平等や自由がうたわれる現代でなお、世界の各地で分断が続くのはなぜなのでしょうか。人間の強欲が視化される過程を追ったユニークな書『鉄条網の世界史』を刊行された石弘之さんにお話をうかがいました。
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◆鉄条網が可視化させる「分断」

──今回のご本は、鉄条網を通して近現代史を読みとく、というものですが、そもそもなぜ鉄条網だったのですか。鉄条網に目をつけるというのはユニークです。

石:はじめて鉄条網の存在を意識したのは、約二十年前にケニアの国連機関で働いていたときでした。あるときに、首都ナイロビから北西部一帯に広がる農業地帯の「ホワイト・ハイランド」で調査をしていました。この呼び名があるのは、植民地時代に白人が占有していたからです。調査が終わって、近道するために茂みを通って道路に戻ろうとしたとたん、下半身に巻き付くものがありました。雑草に覆われて見えませんでしたが、錆びた鉄条網が絡み合った大きなかたまりでした。

 身動きするとジーンズを通して鋭いトゲが皮膚に食い込んでくる。クモの巣に捕まった虫のように哀れな姿になりました。大声で助けを求め、やっとはずしてもらいました。鉄条網がこれだけ自由を拘束できるとは思ってもみませんでした。このときに、はじめてまざまざと鉄条網を見ました。それまでも、いくらでも見る機会があったのに、意識したことはなかったのですね。

 調べてみると、鉄条網はもともと1860年代に米国中西部のカンザス州とフランスで、ほぼ同時に発明されました。畑への家畜や野生動物の侵入を防いだり、家畜を逃がさないように飼ったり、外敵から財産や家畜を守るという、開拓時代の西部では願ってもない機能を兼ねそろえていたんです。西部開発の強力な脇役になり、爆発的に普及していきました。

 そして、畑と放牧した家畜を分け隔てる機能が、またたくまに人と人を「分断」するという役割を担うようになります。敵味方、人種、民族、宗教、貧富……さまざまな違いを、安易に安価にそして強力に隔てる道具になってしまいました。

──当初の目的からずいぶん変わってしまいました。

石:アフリカで働いていたときには、植民地の歴史なども調べていたのですが、鉄条網がひんぱんに出てくるんです。アフリカに乗り込んできた宗主国は、なるべく現地民と摩擦や戦争を起こさないで、土地を占領したい。そこで土地を鉄条網で囲ってしまう。鉄条網はこん棒やペンチ1本で壊すこともできますが、囲いこまれた鉄条網の中には心理的にも入れなくなってしまう。

 ホワイト・ハイランドは、アフリカでもっとも土地の肥えた一帯でしたが、やってきたイギリス軍が鉄条網で囲い込むことで簡単に占領することができました。

 そんなとき「分断」というキーワードが浮かんできたんです。今、「分断」ということばが世界中をうろついていますね。たとえばトランプ米国大統領のメキシコ国境の壁、メイ英国首相のブレグジット、中東では政治、宗教、宗派が絡み合って複雑に分断されています。「分断」の問題は実は古くて新しい。冷戦時代には深刻な分断が地球の各地で起きました。それがふたたび力を得て新たな装いで広がりはじめました。むろん、トランプ大統領の影響は大きいと思います。

「分断」を「鉄条網」というキーワードで眺めると、世の中が別の角度から見えて新しい発想がわいてきました。分断という抽象的な概念が、鉄条網を通すと非常に具象的になり、可視化されることに気づいたのです。

──アメリカ‐メキシコの国境をはじめ、ベルリンやサラエボなど、さまざまな分断の地が紹介されます。

石:僕がそんな構想を娘の紀美子に話したんです。娘は当時、テレビのディレクターを辞めて内戦終結後のボスニア・ヘルツェゴビナの国連和平機関で働いていました。旧ユーゴスラビアは超複雑で、「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」を統合していたのですが、それが内戦でばらばらになり最終的に6つの国家に分断されました。この過程でいたるところに鉄条網が張り巡らされたんです。娘も鉄条網ではさんざん苦労していたので、いっしょに本を書こうということになったわけです。

書籍

『鉄条網の世界史』

石 弘之 / 石 紀美子

定価 1037円(本体960円+税)

発売日:2019年01月24日

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    書籍

    『感染症の世界史』

    石 弘之

    定価 1166円(本体1080円+税)

    発売日:2018年01月25日

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