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特集

「主人公が最後に取った選択に共感したし、鳥肌が立ちました。まさに、傑作だと思う」 『八月の母』刊行記念対談【辻村深月×早見和真】

構成/吉田大助 撮影/ホンゴユウジ

著者究極の代表作、誕生。連綿と続く、女たちの“鎖”の物語。
早見和真の最新刊『八月の母』発売記念、辻村深月との初対談!

最新長編『八月の母』を上梓した早見和真さんと、直木賞・本屋大賞作家の辻村深月さんは、「友人」でありながら、早見さんは辻村さんの『青空と逃げる』に、辻村さんは早見さんの『イノセント・デイズ』に、文庫解説を寄せるなど、お互いの作品にリスペクトを送り合う「同志」でもあります。プライベートでは幾度となく会話を交わしていますが、意外なことに今回が初対談です。早見さんは何を思い『八月の母』を書いたのか、そして、辻村さんは『八月の母』をどう読み取ったのか、おおいに語り合いました。

▼早見和真『八月の母』特設ページはこちら
https://kadobun.jp/special/hayami-kazumasa/hachigatsu/

▼『八月の母』試し読みはこちら
https://kadobun.jp/trial/hachigatunohaha/cjubhr00vfso.html

『八月の母』刊行記念対談 辻村深月×早見和真



『八月の母』は連載をしている時から
辻村さんに読んで欲しいと思っていた

早見:そもそもの出会いは、僕が『イノセント・デイズ』で推理作家協会賞を取った時に、辻村さんが挨拶の列に並んでくださったことでした。自分がデビューする前から作品を読んでいた作家さんだったので、僕の本を読んでくださっていることにまずびっくりしたし、その場でものすごく嬉しい感想をおっしゃってくださった。その後、共通の担当編集者がいたこともあって食事に行くことになり、仲良くさせていただくようになりました。僕は小説家の友人とか知り合いが本当にいないので、辻村さんの存在は大きいというか、とても大切な方です。

辻村:私も小説家の友達がほとんどいないので、早見さんはものすごく貴重な存在です。私、殻が厚いほうだと思うんですけど、早見さんがそこをこじ開けて友達になりに来てくれた感じがあったから(笑)。

早見:もともと小説家として好きな方でしたし、いまだに緊張します。だから、これを言ったら嫌な気持ちになるかもしれないですけど、辻村さんが友達だなんて思ったことは一度もありません。

辻村:おおっ(笑)。

早見:憧れの存在ですね。たぶん、それは一生変わらない。影響を受けた小説家はいっぱいいますけど、「敵わない」と思わされた人なんですよ。自分には絶対書けないものを、自分が絶対持てない目線で書いている。賞とか売上からじゃ計り知れない畏怖があるというか、敬意があるんです。仮に僕が今後、辻村さんよりはるかに売れる作家になり、辻村さんの欲しくてたまらない賞を全部かっさらっていったとしても、この構造は変わらないと思います。

辻村:メールはたまにやりとりしていましたが、お会いするのは久々ですね。今日は対談のご指名をいただき、ありがとうございます。

早見:これまでどの作品を出す時も、編集者から「辻村さんから推薦コメントもらえませんか?」とか「辻村さんと対談できませんか?」って言われてきたんですよ。それを全部、「やめてほしい」と断ってきたんです。もちろん、どの作品も勝負作だと思って書いているんだけれども、「辻村さんにお願いするのは今じゃない。今回の本じゃない」と考えていた。でも、今回の『八月の母』は連載をしている時から、母というものと作品で対峙してきた辻村深月と、実際に母となった辻村深月という存在に対する思いが僕の中にすごく強くありました。辻村さんにこれを読んでもらわなきゃいけないなって気持ちがずっとあり、自分から対談の依頼をしました。

辻村:私も好きな作家はたくさんいるんですが、「この人に読んでもらうんだったらこれがいいけど、こっちを書いているのを見つかると、ゲーセンで遊んでるところを見つかったみたいな雰囲気があるな」と思うことはあります(笑)。

早見:ただ一方で、今回が一番読んでほしくないとも思っています。「母」は辻村さんの分野だと思っているし、一番厳しく読まれるだろうなって気持ちもありました。でも、『八月の母』に関しては逃げられない。こっちから「パンチを打ってくれ!」と挑んだ感覚に近いです。

辻村:早見さんとお会いすると、私の小説について「ここがいいと思った」という話を詳しくしてくれるんだけど、私が早見さんの小説について感想を言おうとすると、「ああ、聞きたくない」と言ってぜんぜん聞いてくれない(笑)。今日はいっぱい話せるし聞いてもらえる場を用意してくださって、嬉しいです。せっかくなので最新作の『八月の母』の話をする前に、早見さんの最近のお仕事についての感想もお伝えしてもいいですか? というのも、早見さんの小説の力の飛躍があまりにすごくて、私は近年驚き続けています。



登場人物の気持ちは著者自身の考えだ
と誤解される怖さを引き受けて書く

辻村:2019年に刊行された『ザ・ロイヤルファミリー』を読んだ時に、あまりに面白くてびっくりしたんですよ。馬主となったワンマン社長とその息子たちの話なんですが、既存の何にも似てないし、小説としての醍醐味がすごくある作品だと思ったんです。サラッとした一文に大事な情報が盛り込まれていたり、本当にその世界の中にいないと書けない一文だなと感じる瞬間がたくさんありました。特にやっぱり、最後の一ページ。この一ページを目にしたら、行間をきちんと想像して感動してくれるはずだ、という読者への信頼がなければ絶対書けないものだと思うんです。

早見:そうですね。物語を最後まで付き合ってくれた人たちは、あの最後の一ページに記されているものを、無味乾燥な記号や情報としてではなく、まさに「物語の行間」として受け取ってくれるだろうということを信じていました。

辻村:でもね、私は最近の小説界って、建前として「読者を信じている」と言いながら、実際は読者を信じていないというか、小説としての構造をどんどん簡単にしていく傾向が強いんじゃないかとも思っているんです。

早見:それ、とても共感できます。分かりやすい文章で、帯とかも異様にキャッチーで。結局、受け手の読解力を信じてないのではという。

辻村:自分でも書いていて、そういう誘惑を感じる瞬間があるんですよ。文章を長く続けないでここで改行して、「これが大事な一文ですよ」ってサービス精神を出した方がいいんじゃないか、とか。だけど、『ザ・ロイヤルファミリー』の早見さんは読者の想像力を全力で信じていた。もうね、嬉しくなっちゃいました。

早見:お姉ちゃんみたいな目線(笑)。

辻村:ほんと、なんでこんなお姉ちゃんみたいなんだろう(笑)。他にもいろいろ早見さんが近年書かれてきた中で、『ザ・ロイヤルファミリー』の例を出したのは、あれは父と息子の話なんですよね。昔、早見さんに言われて衝撃だったのは、「自分は『ぼくたちの家族』などで父親と息子の話をたくさん書いているけど、辻村さんの書いている母と娘の関係に比べたら、単純でしょう?」って。自分が一生のテーマの一つとして追いかけているであろうものに対して、そういうことをサラッと言えるのはすごいなと。そう思っていたら、父と息子を徹底的に突き詰めた『ザ・ロイヤルファミリー』を書かれた。そして今度は、母と娘の関係を描いた『八月の母』を出された。今よりもっと新しいところへ行こう、もっともっと自分の可能性を広げようとしている姿が正直、うらやましくも感じたんですよ。「自分、挑戦してるか?」みたいな気持ちになったんです。

早見:いや、挑戦しまくっているじゃないですか。昨年刊行された『闇祓』も、世の中にいろいろハラスメントがある中で、相手に自分の闇を押し付ける「闇ハラ」というものもあるんじゃないかという発想にまず驚かされたし、構成が新鮮でした。これまでの辻村さんだったらきっと、第四章の小学校パートから始めていたんじゃないでしょうか。すごく意外な始まり方をして、読み初めの印象とは全く違う方向に話が繋がっていく。やっぱり辻村深月、すげぇなと思いました。

辻村:嬉しい! でも、今日は私の小説の話はやめましょう(笑)。そろそろ『八月の母』の話を詳しくしていきたいんですけど……怖いでしょう、感想聞くの。

早見:ここまで来たら、もう大丈夫。昨日の夜のほうが怖かった(笑)。

辻村:『八月の母』は、愛媛を舞台にした三世代にわたる家族の歴史と、ある事件を描く話です。これは作家目線になってしまうんですが、私が一番思ったのは、これは書いていてしんどかったろうな、と。『八月の母』の登場人物たちはいろんな視点からいろんな思いを持っているんだけれども、「登場人物のこの気持ちは、著者自身の考えじゃないのか?」って、誤解される怖さが絶対あっただろうなと思うんです。特にここ数年、人として正しくないとされていることを、たとえ虚構の中であっても書けない、書いたら拒絶されるという世の中の風潮が強まっています。でも、この小説はそこを恐れずに書かなければいけなかったし、そこをくぐり抜けたからこそ、エピローグがものすごく輝いているんですよね。

早見:おっしゃる通りで、今回は途中で読むのをやめられてしまったら、その人たちがネットのレビューに一つ星をつけてしまうような作品だろうなと。

辻村:そう! とても怖い構成ですよ。そのぶん、エピローグの衝撃力がすごいんです。読者は最後の結論を踏まえてこの本の評価をしてくれるはずだ、と書き手が信じていなければ成立しないものだろうと思うし、その選択をした書き手に対して感銘を受けました。



男性の作家がこのお話を書くのは
相当、勇気が必要だったと思う

早見:読者を信じるということで言えば、『ザ・ロイヤルファミリー』に関しては、信じられました。だけど今回に関しては、「信じた」というよりも、「祈った」とか「願った」に近いと思います。「途中で投げ出さないでください」って、今もそう思っている。「ラストシーンに辿り着くための物語だ」という認識が最初からはっきりあったんですよ。書いている途中で僕が感じていた苦しさは、「思い描くラストシーンを本当に鮮やかに書けるのか?」という、自分に対する信頼のなさだった。

辻村:なるほど。

早見:それから、辻村さんがおっしゃったように、登場人物の考えが作家自身の考えとイコールで結ばれて読まれてしまう、という怖さは今回ものすごくありました。「登場人物が」ではなくて、「早見が」そう考えているんだという捉え方をされてしまうんじゃないか、と。

辻村:そう取られてしまうリスクが年々、高まっていると感じます。2、3年前と比べてさえ、「これは物語の中の、登場人物の考えです」という作り手としては当たり前の論理が、なかなか通用しづらくなっている。特に『八月の母』はジェンダーにまつわる発言が数多く出てくるから、センシティブになってしまう読み手は多いと思うんですね。例えば、エリカという小学生の女の子が出てくる章。担任の男の先生が、エリカに対して「子どもだけど、この子の奥には母性がある」という見方をする。それは、「女性にはみんな母性がある」という著者の考え方であると取られる場合がある。

早見:まさにその通りです。自分という人間は、少なくとも自覚的に女性に母性を求めたことは今までないと思っているんです。でも、この10年くらいのあいだで会った女性たちから、自分では思ってもみないような男性像を聞いたり、「男ってなんでこうなの?」と相談されたりする機会が増えたんですね。それこそ「女というものは生まれながらにして母性を兼ね備えているものだ」と迂闊に言ってしまえる男性というもののいびつさとかエグさを、この10年で絨毯爆撃のように浴びてきた。だったら、そこを無視することはできない。しかも男性が視点の章ならば、きちんと彼の言葉として書かなきゃいけなかったんです。

辻村:その男性の心情にリアリティがあるから、早見さんのことをそれなりによく知っている私ですら「えっ、早見さん、こういう考えの持ち主だったらどうしよう!?」みたいな気持ちになりました。というのも、「女性には生まれながらに母性がある」という神話を是として、それを美しい言葉で書いてきた物語の歴史が積み重なっているわけで。

早見:そこを疑わず連綿と書き続けてきた結果が、今の男性と女性の間に横たわっている断絶に繋がっていると思う。

辻村:そうですよね。でも、この小説は大丈夫だとすぐに思えたのは、担任の先生が「この少女の奥には母性があって……」と自分の主観を語った次の瞬間に、「少女の食べ方が汚い」という観察する言葉が出てきて、平然と幻滅するんです。先生の人間としてのどうしようもなさが出ているから、こちらもちゃんとがっかりできるというか、先生に対してざらついた違和感を抱くことができる。

早見:「女性には母性が備わっている、というのは間違っている」という批判が来た時に、「物語の中の、登場人物の話です」と。辻村さん、僕が傷つかないようにしてくれてますよね、今(笑)。

辻村:そこまで考えてるわけではない(笑)。でも、途中の表現で引っかかってしまって、違和感が致命傷になってしまうのはイヤだなという気持ちはありますね。この小説は絶対に最後まで読んでもらいたいので。書き手の性別を意識するのはよくないとは思うんですが、『八月の母』を女性が書きましたって言われたら、その手の誤解はおそらくされないんですよ。男性の作家がこのお話を書くのは相当、勇気が必要だったと思います。勇気が要るというのは、きちんと攻めて、逃げずに書いたということへの敬意の言葉です。

早見:実は、入れるべきか外すべきかで、最後の最後まで悩んだセリフがあるんです。ある女性が物語の後半で言う、「男の人は敵だけじゃなかったよ」というセリフ。これは僕自身の持っている女性に対する甘えが出ちゃっているんじゃないかと、編集者にも相談した箇所でした。

辻村:私はそのセリフは全然気にならなかったし、むしろ納得感がありました。この物語には、完全な善人というか、聖人として出てくる男性の登場人物が一人もいないじゃないですか。もし聖人が出てくるような物語だったら、確かにあのセリフで降りてしまう読者はいるかもしれない。そうではなくて、誰しもがろくでもない、ままならない部分を持っているし、誰しもが善でも悪でもないあわいを生きている。そういう物語の中だからこそ、彼女のあのセリフは許されるし、重みがある。

早見:今回の小説を書いていて一番恐れたのは、僕自身が世間からお仕着せられている何かを、無自覚に、無意識に書いてしまうことだったんです。「その考え方はいびつだ」「その考えだけが正義じゃない」と自覚して書くならいいんだけれども、自分では思ってもみなかった部分を指摘されたら、ちゃんと反省して、傷つこうと思っています。

本編は「男のくせに」という思考で悩んだ
エピローグは「男であるおかげで」書けた

辻村:『八月の母』の中で私がグッときた箇所はたくさんあるんですけど、地方都市のリアルさもその一つです。例えば、とある団地の一室に出入りして擬似家族的な関係を築く人たちについて、「この団地に集まってくる人間が、みな等しく抗うことを諦めている」という文章が出てくる。その残酷な感じ、私も地方出身だから、すごく分かるんですよね。「ここ」から出て行きたいと言いつつ、本気で「ここ」から出ていく気はさらさらない。ただ、その団地のボスであるエリカが、出入りし始めた女の子に対して、海で理想を語るシーンがありますよね。自分の理想の母親像とか家族像とか、自分は「ここ」から出て行けなかったけれどあなたは……というシーン。読みながら、「なんだ、このしらじらしい理想」と、私は思ってしまったんです。著者自身がこれを善と捉えているのかどうか、意図にちょっと迷ってしまうほどのシーンだった。

早見:まさにそこは、それこそ誰かの「なんてしらじらしいんだ」という言葉を入れたり、作者の思想とは違いますよということを示すべきかで悩んだシーンの1つでした。それでも、僕自身が6年間住んでみて辿りついた、カギカッコ付きの「愛媛の女」を書いたつもりです。

辻村:これは吹けば飛ぶような理想なんだ、そういう受け取りかたでよかったということが、エピローグまで読めば分かるんですが、そのシーンを読んでいる時には分からない。著者も彼女に同情しているというふうに見えた瞬間、興醒めてしまうシーンだと思うから……いや、難しいシーンの連続ですよ。私だったらもっと分かりやすく、読者を安心させられるような書き方をしてしまうかもしれません。でも、繰り返しになりますが、書き手として安心できるような表現を避けて、読者を信じて、ぐっと我慢して書いていったからこそ、エピローグが生きるんです。本編の余韻を高める、とかじゃないんですよね。「エピローグでこんなに視界が変わることある?」と、本当に驚きました。残りページがほとんどないのに、ここに来て「えっ?」「え!?」って。

早見:自分が男の書き手であるからこそ、これまで書かれてきた「母と娘」の物語とは違う結論を出したかった。

辻村:いろんな作品を読んできて感じたことなんですが、娘と母の物語って、要は「娘は母親に期待することをやめることができない」という葛藤の物語なんですよね。それこそ「期待」することは、完全にやめることができない。私自身も当事者だから、その大枠を外した物語を書くのは難しいだろうなと思います。なおかつ、女性の作家がこれを書くと、読者は作者に対して「あなたの場合は解脱できたんですね」と感じてしまうところも絶対ある。もしも早見さんが女性作家で、あのエピローグを書いたとしても、勇気をもらえる人はたくさんいると思うんですけど、あれだけ感動できたかは分からないです。それはやはり、早見さんが書いたことで、小説のラストがより強い普遍性を帯びて迫ってきたということなのだと思う。

早見:本編でさんざん苦しめられてきた「男のくせに」という刃が、最後の最後で有効に働いていたらいいなって。

辻村:私自身も一人の娘として、主人公が最後に取った選択に対してものすごく共感したし、あの選択を手に入れるまでの物語だったんだということが分かった瞬間に鳥肌が立ちました。だから、繰り返しになってしまいますが、読者の方には絶対にエピローグまで読んで欲しい。途中で「この話はどこに着地するの?」とハラハラしながら、どんな感想を持てばいいのかという気持ちになる瞬間があると思うんですが、最後に救いが待っていますから。まさに、傑作だと思う。

早見:ああ、嬉しい。今日はちゃんと眠れる(笑)。これで愛媛ともちゃんとお別れできる。

辻村:春に愛媛から東京に引っ越してこられるんですよね。あっという間にいろんな人と仲良くなって、コロナが落ち着いたら銀座とかで飲むようになりそう。そうしたら、私の友達としての存在感が薄まりそう(笑)。

早見:たぶん、東京ではこもる気がするんですよ。愛媛に行った時は、自分を変えるということに関して自覚的だったし、コミュニティに対しても積極的に心を開いていったんですが、今回の東京行きは目的が何もないんです。娘が受験に受かったから、引っ越しするというだけなので。しばらくはそのまま都内にいると考えると、6年後は50歳なんですよね。馬力で戦えるのは、あと6年しかないなという気持ちもあります。何に対して悔いを残さないようにするかというと、やっぱり書くことしかないと思うから……頑張りたいですね。でも、たまにご飯はご一緒させてください(笑)。

辻村:ぜひ。これから早見和真がどういう作家になっていくのか、近くで拝見させてください。

作品紹介



八月の母
著者 早見 和真
定価: 1,980円(本体1,800円+税)
発売日:2022年04月04日

著者究極の代表作、誕生。 連綿と続く、女たちの“鎖”の物語。
『イノセント・デイズ』を今一度書く。そして「超える」がテーマでした。僕自身はその確信を得ています――早見和真

彼女たちは、蟻地獄の中で、必死にもがいていた。

愛媛県伊予市。越智エリカは海に面したこの街から「いつか必ず出ていきたい」と願っていた。しかしその機会が訪れようとするたび、スナックを経営する母・美智子が目の前に立ち塞がった。そして、自らも予期せず最愛の娘を授かるが──。
うだるような暑さだった八月。あの日、あの団地の一室で何が起きたのか。執着、嫉妬、怒り、焦り……。人間の内に秘められた負の感情が一気にむき出しになっていく。強烈な愛と憎しみで結ばれた母と娘の長く狂おしい物語。ここにあるのは、かつて見たことのない絶望か、希望か──。
詳細:https://www.kadokawa.co.jp/product/322008000196/
amazonページはこちら

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早見和真『八月の母』試し読み



八月は母の匂いがする。八月は、血の匂いがする。 ――早見和真『八月の母』試し読み
https://kadobun.jp/trial/hachigatunohaha/cjubhr00vfso.html


辻村深月(つじむら・みづき)

1980年山梨県生まれ。2004年『冷たい校舎の時は止まる』で第31回メフィスト賞を受賞しデビュー。11年『ツナグ』で第32回吉川英治文学新人賞、12年『鍵のない夢を見る』で第147回直木三十五賞、18年『かがみの孤城』で第15回本屋大賞を受賞。『ふちなしのかがみ』『きのうの影踏み』『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』『本日は大安なり』『オーダーメイド殺人クラブ』『嚙みあわない会話と、ある過去について』『傲慢と善良』『琥珀の夏』など著書多数。最新刊は初の本格ホラーミステリ長編『闇祓』。

早見 和真(はやみ・かずまさ)

1977年神奈川県生まれ。愛媛県在住。2008年『ひゃくはち』で作家デビュー。15年『イノセント・デイズ』で第68(長編及び連作短編集部門)、20年『ザ・ロイヤルファミリー』で19年度JRA賞馬事文化賞と第33回山本周五郎賞のダブル受賞。同年『店長がバカすぎて』で本屋大賞9位。『あの夏の正解』で「2021年 Yahoo! ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」ノミネート。他の著書に『スリーピング・ブッダ』『95』『ぼくたちの家族』『笑うマトリョーシカ』『かなしきデブ猫ちゃん』など。

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