◎第4回角川文庫キャラクター小説大賞《読者賞》受賞作!

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小路幸也氏、高里椎奈氏が選考委員を務める角川文庫キャラクター小説大賞。

第4回の受賞作の刊行を記念した試し読み第1弾では、〈大賞〉を受賞した大塚已愛さんの『ネガレアリテの悪魔』を、つづく第2弾では、〈優秀賞〉を受賞した朝田小夏さんの『天命の巫女は紫雲に輝く 彩蓮景国記』をお届けしました。

そして第3弾では〈読者賞〉を受賞した佐々木匙さんの『帝都つくもがたり』をお送りします。

怖がりの売れない作家と強引な新聞記者、腐れ縁の凸凹コンビの怪異譚に、是非ご注目ください!



 零話 つくもの始まり


 せきの馬鹿がまたも僕、大久保おおくぼじゅんの静かな思索の場をぶち壊しにやって来たのは、梅雨もそろそろ明けたかという時分だった。帝都・東京の片隅は牛込にある、我が家での出来事である。
「やあやあ、元気にしているか。相変わらず縦に長いな、大久保」
 夏らしい麻の背広にカンカン帽。分厚い眼鏡、肩には写真機カメラをぶら下げて、関信二しんじはどこから見ても怪しいブン屋以外の何者でもない。少しは慎みをもって己の胡散臭さを隠すべきだと僕は思う。
「人並みには。夏はまだ楽だよ」
「そりゃ何よりだ。気鬱が心配だったからな」
 それより、と関は僕の方を見て言った。彼の背はそれほど高くはないが、僕の方がやや身を屈めていたので、ぴたりと視線が合う。
「中に入れてくれよ」
「嫌だよ!」
 僕は完全に押し売りに対する態勢を取っていた──すなわち、片目が覗くほどに細く戸を開け、しっかりと足でつっかえをして開けられないようにしていたのだ。
「ま、また何か妙な話を持ち込むんだろう。門前払いしたってよかったくらいだ。いいか、僕はもう君の口車には……」
「失礼」
 ぐい、と関は案外な力で戸を引き開けた。身体こそ大きいが元来虚弱な僕は直ぐに力負けし、ああ、と情けない声を上げる。人を呼ばぬつもりで色の褪せ草臥くたびれた着流しを着ていたのも露わになってしまった。
「まあ、悪い話じゃないさ。君だってなかなか筆で食えてもいないんだろう」
「そりゃそうだが、僕の清貧と君の陰謀とは何も関係がない」
「陰謀なんて滅多なものじゃない。まあ、中で話でも」
「それは僕が言う台詞せりふだ」
「そうかい、ありがとうありがとう」
「まだ言っていない!」
 結局、負けた。関は僕の静かな家にずかずかと歩み入る。いつものことではあるが、実に業腹だ。
 僕はいわゆる三文文士である。彼の言う通り、親の遺産が少しばかり残っていなければすぐに食いはぐれる程度の人間だ。立場は弱い。
 より騒々しく鳴き出した蟬の声を背に、僕は忌々しく虚空を睨むとぴしゃりと戸を閉じた。多分、それが間違いだったのだと思う。だが、この後悔すらいつものことだ。何となれば、この三流新聞社に勤める胡乱うろんな男と学生時代に知り合ってしまった時点で、僕は何かを間違えたと思う。
「怪談をね、集めているんだ。紙面に載せるんでね」
「怪談? まあ、季節には合っているが」
 結局中に踏み込んできたので、仕方がなくちょうど煎じていた麦湯を出してやる。関はそれを飲んで一言、薄いな、と言った。知るか、君のその薄情な顔立ちの方がよほど薄いと言い返したくなったが堪えた。
「僕は特に知らんよ。そういった出来事に遭ったこともない」
「別段、大久保先生の霊験には期待していないさ。君に頼みたいのはな、あちこちで取材をするのを手伝ってはくれないか、ということなんだ」
「僕が?」
 湯吞みを持ち上げる手を止めた。何を言い出すのかこの唐変木は。
「ちょっと待て。僕の恐怖癖は知ってるだろう」
「知ってるさ。子猫も怖がるくらいだ」
「あれは爪を立てるから……いや、それはいい。どうしてわざわざ向かない人種を誘うんだ」
 学生時代から、僕の怖がりときたら皆の物笑いの種になっていた。高い場所は目が眩む。暗い場所は何が出て来るかわからない。狭い場所は息が苦しい。自分でも何度も悩んだが、もういっそ危機察知能力が強いのだということにして放置している。当然、関の方もそれは先刻承知の上と思っていたのだが。
「それがいいんだよ。そこが狙いで、怪談に向かない人間を連れて行くことで、新鮮な反応を記録出来るんだ」
「何?」
「幽霊だのの話を聞くだろう。怖がった君が思わず叫ぶ。俺はそこで、大久保氏深々たる恐怖に耐えかね絶叫す、とこう真に迫った文が書けるという訳だ」
「出て行け」
 僕が遠慮を知った人間でなければ蹴り飛ばしていたかも知れない。この男はこういう人間である。人の性分を全て体系的に把握して、自分の損得に結びつける。
「何、何なら名前は伏せるよ」
「そういう問題じゃない」
 言い募ろうとしたところ、ぺらりと懐から紙を出される。……見慣れたものだ。あまり丁寧に扱われていないので、あちこち皺が寄っている。『金三十円也』。借用書だ。僕の、関への。これを出されると僕は黙らざるを得ない。何せ、五年以上無利息で止まっているのだ。
「御利益のあるお札だ」
「今度、今度稿料が入ったら半分だけでも……」
「金に関しては俺は君を信用しちゃいないよ。それに、返してもらうよりこれを形に言うことを聞いて貰った方が得だ」
「しかし怪談だろう」
 僕は頭を抱える。友人同士のお遊びの百物語の会では、いつも目と耳を塞いでいたものを。
「話は話さ。本当に化けて出るなぞそうある事じゃない、とまあ、上は言っていた」
 関は回り込むようにして、僕の肩を叩く。この口調だと、本人もそう乗り気というわけではないのだろう。そこで都合のいい相手のことを思い出し、折角だから巻き込んでしまえとそういう腹だ。僕には見出しの大文字のようにハッキリと読めている。
「それこそ、取材費は出させて貰うよ。俺に幾らか返してくれるなり、酒代にするなりそこは君に任せるが」
「…………」
 恥を忍んで言うが、これが最後の一撃だった。酒代。僕は不承不承頷いた。関は満足そうな顔になる。
「しかしな、君。もう少し部屋を片付けるといいよ。酷い有様じゃないか」
 関はそう言うと周囲を見渡した──床に飲み干した酒瓶のごろごろと転がった、僕の静かな思索の場を。

 壱話 赤子をよばう


 友というものは、きちんと選ばなければ後々苦い後悔が残るばかりだ。
 僕が関信二と初めて出会ったのは、大学に入ってしばらく後、五月の麗らかな日の照る午後の事だったと記憶している。もう六年かそこらは前の事だ。その頃僕はまだ酒も覚えてはおらず、腹に凝る様な鬱屈は抱えながらも筆で書き飛ばし、恐れ知らずにもそれを方方の識者に向けて送りつけては渋い返事を受け取り、といった活動を始めていた。いずれ来たる梅雨と酷暑と秋曇と冬の絶望を知らず、燦々さんさんと降り注ぐ春の太陽を己の前途全てと取り違えていた時代だった。
 何だったかの講義を終え、特に勤勉に質問をすることもなく講堂から退散した僕は、出口付近で後ろから声をかけられた。
「よう、確か君、何やら書き物をしてるって話の奴だろう」
 僕は振り返ってじろりと相手を見定める。擦り切れた紺色の袴。背はあまり高くない。情も薄そうなあっさりとした顔立ち、細い目に眼鏡。式典か何かで見かけたことくらいはあったかもしれないが、取り立てて顔を覚えてはいない相手だった。妙に態度が大きく、気安い調子で話しかけてくる。
「なんだか無闇に大きな男がそうだと聞いた。珍しいな、文学の方には行かなかったのか」
 出会い頭に手際がいい事であるが、ここで彼は僕の神経をふたつほど素早く逆撫でした。僕は中学生の頃から目立ちたくもないのに図体ずうたいが大きくて難儀していたし、文筆の道を志していた癖に父親の意向に唯々諾々と従って経済学部に所属していることは、春の光溢れる日々に落ちる静かな影であったからだ。
 だから僕は、特に返事もやらずにそのまま歩いて去ろうとした。闖入ちんにゅう者はなおも横にぴたりとついてくる。
「待て待て、頼みがあるんだよ。大学新聞作りに誘われたんだが、どうも人員不足で紙面が埋まらないときた。だから筆の立つ奴を探して……」
「頼みなら、まず名前を名乗ったらどうだい」
 神経が逆立った気分のまま、苛々とそれだけ言う。細目の男はほう、と初めて気づいた様な顔で口をすぼめた。
「これは失敬。関信二という。箱根の関の関に信用の信。二番目の生まれだ」
 どうも信用という言葉が似合いの男とも思えなかったが、何か執筆をさせてもらえるかもしれない、という誘いには少々心が動いた。
「確か大久保君だったな。下の名前は……」
「純。純真の純」
「自分で純真とは恐れ入るな。まあいいや。詳しい話をさせてくれよ」
 そうして関は、僕の背を押す様にして不良学生共の集まりに連れ込んだ。僕の会心の随筆はあまり受けが良くなかったし、関は特に礼もしてくれなかった。おまけに大学新聞部に出入りするうちに僕は酒を覚え、今では立派な酒浸りである。名前についても、何が純真だ単純の純だろう、と散々からかわれるのがお決まりになる。悪友とするにも最悪な思い出と言わざるを得ない。
 それでも、何故か腐れ縁は卒業の頃まで続いた。借金をした僕の後ろめたさもあってしばらくは行き来が途絶えたものの、ここ一、二年ばかり、彼は何故か僕の下に面倒事ばかりを持って来るようになった。
 その極めつきが、今回のこの怪談記事、という訳だった。

書籍

『帝都つくもがたり』

佐々木 匙

定価 648円(本体600円+税)

発売日:2019年05月24日

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