異性にも、同性にも、「説明」して行こうとする、――そしてその「説明」の基本的姿勢を、前に述べた「市民性」に依拠した「サービス精神」の上においた所に、お聖さんの作家的「決意」があるように思います。
 しちめんどくさい理屈は別として、お聖さんの人と作品に出あったおかげで、すくなくとも私は、はじめて「同世代異性」の世界との間にラポーアをひらく事ができました。大げさに言えば、私にとって「世界のかくされた半分」を知ったような、驚きと喜びでした。――顔をあわせるたびに、幼児が姉にお話をせがむように、あの時はどうやった? この時はどないしてた、と根掘り葉掘りきくのが、お聖さんにあう最大のたのしみです。そして、この「私の大阪八景」は、そう言った私のたのしみが、見事に整理され、凝集されてある作品です。
 この作品を通じて、私にとって同世代の女性たちが、なまぐさくきらきらしい「気どり」や「緊張」の彼方の、不可思議な存在――ひょっとしたら一生「知りあわずに」すごしたかも知れない存在としてのヴェールをおとして、共に同じ時代を歩んできた「同行者」としての姿をはじめて現わしつつあります。――もうお互い、いいかげんくたびれた存在になりつつありますが、それだけに、なまぐさい事をはなれて、この時代に生をうけ、ここまで生きて来た「中年として」、おたがいえらいこってしたなあ、と、中年の感慨を交す事ができるようになりつつあります。とりわけ、この作品の舞台になっている大阪福島は、私の兄の生まれた江戸堀、私の生まれた京町堀のちかくです。もし同じ隣組にうまれていたら、三つ年上のお聖さんに意地悪(いけず)されて泣いたやろか、逆にこっちが、幼いお聖さんのおいどめくりして泣かせたやろか、などと思いながら読んでいると、感興はつきませんが――まあ、これは個人的な事でしょう。
 これを書きながら、またお聖さんにききたい事が雲の如く湧いて来ました。――お聖さんの神戸の家に電話して、あのかいらしい、少女のような声をきき、三宮界隈へひっぱり出してはしごしながら、また根掘り葉掘りいろんな事をきき、あげく、元町の「シャネル」という、一列はいったらいっぱいになるカウンター・バーで、そこに必ずいる高橋孟さんという、おそろしくハンサムで男らしい漫画家と、お聖さんを私が呼び出すと「左京さんは危い」と言って必ずついてくるカモカのおっちゃんと、ドラ声あげて戦前戦中戦後の歌をうたい、お聖さんが甲ン高い独特の情感をこめてうたう「愛国の花」や「星の流れに」を、おっちゃんの胸毛をむしりながらきいていると、なるほどおれたちの通りすぎて来た時代の傍に、もう一本「女性の世界の流れ」というものがあったんだな、それを補って今、はじめて、おれたちの「時代」というものが、見えて来つつあるんだな、と、しみじみと感じられ、片手はいつのまにかお聖さんのぽっちゃりしたお(いど)をなぜており、それを見つけたカモカのおっちゃんが顎ひげふりたてて、
「また、わしのお聖をいろとる!」
 とせちべんたらしくわめくのであります。


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