皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。
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【試し読み①】三浦しをん、筋金入りのテツ=原武史に息を呑む。『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』
男子校に通っていた原と、女子校に通っていた三浦。
学校生活が人格形成に及ぼした影響やら、通学沿線の風景やら、
穏やかな調子で始まった、ほぼ初めての対談。
なのに、やおら原の鉄道愛が炸裂、早くも三浦がおののく展開に!
『皇室、小説、ふらふら鉄道のこと。』第1章を特別公開!
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――2016 年 6 月 24 日。
政治学者にして鉄学者である原武史と、
作家・三浦しをんは、対談をすることにした。
朝日新聞の書評委員やトークイベントで面識はあったが、まとまった対談は初めてである。
折しもこの前日、英国は国民投票でEUからの離脱を選択した。
原は、ニュースから受けた衝撃を隠しつつ、三浦作品に見る電車と、三浦が通った学校のある横浜市の風景について、口火を切った。
原 三浦さんは小説の中で、ご自身が通われた横浜の中学、高校をモデルとした女子校を描かれていますね。横浜の山手地区には、ミッション系の私立校が集まって独特の文化を形成しています。日本ではそういった場所は神戸や横浜など、非常に限られていますね。
三浦 確かに横浜の山手の丘には、ミッション系の学校がたくさんあります。
原 例えばJR中央線沿線の国立は学園都市ですが、中心となるのは一橋大学です。僕自身、東急東横線の日吉にある慶應義塾系列の中高の出身ですが、同じ横浜といっても、山手とは違って横浜らしさがありません。
三浦 海は見えないですよね。
原 まったく見えません。東急の事実上の創業者である五島慶太が、慶應義塾に日吉駅東口の土地を寄付したから予科が三田から移転してきたので、横浜にある必然性もない。それに比べ、三浦さんが女子校を描いた長編小説『秘密の花園』(新潮文庫)、『ののはな通信』(KADOKAWA)からは、自然と港や坂が目に浮かびます。ミッション系の女子校に六年通われたことは、ご自身の人間形成にどういう影響を与えたとお考えですか?
三浦 宗教ってなんなんだろう、と考えるようになりましたね。それと、あまり男性に期待しなくなりました。女だけの世界でも、ことはうまく回っていくと知ったので。重いものも力を合わせりゃ女にだって持てるし、何かを決めるときは話しあえばいいし、現在の社会でいわゆる「男性性」は特に必要ではないんじゃないかなと。恋のときめきはあるでしょうが、それだって相手が異性と限ったものではありませんから、性別はあまり関係ないと思うようになりました。男だから、女だからという区分け自体、私にはあまりピンとこないな、と。
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原 町田市に住んでいた三浦さんと、町田市に隣接する横浜市青葉区に住んでいた僕の生活圏は、意外なほど近く、重なり合う風景があることが小説を読んでいてもわかります。例えば『ののはな通信』に登場する二人の女子高生の住まいが南武線沿線と東横線沿線となっており、暮らしぶりの違いがうまく描き分けられている。今でこそみなとみらい線が元町・中華街まで開通していますけど、横浜の山手の丘はもともと国鉄、現在のJR根岸線でしか通えませんでしたよね。慶應のある日吉は東急が開発した街で、通学している生徒も東急沿線在住者が多く、南武線や横浜線は下に見られていました。
三浦 私の通っていた学校では、横浜市在住というのが、一番きらめいていました。私の住む町田市なんて、彼女たちにとっては辺境ですよ。横浜線は、横浜線という名前なのに、八王子駅と東神奈川駅の間を走っていて、横浜駅は通っていない。東神奈川から先は、京浜東北線と根岸線になります。だから横浜線は、「ああ、いつも窓硝子が汚れてる電車ね」程度の認識でしたね。ま、実際、「どこの砂漠地帯を通ってるんだ」というぐらい、砂埃で窓が曇り硝子みたいになってる電車だったんですけど(笑)。
原 僕は中学の途中まで、東京都東久留米市の滝山団地から日吉へ通っていましたが、同級生からすれば、2 時間近くかかる西武線沿線の東久留米なんて、番外地みたいなところです。
三浦 横浜に住んでる中高生にとっては、「えっ、東久留米って、九州?」って感じでしょうからね。ふざけるな! さすがに九州から通学はできんじゃろう! という……。
原 男子高校生は女子高生と違って、手紙のやりとりはしないし、言葉にはしないけれど、やはり男同士の友情がある。僕の場合は鉄道が媒介にあって、オタク的な世界の中で同好の士が集まってきた。高校時代を送ったのは 1970 年代後半~ 80 年代初めですが、学校が終わると放課後カメラを持って、友人と二人で東海道線の根府川駅まで行ったことがありました。相模湾を望む有名な撮影ポイントの鉄橋があるんです。夕方になると東京発の下りブルートレインが撮影できる。誰もいないみかん山に二人で登り、じっと列車が来るのを待って撮影した思い出が、やけに心に残っています。
三浦 いいですねえ、麗しい情景です。私も漫画オタクだったので、漫画好きな同級生と並んで部室に座り、黙々と漫画を読んでいました。
それにしても鉄道好きのかたがたって、いつ頃から生息が確認されているんですか?
原 大学の鉄道研究会は慶應義塾大学が一番古いとされています。1934(昭和 9 )年からあった。慶應義塾高校での創部も 1948(昭和 23)年の高校創立にまで遡れます。
高校一年のときには、北海道の国鉄全線に乗りました。急行列車に乗り降りできる北海道ワイド周遊券を使って夜行の急行で車中泊を繰り返し、宿代を浮かしたりもしました。
文化祭では駅弁販売がメインイベントで、大船の「鯵の押寿し」、黒磯の「九尾の釜めし」、千葉の「やきはま弁当」、小淵沢の「高原野菜とカツの弁当」、富山の「ますのすし」などを販売していました。
三浦 鉄道を愛し研究するのは、由緒正しい嗜みなんですね。それにしても原さん……。予想よりはるかに活動が本格的で、おののきましたよ。さすが筋金入りのテツですね!
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――対談は物語の生まれる風景について移ってゆくが、
原の興味は否応なしに鉄道に揺り戻される。
原の真性鉄道オタクぶりに、三浦は感動さえ覚えた。
原 三浦さんには「神馬に乗る女」という短篇がありますね。東京で暮らす三十路の息子が父に乞われて帰省すると、神がかりになった義母と彼女に仕える父の姿を目の当たりにする。舞台は福井県の内陸、記述から推測するに越前大野とか勝山のあたりでしょうか。あのあたりは、平泉澄という、東京帝国大学教授で白山神社の宮司となる人物を送り出した土地です。
三浦 いつ頃のかたですか?
原 昭和初期に皇国史観と呼ばれる日本史学を唱え、敗戦後もその考えかたを変えなかった学者です。二・二六事件の際には、上野から水上まで行って、弘前から上京してくる秩父宮に合流して車中で密談をしており、昭和天皇に対抗して秩父宮を立てようとした疑いがあります。
山の多い独特な風土がこの小説にも流れていますが、なぜ舞台を福井にされたのですか?
三浦 実はこの小説を書いたときには、福井県に行ったことがなかったんです。それでも舞台は福井だな、となんとなく思ったので。漠然としてますけど、「話は思いついた。さて、どこを舞台にしよう」と考えながら地図を眺めてると、「このあたりがよさそうだな」と土地に呼ばれるように目が吸い寄せられるときがあるんです。
原 なるほど。敦賀を出て福井に向かうときに最初に潜るのは、十キロ以上ある北陸トンネルです。このトンネルが 1962(昭和 37)年に開通すると、若狭から越前、すなわち越の国に入るところで世界が変わるようになった。
この主人公も、母の様子がおかしいからと父に呼び出され、北陸本線で福井に向かいますね。川端康成の『雪国』(新潮文庫)ではありませんが、国境の長いトンネルを抜け、異世界に入っていくという感じがある。短篇は短い文章の中で、文章化されていないものをどれくらい感じさせるかという技術を必要とされるのだと思いますが、物語の舞台が濃密に想像されてきます。
三浦 書こうとしてパッと土地や建物のイメージが浮かばないときは、その小説をまだ書くべきではない時期なんですよ。こういう話を書きたいな、どこがふさわしいかなと思ったときに、福井以外は考えられなかった。行ったことがないから、当然、私の想像と現実の風景とは異なるわけですが。
うーん……、地図上の地形や地名から喚起される空気に呼ばれる、としか言いようがないですね。たぶん、物語にふさわしい舞台はあらかじめ決まっているんだと思うんです。
原 それを聞いて、川上弘美さんの小説『真鶴』(文春文庫)を思い出しました。小田原と熱海の間には四つ駅があるけれども、真鶴以外の駅ではこの物語は考えられない。どこを舞台にするかということは、小説を書く上で決定的に大事なのだなと思います。
三浦 あのあたりは土地勘があるのでわかりますが、真鶴というのは本当に絶妙ですよね。あと、自分が書くときに重要なのは、部屋の間取りですね。どなたかがおっしゃっていたんですが、女性のほうが間取りを考えて書いているようだ、と。空間把握能力は男性のほうがあると言われているけれど、女性の作品のほうが、細かい描写がなくとも部屋の間取りが浮かんでくるように書かれているそうです。ほんとかなと思うんですけど、確かに私は、間取りをけっこう考えて書きますね。
原 僕の場合は、鉄道の車内の描写はとても気になるんです。ロングシートなのかボックス型のクロスシートなのか。ボックス型だとして、ドアは二つか三つか、シートの色は、とか。
三浦 うん、それは原さんがテツだから(笑)。車内で殺人事件が起こる推理小説でもない限り、ふつうそこまで詳しくは描写されてないですよね?
原 でも三浦さんの小説には、電車がよく出てくる。JR京葉線の東京駅地下ホームの先に広がる暗闇から電車が姿を現すなど、鉄道を介して触発される想像がある。意外に重要なモチーフになっている。私立の学校に通って、鉄道で通学することで搔き立てられる想像があるのではと思うのです。
三浦 そう言われてみれば、『秘密の花園』という小説では、六年間、横浜線で山手に通う間に見ていた風景が反映されていますね。車両にドアが何個あったかなんて、覚えてないけど(笑)。「今日の増水っぷりはすごいな」と、車窓から鶴見川を眺めるのが好きでした。
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原 僕は中学二年生のときに半年かけて横浜線の研究をし、成果を「労作展」という秋の展覧会に出品しました。
三浦 「労作展」! 自分で「労作」と言っちゃうのか!
原 沿線をほとんど歩き尽くしましたね。
三浦 え!? それは本当に労作ですね、すみません。
原 小机と鴨居の間を走る横浜線の電車を鶴見川の対岸から写真撮影したこともありました。川と電車の両方を撮影できるし、バックが丘陵地になっているのもいい。
小机を過ぎると単線になって、トンネルを出ると鶴見川が寄り添ってきて、急に鄙びてくる。上りと下りの電車が行き違うために、鴨居の駅で電車がしばらく停まるんです。天気のいい日には、ホームの先端から富士山が見える。
三浦 へえ、気がつかなかった……。さすがにもう単線ではなかったですし。
原 もちろん複線の東急にはそういう時間はありません。当時の横浜線には十日市場、成瀬、古淵、八王子みなみ野といった駅もありませんでした。町田はまだ原町田で、小田急の町田とは六百メートルくらい離れていて、その間の通りは通勤通学客が急いで走るから「マラソン道路」と言われていましたね。
三浦 私が通学していた当時も、十日市場と小机の間はまだまだ牧歌的な風景でした。原町田のあたりも単線だったんですか?
原 はい。原町田駅の周辺には古い商店街があり、東急が開発した住宅地に住んでいる身にとっては、東京の郊外というよりは一番近くにある地方都市の感じがありました。
三浦 二十年ぐらい前まで、町田の駅前には闇市っぽい雰囲気が残っていましたね。
原 小田急百貨店はまだなかったんですが、原町田に近いほうに「吉川」「マツヤマ」という、町田にしかない百貨店が二つあったんです。あとは大丸とさいか屋がありました。大丸の近くにはシヅオカヤというスーパーがありましたね。1982 年にたまプラーザ駅前にできるまで田園都市線沿線には東急百貨店がなく、渋谷に行くしかありませんでした。だから町田の大丸で最上階の食堂街に行ったときは新鮮でした。
三浦 町田にしかないデパート! 全然知らなかった!
町田には東急百貨店(現在は町田東急ツインズ)や109(現在はレミィ町田)がありましたよね。小田急とJRしか通っていない町なのに、なぜ東急が入ってきたんでしょう?
原 当時は田園都市線が町田に乗り入れるという噂もありました。
三浦 ほんとに乗り入れてくれればよかったのになあ。あと、バスが神奈川中央交通なのも不思議です。町田市は一応、東京都なのに。
原 戦時中に政府が進めたバス会社の統合の影響が今も残っているからでしょうか。バス会社がテリトリーを獲得していく経緯は謎です。
三浦 そうなのか……、調べてみたいですね。
子供の頃は乗り物酔いがひどくて、バスやタクシーにはあまり乗りたくなかったんですよ。今も自動車より電車のほうが好きです。電車は絶妙な揺れもあって、考え事も読書も捗りますしね。鉄道には、人の詩情を搔き立てる力がある気がする。象徴性を帯びた乗り物だなと思います。
>>第2回へつづく####
三浦の描く女性同士の関係性と、松本清張の描く女官同士の恋愛感情。
この二つが同時に語られる日が来ようとは――。
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