あなたにとって、読書に没頭できる場所はどこですか?
ソファやベッド、お気に入りのカフェ。電車に揺られながら……という人もいるかもしれません。
今回、読書スポットに選ばれたのは長野県・八ヶ岳!
いつもとは一味違う「特等席」での読書体験を、写真と共にご紹介します。あなたもこの夏、本と一緒に出かけてみませんか?
本を持って出かけよう!
夏山で『この夏の星を見る』を読む
オンラインでつながる、画面の向こうの窓のひとつから声がした。
『来ました! 今、うち、通過します』
頭上では、日の入りから一時間半ほどの夜の世界に、砂粒をまぶしたような星が瞬いていた。
わあっと歓声が上がる。いよいよだ、と気持ちが高まっていく。
(『この夏の星を見る』本文より)
夏だ。
もう逃れようもなくどうしようもなく、公明正大に、夏がきた。
本をもってどこか、空の広いところに出かけたい。
というわけで今回は辻村深月さんの『この夏の星を見る』をお供に(どっちかというと人間のほうが小説のお供という気もする)、長野県は八ヶ岳を歩いてきた。なにゆえこの場所なのかはあとでわかることになっております。
北陸新幹線で上野から1時間15分。佐久平駅から、山方向の臨時バスに乗る。通称メルヘン街道という長いつづら折りの道。溺れそうなほどの緑のなかを、新幹線と同じくらいの時間バスに揺られると「白駒池入口」のバス停に到着する。ここが本日の登山口だ。
道路を渡るといきなり森の中だ。樹木の森と、地面に広がる苔の森。この中をゆるやかに登ってゆく。
まだ梅雨の名残があり、森はたっぷり水を含んでいて登山道もところどころぬかるんでいる。転ぶなよー転ぶなよーと自分に言い聞かせていると余計に転びそうなので、さっきまで読んでいた一節を思い出しながら歩く。
八千年後の未来には、北極星だってポラリスからデネブになる。そんな壮大な時の流れを、星空を通じて体感したばかりなのに、今、円華たちの生活はこんなにもままならない。宇宙から見たら本当に小さな、些末(さまつ)なことだ。けれど、その小さな世界で自分たちはあれこれあがくしかない。
(『この夏の星を見る』本文より)
本当にそうだなあと思う。あがくしかないコロナ禍の3年だったし、今後もわたしたちはそうやってあがき続けるしかないのだ。だからこそ、大きなものに触れたくなるのだと思う。星とか、太陽とか、今歩いている山とか。
だんだんリズムができて、山を歩く自分になってきた。しばらくすると、トンネルを出るように目の前がぽっかり明るくなって、そこに山小屋が建っている。
この高見石小屋は、天体望遠鏡のある小屋なのだ。数年前に泊まったときは夕食後に観測の時間があって、望遠鏡を覗かせていただいた。
「黒いのは、何ですか?」
「黒いのは、宇宙ですよ」
なんだか禅問答みたいな会話だったけど、目が慣れたとたんに無数の星が視界を埋め尽くして呆然としたのを覚えている。あまりに美しくて圧倒的な存在に出会うともう、ただ受け止めるのが人間のせいいっぱいである。
今日は残念ながら日帰りなので、見えないけど頭上で光っているはずの星の群れをイメージしつつ、飲み物(八ヶ岳産いちごのソーダ、おいしい)を頼んでちょっと休憩。そう『この夏の星を見る』は、ぜひともここのテラスで読みたかったのです。
私たちには、それくらい、許されていい。目に見えない、誰でもない、「神様」というほど明確でもない何か大きなものに対して、亜紗は思う。とても、強い気持ちで。
これくらいの特別は――お願い、私たちにください。
(『この夏の星を見る』本文より)
東京、茨城、五島列島。星を介してつながる中学生、高校生たち。彼らが過ごす日々は、すこし前にわたしたちが体験した日々でもある。うっすらとした恐怖と、強い閉塞感のなか彼らは望遠鏡を作り、星を捕まえる競技を始めた。星の位置は不動のように見えて、ほんの少しずつ動いている。この夏の星空はこの夏にしかない。みんなが一緒に過ごす時間も、また。
円華や、亜紗、真宙、天音……主人公たちと一緒に悩みながら、いつしか、がんばれ、がんばれ、とつぶやいている。がんばれは中高生たちにだけじゃない。あのときのわたしたちと、これからのわたしたちに。それは、小説から送られているエールのような気もする。
雲が流れて空があかるくなってきたので、小屋の裏にある「高見石」に登る。身長くらいのゴロゴロ岩に全身で取りつきながら登ってゆくの、けっこう怖い。70代後半とおぼしきカップルが「失礼しますねー」と抜いてゆく、ちっちゃい子もひょいひょい登ってくる。若僧&大人的にはガクブルしていられないではないか。こんなの楽勝ですよへっへっへっという顔を取り繕っててっぺんまで登ると、素敵な眺めが待っていた。
世界は美しいね、とバカみたいに思ってしまうのだ。でも、ほんとなんだ。
午前中とは反対のルートから、やはりぬかるみがちの山道を30分ほど下り、2回ほど転んだ。予想どおりさ、と余裕を出して(誰に?)みる。さっき岩の上から見降ろした眼のかたちの湖、そのほとりにもう立っているのがなんだか不思議だ。森のにおいが、いっそう濃い。
ひとつ奥のバス停「麦草峠」への道は、天然の日本庭園みたいなところを坦々と歩く。もうすぐ帰る時間だ。名残惜しいけど、今日はもう、これでいい。ここでこの小説を読んだ、その気持ちを大事に持ち帰って、明日からもまた生きてゆくのだ。
読んで、読んだひとと語って、読んだひとの話も聞いて、考えて、歩いて、また読んで、もっともっと読むのだ。
そんな、この夏の決意表明でした。
「お願い、お願い、アルビレオ!」
両手を胸の前で組み、祈るような恰好 をして、天音が屋上でジャンプする。
その姿を見て、空を見て、画面からのみんなの声を聞いて、思う。
――楽しい。
「オッケー!」という市野先生の声を聞きながら、もう一度、真宙は思った。泣きたいくらい、強い気持ちで。
――オレ、すごく、楽しい。
「真宙、行け!」
天音にいつの間にか呼び捨てにされている。
「おう!」
その声に送り出されるようにして、真宙は望遠鏡に向けて、また駆け出していく。
(『この夏の星を見る』本文より)
書籍紹介
この夏の星を見る
著者 辻村 深月
発売日:2023年06月30日
この物語は、あなたの宝物になる。
亜紗(あさ)は茨城県立砂浦第三高校の二年生。顧問の綿引先生のもと、天文部で活動している。コロナ禍で部活動が次々と制限され、楽しみにしていた合宿も中止になる中、望遠鏡で星を捉えるスピードを競う「スターキャッチコンテスト」も今年は開催できないだろうと悩んでいた。真宙(まひろ)は渋谷区立ひばり森中学校の一年生。27人しかいない新入生のうち、唯一の男子であることにショックを受け、「コロナ、長引け」と日々念じている。円華(まどか)は長崎県五島列島の旅館の娘。高校三年生で、吹奏楽部。旅館に他県からのお客が泊まっていることで親友から距離を置かれ、やりきれない思いを抱えている時に、クラスメイトに天文台に誘われる――。
コロナ禍による休校や緊急事態宣言、これまで誰も経験したことのない事態の中で大人たち以上に複雑な思いを抱える中高生たち。しかしコロナ禍ならではの出会いもあった。リモート会議を駆使して、全国で繋がっていく天文部の生徒たち。スターキャッチコンテストの次に彼らが狙うのは――。
哀しさ、優しさ、あたたかさ。人間の感情のすべてがここにある。
詳細ページ:https://www.kadokawa.co.jp/product/322208000289/
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