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レビュー

日常となった“戦争”の渦中でのたうつ人の心、そして事件は起こるーー『いくさの底』

【カドブンレビュー9月号】

「ジャワの極楽ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」という()れ歌がある。

第二次世界大戦において、ジャワ(現インドネシア)は、ボルネオ島で“死の転進”“サンダカン死の行軍”などの無謀な密林の縦断作戦が行われ、多数の日本兵や連合軍捕虜が命を落としているものの、比較的激戦地は少なく平穏であったという。
ニューギニアは1943年12月、連合軍のニューブリテン島西部上陸占領以降、日本軍は物資の補給路が断たれ、直接の戦闘のみならず、熱帯性の感染症と飢餓で多くの兵士が命を落とした。ここへ送られた日本軍兵士は20万人以上、そのうち生きて再び日本の土を踏んだ者は一割に過ぎない。

そしてビルマ(現ミャンマー)の“地獄”とは。
真っ先に思い浮かぶのは、今や無謀な作戦の代名詞、インド国境に病と飢餓に倒れた日本兵の死体が累々と連なる白骨街道を成したインパール作戦か。またはタイ王国国境側の泰緬鉄道か。建設中に日本兵・連合軍捕虜ともに多くの死者を出し、「死の鉄道」の名で知られ、タイ王国領クウェー川に架かる鉄橋は、映画「戦場にかける橋」の題材になった。

『いくさの底』の舞台はビルマ領内。しかし前述の“地獄”とは程遠い。戡定かんてい(※「平定」の意)の翌年としているから1943年。中国と国境を接する北部シャン州、ヤムオイ村というのどかな山村で、気候も風景も日本のそれによく似ていた。
一帯には国境を越え、シャン州を縦断して流れる怒江(どこう)を渡り重慶軍がたびたび侵入し、そのため日本陸軍は、急遽編成した賀川少尉一隊を警備隊として派遣する。
その警備隊が村に駐屯した最初の夜、少尉は何者かによって斬殺される。
誰が、何のために。犯人は隊員か、村人か、重慶軍か。動機は内紛、それとも私怨、純然たる敵意か。
あってはならない殺人。ごく一部の者を除き事件が徹底的に秘されるなか、更なる事件が起こる。

そうです。賀川少尉を殺したのはわたしです。

殺人者の告白によって幕を開ける物語。それを追う読者の目となる登場人物は依井である。
日本軍政下のビルマに進出していた商社のひとつ「扶桑綿花」の社員としてメイミョーに勤務し、通訳として徴用された彼は、あくまでも軍属の民間人であって軍人ではない。若い隊員たちからは扶綿さん、ヤムオイ村の人々からは「通訳のマスター」と呼ばれる気安い存在だが、民間人という立場と通訳という役目ゆえにすべてを知ることになる。

死の行軍のような悲惨もなく、玉砕瓦全の悲壮もない。日本の郷愁を誘う静かな村落で哨戒警備が続く穏やかな日々。それでも地獄はここにもあり、人でなしはここにもいる。地獄も人でなしも、人の心がつくりだす。

戡定、アンペラ、便衣。本書では当時使用されていた用語がいくつも登場するが、その意味を説明する文章も補足もない。
戦争や軍隊、ましてやビルマ戦線について知るための物語ではないからだ。
ここで描かれているのは日常の延長線上にある戦争。情に揺れ、非情に震え、体面や名誉に雁字(がら)めになってなお生々しくのたうつ人の心だ。
戦争によって()げられた数々の人生が、戦禍の底に飲み込まれて見えなくなってゆく。大戦の終わりまでに犠牲となる日本軍人・軍属は240万人。その数多の“戦死”のなかに埋もれてゆく真実をまえにして、戦争を知らないわたしたちはただ立ち尽くすしかないのだ。


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